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チーム移籍&結婚💒👫
ピュアスポーツクラブには2002年から5年間勤めさせていただきました。
ある程度、サッカーを軸に総合型地域スポーツクラブとして静岡県をはじめ全国的にもピュアのようなクラブが設立されて行ったので、先駆的な取り組みは行政やこれから総合型地域スポーツクラブを設立したいという思いを持った方々が多く視察にも来てくれた。
住み慣れた静岡市(現駿河区)小鹿にある増田荘のアパートを出て、結婚を機に地元三島市に戻ることを決意し、高校時代にコーチとしても指導していただいた山本浩義さん(日大三島高校や国士舘大学の先輩にもあたる)に相談し、アスルクラロ沼津で働かせて頂くことになった。
1990年に沼津セントラルスポーツクラブとして幼稚園でのサッカースクールを母体としながらスタート、2008年にアスルクラロ沼津と名称変更し、ボトムアップ(育成)方でプロチームまで持っている現在のJリーグの中でも唯一のクラブである。
2006年より、ピュアスポーツクラブと掛け持ちしながら二足の草鞋をはき静岡と沼津を行ったり来たりの一年間後に、2007年から完全にクラブを移籍した。
アスルクラロ沼津での業務は三島市エリアのスクール展開と伊豆を含めた地域スポーツの拡充が主だった。当時1名からスタートした、アスルクラロ三島スクールは柳郷地グラウンドからスタートし、徐々にスクール会員が増え、現在の二日町グラウンドでのAC三島スクール(約60名が在籍)と発展した。
また、中伊豆ワイナリーグラウンドでは『ジュビロサッカースクール伊豆』として、ジュビロ磐田との業務委託契約の中で名前を借りながら伊豆地域の子どもたちのスクール指導を現J2ブラウブリッツ秋田監督の吉田謙さんと一緒に指導していたことも今から考えると濃厚な時間だった。行き帰りの車の中では、サッカーの話やプライベートの話、様々な経験をされてきた謙さんの話を聞くのもとても面白かったし勉強になった。
週末はワンモアスクールと言って、普段の週1回のそれぞれのエリアでスクール活動をしている小学2,3年生を対象にしたスクールの担当もした。
当時そのワンモアスクールに通っていた選手たちが、後にアンダーカテゴリー(育成年代)の日本代表になっていきとても能力の高い選手たちがいた記憶がある。
余談だが、最近よく行く飲食店『DOTA BATA KICHINBASE(ドタバタキッチンベース)』
の店長もその教え子である。
ぜひ一度ドタバタバーガー🍔をご堪能下さい😊✨
話はアスルクラロ沼津の方に戻って、クラブでの仕事はもちろん100%全力でしながら、地域トレセン(三島市や静岡県)にも関わり始め、静岡県クラブジュニアユース連盟推薦でB級指導者養成コースを年末〜年始にかけて受講することになった。4泊5日×3クールの短期集中型だったので、年末年始のクラブのOFF期間や合間をぬってB級講習会を受講した。
ただ、そのB級講習会に来ていた受講生はほぼ現役や引退したてのJリーガーだらけだった。
現日本代表コーチの名波さんをはじめ、現清水エスパルス監督の秋葉さんと現FC岐阜のフットボールコーディネーターを務める元日本代表コーチの上野さんと福島県の高校の教員の原さんが同部屋となった。
そして、毎晩うちの部屋が溜まり場(笑)になり、サッカー談義をしながら盃が交わされた。
その受講生の中に、元日本代表の望月重良さんがいて、ちょうど横浜FCを現役引退した後だった。
もちろん俺は全員初対面で緊張もしていたが、本当に皆さん良い人たちばかりで、毎日楽しく講習会で実技や講義を学び、夜は毎晩溜まり場を営業(笑)した。
そんなこんなで(どんなこんな⁉️)で、無事にB級講習会も終わり、晴れてB級ライセンス取得となりまたアスルクラロ沼津での指導を続けることになったが...。
翌年の2008年10月頃だったか、望月重良さんから急に携帯に電話がかかって来て『トミ、来年SC相模原で下部組織を作ることになったから来て欲しい。』とオファーを受けた。もちろん人生でそういうこと言われたのも初めてだし、どうすればいいか判断に困ったけど、『いや、重さん俺がまだ独身だったら即答で行きますけど、結婚もして子どもも生まれるし、アスルクラロでも三島・伊豆地区の担当でやっているので申し訳ないんですが...』と丁重にお断りをした...はずだった。
のに、また1週間後望月さんから電話がかかって来て、『そろそろ気持ち変わっただろ?秋葉も来るし、ジュニアユースの監督に名良橋も来るから。』と言われ、(そこまで俺を必要としてくれるなんて...)と思い、『じゃ、嫁と相談して決めます。』と電話を切った。
すぐ、その夜に奥さんと相談したら『自分が行きたいって思うならいいんじゃない。』と言ってくれた。まぁ、表情から行きたい気持ちを悟ってくれたのかもしれない(笑)。
俺の中では、一つの覚悟があった。
誘ってくれた、望月重良さんは元日本代表選手まで登り詰めた人で、去年SC相模原というクラブをゼロから立ち上げJリーグ加盟を目指して、社長として経営していこうとしている。また一緒に仕事をする仲間たちも、B級同部屋の秋葉さんだったり、こちらも元日本代表で鹿島アントラーズや湘南ベルマーレで活躍した名良橋さんと、ホンモノの人たちと仕事をする上で、勝負することが出来ると感じていた。
俺の指導者としての力がどう通じるのか、通じないのか賭けてみることに決めたからだ。
そうして、アスルクラロ沼津の山本浩義さんにも事の流れと自分の気持ちを伝えて、『チャレンジしてみたいと思います!』と言ったら、『よし、分かった。頑張って来い!』と快諾してくれた。