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週5フルタイムで働くことができないと低賃金の仕事しかない?おかしいと思った話。

カバーのイラストはSEX AND THE CITYのキャリーのように、窓辺にデスクを置いて仕事をすることに憧れている女性のイラストである。
私も、キャリーのようにコラムで生計を立てられたらかっこいいなぁと思っていたし、今もデスクは窓辺に置いてある。
(一番好きなキャラはサマンサなんだけどねw)

さて、前回の記事で、大学院に通いながら今の会社でフルタイムで働くことができないので、会社を辞めることにしたと書いた。その後、ずぅうううっと仕事を探しているのだけど、驚くほど「週3」×「フルタイム」という仕事は存在していない。本当にアルバイトくらいしかない。

世界では今、ライフワークバランスを見直し、週休3日制を導入している国も少なくない。週休3日制を目指す上で、取れる方法は下記の3つになる。

①給料は据え置きにし、労働時間だけを短縮するという方法
②給料は下がるが、労働時間を短縮できるという方法
③週の合計労働時間は変わらず、1日の労働時間を長くすることで、休みを1日増やす方法(例:週40時間働く場合、1日8時間の労働時間(8時間×5日)を1日10時間(10時間×4日)に延ばすことによって、週5勤務から週4勤務を実現する)

①に関しては、時間が減っても同じだけの能力を発揮してくれればいいよってことで、労働者にとってはうれしいものだろう。
②に関しては、例えば子育てや介護、趣味、各種学校への通学、習い事など自分の都合でもう1日休みが欲しい場合は、1日分の給料が下がったとしても、正社員という身分をキープしたい場合はかなりおいしいと思う。有休を取得せずに、毎週末2泊3日で旅行に行けるとかうらやましすぎる。
③に関しては、大変だとは思うのだけど、なんだかの理由で1日休みが欲しい場合は短期間とかだったら受け入れられるかも。もしくは常に残業状態で毎日2時間は残業してますねって場合はこっちに切り替えて1日休みにするってのも悪くない。

日本でも週休3日の企業はあるが、大企業が多く、大企業務めではない一般ピープルにとってはほとんど関係のない話である。
働き方改革に積極的なのはやはり大企業であり、大企業に入っている人は得をするが、それ以外の人はなんの恩恵もないし、フルタイムで週5働けない人材は低賃金の仕事で結構という状況である。

私が週5から週3の勤務に切り替えたいと思ったところで、私の能力が落ちるわけではない。週5でできていたキャンペーン企画やLPデザインが、週3勤務になったらその能力が突然消えて、できなくなってしまうわけではない。だが、週3の人間に残されている仕事は、最低賃金~今の給料の半分程度になる仕事しかないのである。

もちろん週3でフルタイムだと、8時間×3日=24時間。
週5フルタイムだと40時間なので、60%程度しか働けない。
平日は週3でないと無理だが、土日を絡めれば70~85%くらいまでリカバーできそうだと思っているが、そういった働き方を認める仕事がものすごく少ない。

人によっては、「社会人なんだから平日フルタイムで働けないといい仕事がないのは当たり前でしょ」と思うだろう。
でも世界では労働時間を減らして、同じ給与を保証する会社や国の制度があるわけなので、平日フルタイムで週5で働ける人だけがいい仕事にありつけるような社会というのが、世界が求めている理想ではなかったというのがわかるはずだ。

では、週3勤務にならなければならない人というのがどのような人を考えてみよう。
・子育て中の人
・親の介護が必要な人
・習い事や学校への通学などで、平日に日中に通学する必要がある人
・持病があり、体力に自信がない人

これらの人は時間的な制約があるというだけで、彼らの能力に問題があるわけではないのに、時間的な制約にとらわれて、低賃金の仕事にしかありつけないような状況が作られてしまっている。
仕事がないわけではないのだ。
探せば、低賃金の仕事ならたくさんあるのである。

能力はあるのに、時間的な制約があるというだけで、まるで罰を受けているかのように、低賃金の仕事しかないような社会って、どうなんだろうか。構造的に何かおかしいと思う。

話を少し前に戻して、大企業でしか働き方改革なんぞややってないという話に戻る。結局、大企業に入れるのは一部の限られた優秀な人たちだけ。働き方改革というのは、よい大学に入ることができた人が最終的に受ける恩恵なのだろうか。

低賃金の人たちにとっては働き方改革なんて夢のまた夢。
そんなことより時給アップしてくれよって話。

もちろん、時間的な制約がある方すべてが能力を持っているとは言いません。中にはキャリアを積んでいない人もいる。

低賃金の仕事についている人たちにも事情はあるし、業界的に低賃金で重労働というのが定着している業界もある。

日本は、能力に応じて給料を支払うのではなく、人がいかに会社に対して時間をさけるかで、採用しているようにも思う。
個人的には「長く働く=会社に貢献している」とは思わない。
能力が対してないのに、長く働いて、貢献してますというポジション取りをして、上司に媚びを売ることで出世していく人を見て来たからだ。社内政治も能力のうちだと思うかもしれないが、社内政治がどんなにうまくても能力が伴わない人を尊敬はできない。

働くことは重要ではあるが、「人生=仕事」ではない。人生には他にもたくさん色んなことがあるのに、日本では「人生=仕事」のように思えてしまう。それに従えない人間は、すでにもう出世街道からは外れていて、一度外れたら相当な長時間労働でもしない限り、その道には戻れないだろう。

先日上がったフランス人女性記者が、日本の入社式で感じたことを書いた記事を見て、日本人である私も暗い気持ちになったのだった。

記事の中で、「自分で考えて行動することが大切」と社長が繰り返し、それに対してフランス人女性記者は「同じような服を着て、同じような姿勢で、同じようにメモを取る」という行為はフランス人が考える「自分で考えて行動する」とは異なると書いてあった。
フランス人記者の中では「自分で考えて行動する=自由に決めて自由にやる」だと言う。私も基本的にはそう考えている。
でも、日本では「自由な人=変わった人」になってしまって、浮く。大学生時代まではある程度自由でいられるが社会人になったら、決められたレールに乗る以外の行動をとると、「変人認定」されてしまうように思う。口先では「お前みたいに自由に生きられる人がうらやましいよ」なんて言うけれど、実際にはそうは思っていない人も多いだろう。
自由に憧れるところはあれど、それは夢みたいなもので、フルタイム勤務して定年まで1つの企業で務めあげること=優秀な日本人っていう価値観が蔓延っている日本では、フランスのような「自由」は存在しない。

※他国と日本を比較すると必ず「ここは日本なんだから日本のルールや慣習に沿って生きるのが当たり前」というが、THEガラパゴスJAPANという感じである。国際社会になっていくには国際基準の働き方や考え方に日本が追い付く必要があると私は考えている。

記事の最後でこのように記者は述べている。

「皆さんが60年後、ビジネス人生が終わりに近づく、あるいは終わるときに素晴らしい人になり、素晴らしい習慣を持っている、これができたら間違いなく幸せな人生になるのではないか」というような話を社長がしたとき、私は目の前の新入社員を見て、ちょっと暗い気持ちになった。今日から彼らの人生は「仕事を中心にしないといけない60年間になる」と言われたようなものだからだ。

入社式で社長が語った「良い子」「悪い子」…フランス人記者が暗い気持ちになった理由
Nesweek/西村カリン

これが日本の働き方の神髄なんではないだろうか。
おそらく日本の多くの企業が、社員に対して「会社に尽くせよ」と考えているのではないかと思う。
仕事が中心で、人生は仕事を中心にして回っていく。
子どもの保護者参観日には会社に「迷惑をおかけいたしますが」と謝罪をしつつ、子どもの授業を見に行く。
子どもが熱を出せば、会社には「迷惑をおかけいたしますが」と謝罪をして、会社を飛び出る。

子どもの成長や子どもの健康が、会社にとって「迷惑」だなんて私は全く思わないけど、会社中心の人生を送る中では、フルタイムで会社に毎日来ることが「当然」であるから、それ以外は会社にとっては「迷惑」なんだろう。

わたしは最近転職の面接などで、困ることがある。
個人的には今の能力が活かせて、かつ、今のライフスタイルにマッチした仕事であれば何でもいいといのが本音だ。
週3という制約がある中でわがままを言っても理想の仕事が私の元に歩いてくるわけじゃない。
ある程度は私も妥協するつもりでいる。
しかし、企業は「仕事に対する熱意」を求めてくる。
今、大学院生として働いていて、大学院に行くためにライフスタイルを変えて働く日数を週3にしている人間に対して「仕事に対する熱意」を問われても、困るのだ。
社会人学生としてやっていきたい気持ちはあるけれど、申し訳ないが、先述の入社式にいる新入社員のように「60年間仕事にフルコミット!」みたいな気持ちは持ち合わせてはいない。そんなことは状況から察することが十分できるだろう。
それでも、面接時に今の状況を素直に伝えると、相手の興味がすっと引いてしまうのが分かる。「あ、この人は自分の条件を押し付けてくるタイプか」みたいな、熱の冷めていく表情が見て取れる。質問数も少なく、表情もむしろ「あなた怒ってるの?」みたいな表情になって、こちらが何を回答しても食いつきもしない、淡々とした面接になっていく。
面接において「条件」を伝えるタイミングは難しいが、重要なことなので先に伝えると、その「条件」だけがネックになって、私のキャリアや能力なんて質問すらしてこない。

面接までこぎつけてるので、おそらくちゃんと職務経歴書や志望動機を読んで面接を設定しているのだろう。私もフルタイムで働けないことや、大学院生で日中に授業があることは先に伝えていることが多いし、柔軟な働き方が可能な企業にしか応募していない。
それでも、こちらが自分の時間的な制約について述べると、面接官の態度が一変するわけである。条件を利用して仕事を得ようとする人間を敵視しているようだった。それが疑問で仕方ない。
フルタイムで働けない、自分の条件ばかりを押し付けてくる人は、働く資格がないと言われているような感覚になった。

わたしの場合は授業だけど、もし持病のあるお子さんを抱えたお母さんだったとして、「お子さんの通院が日中にあるとのことですが、日中に取引先との打ち合わせがあった場合、どうされますか?」とか聞いたら、それまじで命を軽視してることになるからな?!と思う。

とにかく、人生は仕事中心に回ってない人だってたくさんいるのだから、個々が今なにを大切にしているか、それに対して他人であったとしても敬意をもって接してほしい。
私は、大学院で研究をしながら働きたいのよ。

先日の面接で
「大学院で学んだことをどう将来の仕事に活かそうと思っているんですか?」と問われた。私はすべての学問が仕事に活かせるものではないと考えているし、私の研究は人文学なので、理系分野と違って修士課程を出たからといって仕事に役立つことはほとんどない。
一応、「SNSによる社会の分断」といったところではソーシャルメディアの危機管理とかにもつながるような研究になりそうだが、それを専門に研究するわけではないのだ。

私は「人文学系なので、就職に役立てようとかは考えていません。」とはっきりと回答したのだが、面接を担当していた女性はその回答を鼻で笑って、「おもしろいですね」と一言。
ちょっと頭にきたので「どう思われますか?人文学がビジネスに直結するとは私は思わないのですが」と逆質問したところ、本人の回答がまた意味不明。「私も大学時代人文学系だったんですが、全く役に立ちませんでしたね」と。
ではなぜ、あなたは私のことを鼻で笑ったのか?
仕事に直結しないことを学んでいる=変人と思ったのかもしれないが、研究したい人に対して、「36歳で未婚で子なしで仕事やめて大学院で研究?ばっかじゃない?」くらいに思っていたのかもしれないが、応募者個人の現在の状況を開示してもらっておいて、それに敬意を持てない面接官は面接官を辞めた方がいいと思う。

人にはそれぞれ事情があるということ、
人生において「仕事」を中心に考える時代は国際基準で考えて終焉を迎えようとしていること。

それらを理解できない日本社会の未来は暗いなと思った。

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