陽キャを秘め込む日本人

イベントとしてのハロウィンがすっかり定着した。

若者の街・渋谷のみならず、そこかしこで仮装を見かけたのが何よりの証拠だ。



ハロウィンの定義、そして正しい享受の仕方についてあれこれ指摘するのは省略する。

<なぜ受け入れられたのか>


帰宅の途につく電車の中で、多少浮いているのをものともせずに仮装状態で乗車する人々を見てそんなことを考えていた。



市街地の仮装行列には人垣が出来上がる。


写真を撮ったり、そこには目視できるコミュニケーションが存在している。


見ず知らずの異性に声をかける、いわゆるナンパも当然行われている。



その熱狂はいわゆるお祭りだ。

『祭事』というより『お祭り騒ぎ』の祭りである。

新たな”お祭り”が受け入れられたという事実。

そこから考えられるのは日本人はお祭りを欲していたという推察だ。


「勤勉」だったり「清く正しく」だったり、襟を正して生きることを良しとして教育されてきた私たち日本人はハメを外すことを欲していたのだろう。


戦前から続く教育方針への反発だ。


仲間たちとふざけ合い、くんずほぐれつ転がり合っていく。
アメリカ映画なんかで見られるワンシーンに、日本人は憧れるようになったのだろう。


ネットスラング的に表現すると『陽キャ』だ。

陽キャであることを品行方正に反するとして、秘め込むことを強いられた結果である。



ハロウィンが生み出す陽キャの魔法は儚い。

七色に塗りつぶされたメイクは水に流し、キラキラとまぶしい衣装は翌日にはただの布と化す。


熱狂に浮かされた人々も、次の日には普段通り制服を、スーツを、エプロンを身に付けるのである。


その儚さもまた、ハロウィンの魅力なんだろうな、と思いながら
あと数日、陽キャの粒子をおこぼれとして浴びていたい。

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