編集者と音楽家(故・小田桐伸氏に捧ぐ)
今まで出版関係の著作をたくさんやっている。基本的にヤマハのもの(yamaha music media)がほとんど。そして、そのほとんど全てで編集担当をしてくれたのが小田桐伸さんであった。かなり長期間の闘病の末に、2020年10月5日に亡くなった。かなりショックではあった。同い年であったけれども、ずっと「さん」づけでした。そのくらい温和で穏やかで、だけど、芯のある編集者でした。
コロナ禍のドタバタや個人的にもドタバタしていたので、今やっとこうやって何か書いてみようと思っています。
仕事っていうのは残る。小田桐さんと僕とで作った教本や曲集も残っていく。僕は著者であったり演奏者であるが、編集者の名がドーンと表に出ることはほとんどない。だけど、小田桐さんの「仕事」でもあるのだ。たくさんの時間を小田桐さんと共有した自分としては、やはり彼の仕事ぶりを記録に残しておきたいと。そう思った。
最初の関わり
最初の仕事はなんだっただろうか。何れにしてもかつて某編集プロダクションにいた方の紹介であった。「クラシックギターのことやらせるなら富川さんいるよー」みたいなノリであったと思う。2005年あたりからシンコーさんやヤマハさんのムック本にアレンジを提供したり奏法講座を提供したりしていたから、そのあたりの名前が残っていたのであろう。
そして、昔、シンプルにクラシックギター曲をアレンジした楽譜集があった。それが再装丁されて出版されて、やたらに売れていたと言うのもあるのかも。で、僕の名前を思い出したんだろう。
これが思っている以上に売れているのは知っていた。で、ヤマハさんの方で富川をクラシックギター関連の出版物に関わらせてみるかーと思ったのであろう。
そして、小田桐さんと引き合わされた。
高田馬場のyamaha music madiaの会社で打ち合わせを受けた時は「教本を書いて欲しい」とのことであったが、まずは他の仕事をやることに。
最初にやった本はこちら。
実はこの本の内容と構成は「既存のもの」である。元々は20年くらい前のものなんじゃないだろうか?
僕は録音と動画を担当。最後のお手本曲集の動画も担当した。内容は全て確認して、「この記述はまずいだろう」と言う古ーい考え方のある部分は項目ごと削除したりしたが、90パーセントは既存のものである。とはいえ、手間を省き再装版として出すためには、これが限界。
動画リンクがQRコードで読み取れると言うシステムを導入すると言うことが主眼であった。
ビデオ収録現場で、小田桐さんとあれこれを奏法説明や文言の微調整を行った。その中で小田桐さんと「現在の」クラシックギター奏法について共通の認識は持てたのではないかと思っている。
教科書を作る
実はこの時、企画が進んでいたのが「クラシックギターの教科書」である。もちろん、最初打ち合わせした時に「教本を書いて欲しい」ということだったので、あった時から概要をメールで小田桐さんとすり合わせはスタートしていた。
これはかなり自由に書かせていただいた。そして、とっても売れた。奏法解説の部分はむちゃくちゃ丁寧に書いた。既存の奏法本にはない「本当の技術」をしっかりと。とはいえ、全体の流れは「クラシックギターを俯瞰するもの」と言う観点に立たないとダメで、その調整役が小田桐さんだった。
実際のレッスンでは数ヶ月かけて行うプロセスを6ページ程度で説明しなくてはならない。もっともっと課題をたくさん与えながらやっていくべきところに、1つくらいしかエチュードを載せることしかできない…制限がたくさんあるんですよ。
この図は写真の方がいい…とか、これは写真の方がわかりやすいよねーとかそのあたりの判断も小田桐さんと共におこなった。
教科書っていう位置付けを考えてくれるといいんですよねーと小田桐さんはよく言っていた。教科書以外にもドリルや資料集みたいなものってありますもんね!・・・と僕は考えた。
そして、全楽譜に全部動画が付いているって言うのも、とてもよかった。そして、何よりも既存のクラシックギター愛好家の中で高い評価を得ていて、とても嬉しい。
そして、もう一度、言うが、「本当にむちゃくちゃ売れた」のだ。
2019年3月に発売し、あっという間に増刷になりました。
だから、小田桐さん曰く「今なら富川さんの言う企画なんでも通りますよ!」とのこと。ええーほんと?と思ったけれど、どこかのタイミングで言った「子供向けの教本作りたいよね」という企画を覚えていてくれた。
キッズ向けの教本をかく
小田桐さんが「子供向けの教本書きましょうよ」と言ってくれたので、やることにした。これは「クラシックギターの教科書」を書く際に、結構僕はレッスンで子供向けのテキストからスタートさせることが多いんですよねーと言ったことがきっかけでもあった。
で、そこから古今東西の「子供向け」ギターテキストを全部読み直した。やはり欧米のものや鈴木メソッドの影響を受けたものはとてもキャッチーだ。とりあえず音楽楽しみましょうよ!・・・そして、こっそりと音程感や音楽の力学を感じ取らせると言う体裁を取っている。このアイデアを元に書いていきました。
できました。
タイトルは「親子で学べる」としました。家族でわーーっとギター学ぶっていいよねーと言う発想。お父さんやお母さん向けのコメントもつけています。ある程度音楽経験がある方なら「この練習はそう言う意図があったのね」と思えるはず。そう言うコメントをつけました。
2020年1月に刊行されて、その直後コロナ禍のため緊急事態宣言へ。
そして、引きこもりのためギターをやる人も急増。おかげさまで、結構売れました。
次の展開へ
ちょうどその頃、ジャズギタリストの道下和彦さんと何か曲集作りたいねーって話もあって、それを小田桐さんに言ったところ、「それやりたいですねー」と。
かなり頻繁にメールのやり取りをしながら作っていきました。
この編集の最終段階は「コロナやべー」って時期でもあり、結構緊迫しておりました。小田桐さんも体調悪そうな感じ。でも、丁寧に作業を進めてくれました。
これが出た後に事後処理でメールをやり取りすることがあり、「コロナもあって、テレワークになってまーす」みたいなメールが来ました。「また飲みいきたいですね」って言うのが最後のメールになっちゃいました。
クラシックギターの教科書が出た後に、発売記念飲み会をやりました。
向かって左が小田桐さん。真ん中僕。向かって右にいるのが、かつての僕の編集担当関戸さん。僕と小田桐さんを繋いでくれた人です。
仕事離れても、小田桐さんの愛奏楽器であったベースのお話とか、編集話ばかり。楽譜の作り方の話や、あれこれ。みんな音楽好きだねー!って。この時の飲み会はほんと楽しかったな。
編集者の役割
編集者の役割は結構大変です。小田桐さんの場合は楽譜作りもきちんと前職の現場で修行した人であったので、そこにもこだわりがありました。あとは著作権関係の調整。「これは予算がかかりすぎるんで、別曲で」とか。そんなの著者にはわかりませんからねー。
あとはマーケティング的な部分。編集者がやりたい!と言うだけで会社は動かない。企画書を通して、営業さんを納得させる。何れにしても、やはりヤマハというブランドを背負っています。ヘンテコなものは出せないですもんね。
あとは撮影や録画などの手配や調整。
紙面のレイアウトなどなど…ほんとにたくさんのやることがあったのだと思います。
一緒に仕事をしていて、助かったのは、どんなにこちらがテンパっていても、穏やかで入れくれたこと。電車移動の間に校正紙の受け渡しなどをやったりしても、終始テンションは一緒。突発的な事件で電話しても、いつも穏やかで解決策や妥協策を提案してくれました。
小田桐さんと仕事をして、本当にたくさんのものを作れて、よかったなと。その意味で、この文章残してみましたが、やはり彼の1つ1つの言葉に「音楽への愛情」を感じたからこそ、彼のアドバイスや提案を大切に扱えたのも事実です。そして、僕もわがままを言えました。彼が丁寧にこちらの熱意を感じ取ってくれることがわかっていたからです。
そして、同い年でした。同じような時代を生きてきたので、なんとなく同じ感覚があるんです。いい意味で根性あるんですよ。
最後に
仕事でしか関わっていなかったのですが、良い仲間でした。もう少し、一緒に仕事したかったなーと思います。とは言え、結構な仕事量を一緒にやったなーとも思います。
実はかなり前から彼の病状のことは知っていました。1年以上に渡る闘病生活であっても、仕事現場では弱音を吐くこともなく。
一緒にものを作れて、本当に楽しかった。ありがとう、小田桐さん。