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楽屋で、幕の内。|共感できない福岡ネタ Aug.21

ラーメンは細麺バリカタ、醤油は甘め、ホルモン大好き、明太子は常備品、雑煮はカツオ菜&ブリで決まり。そしてうどんは、“福岡がうどん発祥の地”と大々的にうたわれるようになる前から私のソウルヌードル。それも、「牧のうどん」(通称:マッキー)の一択だった。“追加のやかんスープ”“増え続けるヤワ麺”が、うどんの常識だった学生時代の私は、都会で食べたうどん麺の固さ(後にそれはコシであると知った)、スープの追加ができない、卓上に山盛りのネギがないことにショックを受けた。

以上は、福岡の飲み会で共感の嵐を呼べる鉄板ネタなのだが、一つだけ、誰の共感も得ることができなかった福岡ネタがある。それはお中元だ。

私は幼い頃、お中元に生きた軍鶏(シャモ)をもらっていた。洗剤、ビール、100%フルーツジュース、サラダ油の箱の影に潜む軍鶏。これだけは、誰も首を縦には振ってくれなかった。軍鶏をもらった数年のうち、一度だけトラウマ並みの出来事が起こった。それは、父が軍鶏をさばいているシーンに出くわしたことだ。

私がまだ中学生の頃、朝起きると2階の窓越しに、庭で何か作業をしている父の姿が見えた。私の家は不思議な造りになっており、2階から1階に下りる階段は外にあって(魔女の宅急便のキキの部屋を思い浮かべてほしい)、必ず庭を通って1階の裏戸から入らなければならない。パジャマのまま階段を下りると、すでに父の姿はなかった。しかし、何かの気配を感じる。視線の左奥、庭にある納屋の柱で何かが揺れている。でも、そこを見てはいけない気がする。なぜかわからない。わからないが、早くその場を立ち去らなければならない気がした。おそらく、今下りてる階段の近くに、軍鶏の羽根が散らばっていたからだろう。大急ぎで1階の裏戸に飛び込み、爆発しそうな心臓音を聞きながら、平然を装って顔を洗う私。何も見てはいない。でも、納屋で逆さ吊りにされた血抜き中の軍鶏が揺れている姿を想像してしまう。

その日の夕食は、艶やかで美しい軍鶏の刺身だった。朝引きの地鶏が美味しくないわけがない。心では怯え、泣きながらも旨い、旨いと食べた。実際に、軍鶏の刺身はめちゃくちゃ美味しい。地鶏と思えないほど柔らかく、程よい弾力で噛めば噛むほど味わい深くなる。特に、砂ずりの刺身は絶品だ。「この黄色い丸いやつ食べてよか?何これ、美味しいと?」と、初めて見る部位を指差すと、無言で頷く父。とても濃厚で美味しかった。それが軍鶏の●玉だと知ったのは数日後だった。

この経験がトラウマにならなかったのは、農家育ちで自給自足の大切さを知っていたのと、大事に育てた軍鶏を私たちに食べてもらい気持ちがお中元にこもっていたからだ。おかげで、私は好き嫌いが一つもない。

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