内定式って必要?
大人は形式にこだわる生き物だ。
学生の頃、内定式に出席した私はそう感じた。
もとより、20歳の成人式にも出席する価値が見出せなかったので、
半ば通過儀礼のごとく参加させられた内定式に不満を抱いた。
それをきっかけに私は内定辞退を試みた。というより正社員としての人生に納得がいかなくなったのだ。
結局やりたかった仕事はアルバイトでも受け入れられず、不承不承こうして兼業で文章を書いている。
社会に出ると、その後も続々とよく分からない儀式を経験する。
そうやって私は身をもって知った。
「大人は形式にこだわる生き物」なのだと。
思い返せば小さい頃からいろんな<式>に参加してきた。
あまり偏ったことを申し上げたくないが、その経験が今の自分の血となり肉となっているとは言い難い。
結局、大人たちの自己満足なのだ。
就職活動の採用ルール変更に伴い、内定式そのものの時期を変える話題が記事になっていた。
http://www.asahi.com/articles/ASLB14SMXLB1UTIL02Z.html
見出しに『形骸化』の文字があるが、形骸化しているのは内定式そのものではないだろうか。
社長のお言葉を身に染みるように聞き入ること、それ自体に深い意味はない。
きょう、内定式でそんな違和感を感じた学生がいらっしゃったら
迷うことなく内定を辞退すべきだと思う。
行く先々でそんなイベントばかり。もっと効率よく生きる道が必ずある。
と、ここまで書いてようやく気が付いた。
内定式とは、大人の世界への向き不向きを学生に判断させる重要なイベントなのだと。