「普通」について考える
私は昔から英語好きで通訳になりたかった。
今は色々あって福祉関係の仕事についたが。
それ以上に私が憧れ、なりたいと思っていたものがある。それは「普通」の人。
昔から「変わってる」と言われて育ってきた。それは時に「個性」としてプラスにとらえられていたり、「欠点」としてマイナスにとられられたり色々だった。
小さいときは気にもとめてなかったが、高校生くらいになると周りが気になり始めた。
「普通」が一番なんだ。「変わってる」はダメなんだ。そう思うようになった。
そこから「普通」になれるように頑張ろうと思った。
しかし、自分で努力しても私が理想とする「普通」はほど遠かった。。。。
私の「普通」は、友達がたくさんいて、彼氏もして、いい仕事につくことだった。
しかし、それは大きく外れることになる。
まずは社会人一年目で自分がADHDだと知った。そしてわずか半年で転職する。
この時点で「普通」から大きく外れた。
そもそも自分が「普通」ではなかったのだ。
ADHDは私の「普通」いとも簡単に覆した。
しかし、そのお陰で「普通」に捕らわれていることに気づいた。
そこからは「普通」という言葉が嫌いになった。
自分が見えているもの、こうだと考えているものが全てではないことを知った。
「普通はこうするだろう」、「◯◯するのが常識だ」こういう言葉はよく聞くし、自分自身もよく思っていた。いわゆる「空気を読む」日本人として生きるなら特に必要なスキルだと思う。
しかし、真の「普通」とはなんだろうか。
そもそも「普通」でないとなぜいけないのか。
この「普通」は生きづらさの原因だと思う。
今は「普通」という言葉を聞くとそれはあなたの「普通」であって私のではないと思うようになった。
我ながらこじらせた高校生からめんどくさい大人になったものだと思う笑
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