ラップは文化系の手に渡った
ぼくのりりっくのぼうよみがアーティスト活動を休止する。
20歳にしての決断は少し早すぎる気もするが、彼の才能はまたいつか大きく羽を広げることだろう。
そのアーティスト名義とは裏腹に、決して彼のリリックは棒読みではない。
あまりにも”文系”な容姿から流暢に放たれるラップに、驚いた人も多いはずだ。
ここ数年でじわじわとムーブメントを巻き起こしているヒップホップ界隈。
『MCバトル』の名前を人口に膾炙させたフリースタイルダンジョンがその急先鋒だ。
ヒップホップはその歴史的背景から、たいてい体育会系のコワモテの人がやっているイメージである。
実際には相当なインテリジェンスを要する音楽だ。
メロディを追求する労力を割く代わりに、ビートに乗せる言葉に全神経を注いでいる。
語彙力という、努力無しには得られない能力をベースに、彼らはアーティストとして活動しているのである。
MCバトルにおいてはそれに加えて、即興性や周囲の環境を分析する洞察力も要求される。
完全に脳みそ同士のぶつかり合い。ジャラジャラしたアクセサリーは正直オマケだ。
ぼくのりりっくのぼうよみにおいては、その活動を音源のリリースに費やしたが、言語センスを見出され、”天才”と称されるようになった。
その活躍は、<ヒップホップにコワモテ要らず>という印象を日本の音楽シーンに植え付けたことは間違いない。
日本語ラップは体育会系のお兄さんから文化系の手に渡ったのだ。
(90年代からコワモテじゃないヒップホップは存在したが)
いま、休み時間中に本を読みふけっている中高生がいたら、いっそのことラッパーを目指してみてはいかがだろうか。
「キャラじゃない」とか言われて笑われるかもしれないが、10代で吸収したセンスは誰にも真似できない。
サラリーマンの日常にもMCバトルが存在する。
一手のミスも許されない緊迫した商談。いなしてからの一刺しに、営業マンは神経を注いでいる。
ヒップホップは知的な音楽ジャンル、と世間に浸透することで、もっとすごい”天才”が現れるのではないかと期待している。
そしてぼくのりりっくのぼうよみの今後も楽しみだ。
文筆家、小説家。政治家になっても現在の閣僚より立派な答弁ができるはず。国会答弁もMCバトルだ。
文化系の手に渡ったヒップホップは、これからが面白いところである。