外が見えない日本的アイデンティティ
日本人は『内』と『外』に物凄く敏感だ。
「たとえば、僕がお箸で食事をしていると『使い方が上手ですね』と言われます。もう25年も住んでいるのに、やっぱり外国人として見られるんです。『優しい偏見』ですね」
日本人は外国人に対して、「なにかと意識しすぎる節がある」とパックンは感じている。
インタビューでそう書いたのはアメリカ出身で日本に暮らすパトリック・ハーラン氏だ。
『外国人』と『日本人』。
見た目に違いはあれど、違和感を感じているのは外見ではなく、
アイデンティティ的な部分だろう。
今週、大相撲では稀勢の里関が引退した。
マスコミがこぞって報じる中に、枕詞のようについた
「日本人横綱」の文言。
19年ぶりに誕生した日本出身横綱として期待を背負っていたのは事実だ。
ただ、日本人であることを粒立てるのは非常に前時代的だと感じた。
こちらは先日閉幕した高校サッカーだが、ハーフの選手の活躍を多く見た。
日本に移住した外国人家族の、教育環境が整備されてきた証拠だろう。
多様で優秀な能力との切磋琢磨で、能力を伸ばすことこそがスポーツのあるべき姿だと思う。
そこに、「純血であること」の優位性は排除すべきではないだろうか。
稀勢の里関においては、現在多方面から『日本人横綱』の重圧を認める論調が多いのが幸いだ。
国技としての誇りは、決して内向きになってはならない。