「俺がクラシックギターを選んだんじゃない。クラシックギターが俺を選んだ。」

僕はクラシックギターを弾きたくて始めたわけじゃありませんでした。
ま、かっこよく言えば以下の言葉でまとめてしまえる。
「俺がクラシックギターを選んだんじゃない。クラシックギターが俺を選んだ。」

…ちょっとマイルス・デイビス自伝みたいでいいでしょ?

そう、あれは小学5年の時でした。テレビで見た津軽三味線の巨匠高橋竹山の演奏で雷に打たれたような衝撃を受けた僕は母親に「あの楽器を習いたい」と言いました。
そして、母が探してきたのはクラシックギター教室。「似たようなものだから」と。中学生になって音楽に詳しい友人に「クラシックギターをやっていても津軽三味線は弾けるようにならないよ」と指摘され、大ショック(小さな雷が落ちました)。やっと違いに気づいたのでした。無知ってピュアでパワーがありますよね。
その後、坂本龍一さんがやっていたラジオ番組で「CDで聴くギターの名手」っていう企画がありました。当時はCDがやっとソフト面で充実してきた時期だったのですよね。おお、ギター特集かー!とワクワクして聴きました。当時は好きな曲はエアチェックする(カセットテープにラジオから録音する)というのが流行っておりました。
そこで聴いたのがレッド・ツェッペリンとベンチャーズ。で、エアチェックした音源を毎日聴きながら、耳コピしていたのです。音程は取れるんだけどなんか雰囲気違う音しか出ないなあと悩んでいたのです。
それは当たり前、僕が使っていたのはクラシックギターだったんですから。また音楽に詳しい友人から「ああ、彼らはエレキギターを使っているからね」と指摘が。また「小さな雷」が落ちました。
それから、中学一年の終わりにはやっと安いエレキギターを購入。それからは当時はやっていたスクエアやハードロックバンドなどのコピーバンドをスタート。
結局、津軽三味線で「大きな雷に打たれた」僕は、音楽を続けていく中で、いろんなジャンルの音楽から「小さな雷」を落とされ続けて、ギターを弾いていたというわけです。

もちろん、クラシックギターのレッスンは毎週行ってました。高校生になる頃にはカルッリとかカルカッシの教本を終わらせて、魔笛とかあれこれ弾いてました。と言っても、割と淡々と弾いていたのですよね。レッスンにいってアドバイスもらって、そして課題を練習するっていう。当時、僕のいた仙台にも巨匠たちが演奏会にたくさん来ていました。バルエコ、山下和仁、トーマス・ミュラー・ぺリングとか。ああ、すごいなーと思っても、最初の大きな雷(津軽三味線)とその後いくつかの小さな雷(ジミー・ペイジとかランディ・ローズとかパンクミュージック!)ほどの影響がなかったようです。

そうそう、小さな雷といえば、高校生の終わり頃はとにかく「インド」に行ってみたかった。すごいバカな話なのですが、図書室でたまたま手に取ったインドの歴史に載っていた写真のインド女性がすっごい美人だったから。中くらいの雷は落ちました 苦笑。
それで、理由もなくインドの歴史とか文化の本を読んでいたら、どっぷりとハマったのでした。そこからシタールやサロードのレコードを買い漁るという感じ。買い漁ると言っても、当時の仙台ですから中古レコード屋さんに10枚あるかないかというレベル。それでもお小遣いとか貯めてちまちま買っていったのです。

高校は進学校でしたが、入学当時は志望大学は「東北大学理工学部」だったはずが、高校終わりには「とりあえずインドに行きたい」と書いておりました。うちの母に説教され「インドに行く前にとりあえず大学に行きなさい」と言われ、現役の時の大学受験は東京外語大学のインド語専攻だけを受験(バカだなあ)。高校時代、ギターを弾いて、なぜか美術部部長で「まあ、ダメなら美大でも行けばいいか」なんて気楽に考えていた僕は受かるはずもありません。

一年間の浪人。でも、その時になぜか「プロになるためのバンドを組む」というプロジェクトが立ち上がり、バンマスから突然電話がかかってきたりしました。このバンドは大学に入ってから某大手音楽プロダクションの「預かり」(プロになるための様子見期間みたいなもの)となりました。

なにはともあれ、インド熱も浪人している間に冷めちゃったんです。インドに行く気もなくなり、大学でも専攻したいものなんかなくなってしまいました。だけれでも、あの当時は広ーい世界を見てみたかったんですよね。とにかく、「仙台から離れる」っていうのが第一目標。そして最終的には日本からも離れる。そのためには外国語学べばいいのか!と。で、各大学の看板学科を受けていったのです。青学なら英文、獨協大学ならドイツ語とか(適当だなあー)。東大も受けました。後期日程が余っていたので。前期日程は東京外語のインド語ね。一応リベンジ。そして一通り受かってしまったので、しょうがないからサイコロ振りました。ストーンズの「ダイスを転がせ!」をBGMにして。これも本当に実話です。真っ当な人間ならT大にいくよなあ 苦笑。

で、サイコロの目で出たのが上智大学イスパニア語学科。クラシックギターの先生に報告したら「じゃあ、スペイン関係に詳しいギターの先生紹介するね」ということで、東京に行ってからは手塚健旨先生のとこにレッスンに。

そして、東京。大学一年の時だったかな?…ホセ・ルイス・ゴンサレス先生の演奏会で2回目の「雷に打たれたような衝撃」。やっとクラシックギターの美しさと強さに目覚めました。今まで聴いてきたクラシックギターと全く違う。人生の中での二度目の「大きな雷」です。呆然としました。やっとちゃんと弾いてやるかー!って気になりました。おそーい。

そこからは大学の勉強とクラシックギターとバンドでエレキギター。バンドの方は大学1年の時に某大手音楽プロダクションとの伝手ができました。一応そのプロダクションに担当さんがいて「デビューまで面倒みるよー」ってことに。
ま、でも色々あって空中分解。その当時のドラマー氏がメジャーで音楽活動する気は無いっていうのが理由の1つ。他にもたくさん理由はありました。
というわけで、クラシックギターの方に専念するかーと。大学ではスペイン美術史の神吉敬三先生に可愛がってもらいました。スペイン美術史とか文化関係の方で研究者とかなるのもいいかなーなんて。当時は本当にスペイン文化関係の書籍とか片っ端から購入。卒論のために大学が買ってくれた音楽関係のスペイン語書籍とかも実は「僕がリクエスト」して買ってもらったものも多いんですよ。

そんな感じで、漠然と大学院でも行こうかなーとか考えてつつ就職活動もしました。一応内定もらいました。内定もらった瞬間に「なんか違う」と。で、お断り電話を。すっごい叱られました。今は日本を撤退した某外資証券会社です。その意味では入っていなくて良かったかなあ。しかも職種としては「広報」だしw

それならば大学院に行ってから人生については適当に考えよーと思っていたのですが、恩師神吉先生が「富川はギターで行くんだろ?一番好きなことやったらいいよ」と。そのあたりで、やっぱり行くしかないのかーと。一応、ホセルイス先生からは「お前はスペインでギター勉強したら上手くなる」みたいなことを言われていたので、それも後押ししてくれましたけど。

ま、とりあえず一年だけ留学して自分を試してみるかーと。5月くらいに出発したのですが、その直前に恩師神吉先生が急逝。ああ、もしかしたら大学院に行っても自分の後ろ盾がないから「ギターで行けば?」って言ったのかなあとか。最後に会った時に「老人性肺炎っていうのがあるんだよねえー」とか言いながらタバコ吸っていたのに。

何れにしてもホセルイス先生にも連絡をとり、クラシックギター留学に行くことに。一年間だけ行くのに手塚先生の寄せ書きは「石の上にも三年」。すげえ。結局、4年間いましたけどね。

ここまでがクラシックギターを始めて、クラシックギターで留学するまでのお話。

割と自分で決めたことってあんまりないなあーと。でも、すっごい雷が二回落ちてます。高橋竹山とホセ・ルイス・ゴンサレス先生。いまだに録音を聴くたびにその雷のゴロゴロが聞こえます。遠雷ですね。いつも鳴り続けているのかもしれません。
雷に打たれたらぼーっとするんでしょうね。心がグラグラする。言葉で説明できませんよね。それを解明したい。そう思って生きているんだと思います。そして、自分がそういう「雷を与えられる」演奏ができるようにならないとなあーと思って音楽を勉強してきています。
感動の正体を解き明かしたい。そして、教える場合にも、その「感動を与える」スキルを生徒さんに伝えたい。

というわけで、多分、クラシックギターという楽器を好きで始めたわけじゃないんですよね。

おそらく音楽をやりたかっただけなんです。小学生5年までまーーーったく音楽とか楽器演奏に無縁で生きていましたから。でも、雷を落とされた。その意味で一番感謝しなきゃいけないのは高橋竹山(初代)さんなんでしょうね。雷を落としてくれた竹山さんに感謝。
こういう言い方はなんですが、「クラシックギターが好き!」でスタートしなくて良かったと思う昨今です。割と楽器の中では「嫌いな」楽器がクラシックギターなのかもしれません。

今でも、趣味でやるならインドのバンスリーかフルートか尺八かな?なんて思っています。実際、バンスリーと尺八(一節切)は趣味で吹いてて良い音すると「スキー!!!」って女子高生みたいに叫びたくなります。
クラシックギターにはその感覚持ったことないんです。ホセ・ルイス先生の演奏で受けたあの衝撃を自分が他者に与えられるのか?…というところに執着してしまうんですよね。そのほか、セゴビアやリョベートなどなど…巨匠たちの演奏で「ワオーーー!」って雷落とされているんですが、その正体を突き詰めて自分の楽器で表現しようとすると楽しめないですよ。技術を考える。どうしても客観性を保とうとしてしまう。

このあたりが捻くれているので、レッスンに来た入門希望者に「どうしてクラシックギター始めたんですか?」と問うて、答えが「クラギが好きだからです」とかだと、ほんとー???好きなの?クラギが???と思ってしまうんです 苦笑。

楽器としてはクラシックギター好きじゃ無いんだよなーと最近特に思います。だからこそ「音楽的な音」や「人を衝き動かす音」を出そうと努力しています。
簡単に言えば、雷に打たれた経験を分析したいだけなのかもしれません。クラシックギターで20年間専業でやらせてもらっていて、教えたり、演奏したり、録音したり。教本出したりCD出したりしております。ああ、不思議だなあ。だからこそ「クラシックギターが俺を選んだ」と言えちゃうかなあと。

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