2019/12/06(金)【日記】大嘗宮一般参賀に行ったらおおむね1700年くらい時空を越えた。そして「祈り続けてきた人たち」に思いを馳せた。
大嘗宮一般参賀に行ってきた。
ラグビーワールドカップ日本大会のキャッチコピー「4年に一度じゃない。一生に一度だ。」と同様、大嘗祭も一生に一度あるかないかのパねえ催しなので、平日ラストチャンスである今日、根性キメて行ってきた。
で、行った感想を三行でまとめた結果がこちら。
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・東京駅を出て丸の内の高層ビル街を歩いていた時のぼく「ふーん、令和じゃん」
・皇居に入り堀や石垣や櫓を見た時のぼく「ふーん、江戸時代じゃん」
東御苑で大嘗宮を見た時のぼく「ヤマト王朝だああああああああああああ!!!!!!!(ドコドコドコドコ)」
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いや、ま、ちょっとね、予想よりぶっとんだ。
見る前は「なんか……京都や奈良的な感じ?」と思っていた。
つまり、8~9世紀ぐらいの雰囲気だ。
しかし、実際には3~4世紀の雰囲気を感じた。
時期でいうと「邪馬台国」から「ヤマト政権」のあたり。中国だと「三国志」の時代だ。
もちろん、そのころの建造物などぼくは見たことない。詳しい歴史も知らない。
ただ、見た瞬間に「なるほど、そういうことか」と理解できたことがひとつあった。
それはなにかというと、天皇家と朝廷はこれを、ずーーーーーーーーーーーーーーーっっと前から絶やさずに絶やさずにやってきて、時の権力者たちもやめさせたりつぶしたりしなかった(できなかった)ということだ。
戦乱の時代には困窮して儀式ができず、先送りになったという例もあるが、安定を取り戻した際には再開してきた。
つまり、ずーーーーーーーーーっとやってきたのだ、これを。
その「ずーーーーーーーーーーーーーっっと」が本当に神代の頃からなのかは、ぼくにはわからない。
ただ、世界中のどの国よりも長く続けていることは確かだ。
パねぇ。
8(・∀・)8 ←こんな髪型をしていた大昔から、大衆がぞろぞろ見物にやってきてスマホでパシャパシャ撮るような時代まで、ずっと。そう、ずっとだ。
パねぇ。
今年は皇紀2679年だという。
「本当は」いつからこうした儀式をはじめたのか、ぼくは知らない。
だが、少なくとも、わざわざデカい古墳作っていた(つまり、それくらいデカい権力と権威を持っていた)時代にはもうやっていたはずだ。そうするとやっぱり遅くとも3世紀にはやっていることになる。
ひじょうに卑近な例になるが、凡夫にとってはnoteひとつ続けるのすら難儀なことだ。
一方、天皇という存在は、こんな金も手間もかかるしんどいことをずーーーーーーーっとやっておられるのだから、その点については、ただもうひたすらに大したものだと言わざるをえない。
しかも、私利私欲のためではなく「国家国民の安寧と五穀豊穣の祈り」としてやっているんだから、ハンパじゃない。
さて、我々は誰かのために「祈りを捧げる」ということを常日頃どれだけしているだろうか。
たとえば、家族とか恋人とか友達とか推しとかペットなど。そう、地球とか世界といった大きなものではなく、そうした身近なもののためであったとしても「祈りを捧げる」という行為を日々しているという人はどれだけいるだろうか。
天皇という人たちは、それをやってきたのだ。
ずーーーーーーーーーーっっと。
パねぇ。