齢四十にしてWEBデザイナーを目指した話
こんにちは。Tomokoと申します。
まるみデザインファームにひっそりと生息しており、夏は子どもたちと体験農園にでかけたり、カブトムシを育てたり、さらにはそのカブトムシの幼虫を配ったりするなどしていました。そんな活動から、勝手にファームの畑担当と名乗っています。
お仕事は、システム会社のWEB部門で、パートタイムとしてデザインやコーディングを担当しています。
入社して4年目に突入しました。奇しくもファームと同学年で、なんだか親近感を覚えています。
プライベートでは、小学1年生のかわいい男女の双子の母です。運動不足で、気を抜くと太るのが最近の悩みです。
今日は、わたしのWEBデザイナーへの歩みを語ってみたいと思います。
華やかなものではなく、どちらかというとヨレヨレなのですが、こんなに心許なくてもできるんだと、少しでも勇気を感じてもらえるといいなと思っています。
01 きっかけ
「おまえ、これからどうするの?」
夫がこんなことを言ってきたのは、双子を出産して半年ほど経った頃でした。当時の私は40歳。家事とワンオペ育児に追われて、終わりのない祭りのような気持ちで毎日を過ごしていました。インスタグラムでハーフバースデーの写真を見かけるたび、「毎日こんなにも身も心も捧げているのに、どうしてさらにこれ以上のことをしてやらなきゃいけないんだ?」と思うくらい、心は荒んでいたと思います。
「うーん、保育園に預けたいから、育児に理解のある職場を見つけて、パートで働きたいな。事務とかがいいんだけど」
「ダメだ」
「はい?」
「金にならなくてもいいから、社会貢献か、自分がやりたいことじゃないとダメだ」
「え?やりたいこととかないし。子ども2人いるんだよ?働けるだけでもありがたいよ」
「いい加減な働き方をするな。社会貢献か、やりたいこと。それ以外は認めん」
おまえ、何様だよ、と思いました。
自分だって好きな仕事をしているわけでもないのに、なんで人の人生に口を出してくるんだよ、と。
そのときは、軽く口論になったような気がします。しかし、後日、夫が言ってきたのはこんな言葉でした。
「おまえ、WEBデザイナーとかやってみたらいいんじゃない?なんか向いてそうな気がするけど」
02 WEBデザイナーへの道を歩き始める
その時は、WEBデザイナーが何をする職業なのか、あまりよく分かっていませんでした。イラストレーターとかフォトショップとか触るのかな?それか、黒い画面に英語がいっぱい書いてあるやつ?うわ、むりだわ、くらいの感覚でした。
「とりあえず、スクールとか通って勉強するみたい。色々あるみたいだからちょっと見てみてよ。子ども?俺の母親に預ければいいじゃん。あ、学費は出すよ。気にするな、おまえへの投資だ」
夫からかけられたその言葉は、協力的なのかどうなのか、よく分からないものでした。
ちょっと困惑したものの、絵を描くこともデスクワークも嫌いではなく、また新しい世界の扉がちらりと見えたことで、少しわくわくした気持ちもありました。言われた通り、いくつかのスクールを調べ、その結果、最も受講時間の融通が利きそうな「デジタルハリウッドStudio名古屋」に通うことを決めました。
同時に、子どもたちの一時保育も探し、運良く市の一時保育に空きを見つけて、週2回、1日6時間ほど預けることにしました。
03 勉強開始!そして挫折
こうして、週に2日、デジハリに通う日々が始まりました。
朝、車で20分ほどの保育園に子どもたちを預け、その後30分かけてデジハリに向かいます。子どもたちを6時間預けても、実際に勉強できるのは約4時間。これではカリキュラムはこなせません。
そこで、スキマ時間や、みんなが寝静まった夜にも勉強を始めました。
ところが、壁が立ちはだかります。
子どもたちの発熱、病気です。保育園に行きだした子あるあるです。
この影響で、思うように通学できず、学習はどんどん遅れていきました。
本来なら1ヶ月で終えるはずのイラレ・フォトショの学習も、2ヶ月かかってようやく終わり、HTML/CSSに入ると、さらに進捗が遅れていきました。
全然分からないのです。
なんとか映像学習を終えたものの、頭に入った気がしませんでした。
焦りと裏腹に、疲労が溜まっていきます。
家事と育児の合間にスクールに通い、夜も学習する毎日。
でも、思うように進まないし、身につかない。
それでも、受講は終わりが来るわけで、「こんな状態で修了するの?それで、何が残るの?」という疑問が頭をよぎります。
これじゃだめだ、休学しよう。
しばらくスクールを休んで、その間に復習して、体制を立て直そうと決心しました。
そしてついに、夫に話すことに。
「休学したいんだけど…」
と、言ってみたものの、出資者である夫があっさり同意するはずがありません。
「どういうこと?休んで意味あるの?どういうプランなの?」
納得できない夫に、もともと言語化が苦手な上に、疲れ果てているわたしが理路整然と説明できるはずもなく、大ゲンカに発展しました。
最終的に、泣きながら「わたしを休ませろ!!!!!!!!!」と叫び、スクールはしばらく休学することになりました。
04 休学から、卒業まで
休学期間は具体的に決めていませんでしたが、子どもたちを保育園に入れることを考えると、だいたい2〜3ヶ月くらいを予定していました。休学中も、子どもたちの一時保育は続け、その間に自主学習を始めました。
このとき買ったのが「HTML&CSSとWebデザインが1冊できちんと身につく本」です。この本を1冊終えた後、デジハリの中間課題であった、WEBサイトのトップページのコーディングをしました。
どうも、ひとりでマイペースに学習するのは、わたしには向いていたようです。徐々に落ち着きを取り戻し、中間課題を終える頃には、「自分でできた!」という達成感と、少し自信もついていました。
そして、予定通り2ヶ月ほど休学した後、卒業課題に取り組むために復学しました。
復学にあたって、今までと同じやり方ではまた同じ轍を踏んでしまうと思いました。また、残された時間が少なく、卒業課題がどこまでできるか分かりません。
そこで、夫と義母に相談し、土日のどちらかも1日子どもたちをみてもらうことにしました。そして、無理に通学せず、先生に相談したいとき以外は家で制作することにしました。
卒業課題については、デジハリの先生に相談し、コーディングまでできなくとも、デザインだけは仕上げることにしました。
復学から2ヶ月後、家族の協力のもと、無事卒業課題(デザインだけですが)を仕上げることができました。
デジハリでは、卒業課題は受講生の前で発表します。そのなかで、かなりクオリティの高いものを2点制作し、発表していた人がいました。
制作時間を聞いてみたところ「ほぼ毎日、朝も夜もずっとやっていたので、どのくらい時間がかかったか分かりません」と答えられ、正直悔しかったです。
ともかくわたしも課題発表を終え、めでたく修了証を手にすることができたのでした。
05 はじめてのお仕事と、出会い
デジハリ修了後、最初に雇っていただいたのは、障害者支援をしている小さな会社のデザイン担当でした。WEBサイトを作る予定があるということで応募したのですが、実際の仕事は主にバナー制作と社内資料の作成でした。
バナー制作は初めての経験だったため、「他の人のデザインを真似してはいけない」という思い込みのもと、参考資料を隠れるように見ながら、なんとかそれっぽいものを作る日々が続きました。
周りに頼れる仲間はいませんでした。聞ける人も、アドバイスをくれる人もいない。デザイナーという仕事はなんて孤独なんだろう、と思い込んでいたその時、ふと、Twitter(現 X)で「WEBデザイナー」を検索してみることにしました。
その頃、Twitterは友達とのやりとりだけに使っていて、外部の情報にはほとんど触れていませんでした。検索機能があることに気づき、「WEBデザイナー」と入力してみたら…WEBデザイナーに関する情報がずらり!
プロのデザイナーから勉強中の人のつぶやき、Tips、講座のお知らせ、愚痴、悩み、デザイナーあるある…とにかくたくさん!と、目からウロコでした。自分がいかに狭い世界で生きていたかを痛感しました。
そこで目に止まったのが、現在株式会社キマルスの代表である、川端ふみさんが主宰する「ミューズ・アカデミー」でした。
いまはクローズしてしまいましたが、当時、ミューズ・アカデミーは、子育てをしながらWEB制作に携わる人や、WEBデザイナーを目指して勉強中のママたちが集まるコミュニティでした。同じ境遇の人たちがこんなにいたなんて!と感動したことを覚えています。
ちなみに、まるみデザインファームは、こちらのコミュニティー経由で知りました。わたしみたいな者が入ってもいいのかしらと、石橋を叩きまくって入会させていただきました。
そんなわけで、Xで情報を得つつ、ミューズ・アカデミーでコミュニケーションを取りつつ、日々の仕事をこなしていたある日、「親会社のWEBサイトのリニューアルを頼まれたんだけど、やる?」と声をかけられ、迷うことなく引き受けることにしました。
06 駆け出しデザイナー、WEBサイトを作る
リニューアルサイトは、だいたいのデザインや内容は決まっていて、ボリュームも少なく、デザインに関しては、悩みつつも、わりとスムーズに決まっていきました。
そしてここでもネックになったのがコーディングです。
デザイン通りにするためにどう書いたらいいか分からない、見た目は合っているものの、本当にこのコードでいいのか分からない。
そこで、ミューズ・アカデミーで相談して、ふみさんに紹介していただいたのが、ソースコード・ブルーのあざみさんでした。
書いたコードをレビューしてもらって、知らないことがたくさんあることが発覚。あざみさんの助言もあって、WEBサイト公開まで伴走をお願いしました。
いま、仕事の6割くらいはコーディングをしているのですが、初歩からつまずきまくったわたしが仕事ができるまでになったのは、このときのあざみさんのおかげです。足を向けては寝られません。
そしてなんとかリニューアルサイトも完成、無事公開できたのでした。
それからしばらくして、世の中にコロナが流行りだし、その影響を受けて事業は縮小傾向に。
パートだったわたしは、退職することになりました。
07 暗黒の就職活動
退職後、すぐに次の就職活動を始めました。
まずは数少ない公開可能なデザインを集めて、ポートフォリオを作成。ハローワークでは職務経歴書の書き方を教えてもらったりもしました。
しかし、デザイナーとしての経験が浅く、実績となるデザインもほとんどなかったためか、なかなかうまくいきませんでした。何十件もお祈りメールを受け取り、そのたびに理由を尋ねていたのですが、時には辛辣な回答をもらうこともあり、どんどん気持ちが落ち込んでいきました。
ある日、応募した会社の代表から1通のメールが届きました。
「うちでは採用できませんが、もしよろしければ一度お会いしてお話しませんか?」
すぐに返信し、会うことになりました。
自分の経歴や、就職活動がうまくいっていないことを話すと、
「うーん、本当にそこで働きたいの?仕事の内容じゃないよ、本当にその会社で働きたいかが大事だよ」と言われました。
恥ずかしながら、全然考えたことのなかったことだったので、ハッとしました。
さらに、職務経歴書についてもアドバイスをもらいました。「デザイナーなんだから、エクセルの決まったフォーマットじゃなくて、職務経歴書もひとつの作品として作ったらいいよ」など、自分にはなかった視点をたくさん教えてもらい、今思い返しても感謝の気持ちでいっぱいです。
この方にお会いしてから、就職活動への意識が大きく変わりました。
言われた通りに、ポートフォリオも職務経歴書も作り直しました。
意識が変わると、何かが変わるのか、作り直しが効いたのか、それからほどなくして、今の会社に採用してもらえることが決まりました。
08 いま、ここにいるわたし
あれから3年以上が経ちました。
入社直後は軽微な修正から始まり、今ではサイト制作を担当させてもらえるようになりました。まだまだひよっこで、チームメンバーの協力なしではとても立っていられませんし、他の「4年目」の方々に比べれば成長はかなり遅いと感じます。それでも、少しずつお役に立てるようになってきました。
さらに去年、女性制作ギルド「キユリアス」のメンバーにも加わり、デザインのアシスタントやお手伝いもさせていただいています。(ちなみに、現在メンバー募集中です!興味のある方はぜひチェックしてみてくださいね → キユリアスX)
ここまでこられたのは、わたし一人の力ではないと、今回このnoteを書きながら改めて実感しています。
家族や会社の仲間、そして迷うたびに手を差し伸べてくださった方々、まるみデザインファームをはじめとするコミュニティのみなさんのおかげです。感謝してもしきれないです。本当にありがとうございます。
これからも、さらなる飛躍を目指して、コツコツと努力を重ねていきたいと思います。ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
最後になりましたが、このnoteは、まるみデザインファームのアドベントカレンダー sideAに参加しています。
今年はsideBもあります!