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僕がアメリカに行った理由 【自己紹介①】

はじめまして!海外生活9年(アメリカ6年、メキシコ3年)のTomokiです。

これから僕のnoteで書く内容は、

 ・アメリカの大学生活について
 ・アメリカ・メキシコのビジネス文化について
 ・国際恋愛
 ・英語学習方法
 ・海外生活の楽しい部分や難しい部分
 ・日本の良いところ悪いところ

などなど。
僕が今までの人生の中で一番興味のある、海外移住・生活について、実際の経験を交えて書いていこうと思います。

今日ははじめましてなので、まずはなぜ19歳でアメリカに行く決断をしたか、について話したいと思います。

日本での生い立ち

僕は生まれが東京の西の方(栄えてない方)で生まれ、育ちは19歳までずっと埼玉の大宮付近です。小中高と日本の学校へ行きました。
周りには家族も含め、海外に住んでいる人は誰もいませんでした。

中学では成績はいつもトップの方でしたが、高校は第一志望の高校に落ちてあまり行きたくもなかった進学校へ行きました。
周りに頭が良い人が多すぎてやる気を無くし、ずっとバンドをする生活でした。(マキシマムザホルモンのコピバン。)
英語についてもテストでは赤点。

友達と一丁前にライブなんかもしてみたりして、小中高と続けていたサッカーを「バンドのために」と言い訳混じりに高校2年生で辞めました。
その後、落ちこぼれのくせに無謀にも日本国内トップの大学を目指し、少し気持ちを入れ替えて、まぁまぁまともに受験勉強をする毎日。

アメリカに行く決断をしたのはこの時点です。丁度高校3年生の夏休みが終わった頃でした。

なぜアメリカに興味を持ったか

少し時間を戻して、中学時代になぜアメリカに興味を持ったかについて。

おそらく僕の人生の中での一番の転機は、中2の時に埼玉の実家にケーブルテレビがやってきた時です。

色んなチャンネルが何百とありましたが、その中で一番興味を持ったのがMTV。適当にチャンネルを変えているときに、あるバンドのMVが流れていました。

Green DayのHolidayという曲です。

このMVを見た時は頭を打たれたかのような衝撃を受けました。「こんな世界があるのか!!!!!!!」と激震が走ったのを今でも覚えています。

いつかここに行ってみたいと思い、当時今ほど大きくはなかったYouTubeの海外の風景の動画や、ケーブルテレビのアメリカのシットコムを、ひたすら見ていました。(お恥ずかしながらハンナモンタナとスイートライフが大好きでした。あとはデクスターズラボやフィニアスアンドファーブのようなアメリカンアニメもよく見ていました。)

そんな訳で、僕がアメリカに興味を持ち始めた理由は、音楽です。

この中2の頃からいわゆる「洋楽」に興味を持ち始め、狂ったかのようにCDを買い漁っていました。ブックオフに行けば、5時間ぐらいかけて洋楽コーナーのCDを1枚1枚全て見る始末。
「J-POPなんてクソだ」と思っていた、本当の中2病でした。

この頃に父親に「テストで学年10位以内に入ったらGreen Dayのアルバム買って!!」と頼み込み、めでたく10位以内に入りヤマダ電機でアルバムを買ってもらったことを覚えています。
これが人生で一番最初に所有したアルバムでした。
ちなみに今でも音楽は大好きです。

そして時が過ぎ高2。第2の転機が訪れます。

高校の修学旅行でアメリカに行く

よくビックリされるのですが、僕の高校の修学旅行はアメリカでした。
行き先はニューヨーク、ワシントンDC、ボストン。
この頃の僕はアメリカが大好きになっていたので、楽しみで仕方ありませんでした。

夢のアメリカ。

「アメリカ人とたくさん話す!」と心の中で決心していた僕は、まずは飛行機の中で拙い英語で、アメリカ人の男性キャビンアテンダントに "Where is the bathroom?" と、トイレの場所を知っているのにも関わらず聞いてみました。
すると、"In Tokyo!! Hahaha!!" と返事が返ってきました。幼い僕は「これがアメリカンジョークか!」とテンションMAX。今思うとアメリカンジョークでも何でもない気がします。

アメリカに到着してからも、楽しさしかありませんでした。
印象に残っているのは3つ。

1つ目が、美術館でたまたま目が合った知らない人に満面のスマイルと一緒に "Hi" と言われたこと。日本では知らない人に挨拶をされたことが無かったので、「アメリカ人はこんなにフレンドリーなのか!」とすごくウキウキしました。すかさず笑顔で "Hi!" と言った自分にも惚れました。

2つ目が、ニューヨークのマクドナルドで飲み物のカップを投げて渡されたこと。「アメリカでは接客もこんなんでいいのか。自由だな。」と思いました。今思うとアメリカ人でも普通に態度悪いです。

3つ目が、またまたニューヨークのお土産ショップでコップを落として割ってしまった子どものお父さんが、足で割れた破片を端っこの方に追いやって隠していたこと。「アメリカでは店で物を壊してもお金を払わなくていいのか」と思いました。

ここまで読んでくださっている方はもうお分かりかと思いますが、悪いことも自分の中では興奮で全て良いことに変わっていました。
美化して言うと、日本の基準でアメリカを見ていなかった。これは今の海外生活においても、とても役立っています。

この修学旅行を通して、「アメリカに行きたい」という気持ちがより一層強くなりました。

そしてついにアメリカに行くという決断をした高3が訪れます。

アメリカに行くという決断

この頃は漠然と「アメリカに行きたい」という気持ちしかありませんでした。むしろアメリカというよりは、「海外に行きたい」と思っていました。当時は他の国に行ったことが無かったので、もしかしたら海外=アメリカと思っていたのかもしれません。

そこで考えたのが、アメリカで1年の交換留学がプログラムに組まれている大学への進学。上で書いた通り、高3の夏休みが終わるまで割と必死に受験勉強をしていました。

ここで第3の転機。

ある友達が「新宿にNICという学校がある」と教えてくれました。

NICとは、海外の大学に行く前に行く、語学学校のようなもの。1年そこで勉強をし、その後海外の大学に進学。
進学先はイギリスやオーストラリアの大学もありましたが、今思うとアメリカ以外の国は一瞬も考えませんでした。

そこで考えたのは「1年だけ交換留学でアメリカに行くよりも、アメリカの大学に行った方がアメリカに長くいれるんじゃないか?」です。
僕の性格の一部である単純な思考が勝った数少ない瞬間。

そして説明会などにも足を運び、この学校に行くことに決めました。

高校は進学校であったため、学校の先生はもちろん反対。
母親との3者面談では「そんなところに行くお前は絶対に成功できない。アメリカの大学なんて卒業できるわけないだろ。」と言われたとお母さんから聞きました。
正直この言葉は覚えていません。「誰が何と言おうとアメリカに行く」と自分の中で決めていたんだと思います。

NICでの勉強はとても過酷なものでした。ただ遊びも盛大にして、バイトは新宿の居酒屋のキャッチとホスト。アンダーグラウンドに憧れていた未熟な少年の頃の話です。

そして無事卒業をし、めでたくアメリカの大学に行くことに。
音楽が好きだったので、専攻はレコーディング。その後2つ目の大学で経営学を専攻しました。

アメリカでの生活は、僕の中での軸です。19歳〜25歳まで日本語を完全に排除していたので、今の心や性格は、日本よりもアメリカに寄っています。
アメリカの自由な文化の方が自分の性格に合っている、というのもあると思います。
アメリカでの生活や日本に帰って逆カルチャーショックを受けてメキシコに行った経験など、またたくさん記事を書きますね。

この決断の中で学んだこと

ご覧の通り、アメリカに行くという決断をしたのは唐突なものではありませんでした。気持ちの準備期間があり、面白い話が飛び込んできて、「じゃあそれやりまーす」という流れ。

この流れはどんな決断においても同じだと思います。

言いたいことは、「自分がワクワクすることは後先考えずやるべき」ということ。ワクワクすることをする、ということは、どんな人でもとても簡単にできると思います。
でもそうすれば気持ちやスキルもついてくるはずで、いつでも出発できる準備ができます。あとは面白そうなことをするだけ。そうすれば決断も自ずと早くなり、チャンスを逃すことも無くなります。


以上、こんな感じでアメリカに行ってきました。
他にもたくさん住みたい国はあるのでいつになるかは分かりませんが、将来はまたアメリカに戻りたいと思っています。

ここまで読んでくださった方、ありがとうございます!!
またたくさん記事書くので、これからもまたよろしくです!

Bye!



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