社会人になったのだが、何故か自炊を始めている
……という題の近況報告。
(近況報告を投稿したブログは速やかに廃れるという自然法則)
Twitterと距離を置く作戦はぼちぼち成功している。
ほとんど全員をミュートしているので、誰がどうなっているのか、興味が湧かないと生死すら分からない。
(仕事を辞めたとかは驚かない、結婚したは驚く、驚いた)
プロセカのやりすぎで新しいTwitterアカウントができてしまったのだが、楽しいので何も問題はない。
(厳重な情報統制の賜物である)
私はどこから来たのか
開成を卒業してから、7年も経つ。
無事受験に失敗して、現役で慶應に入学した。
私ほど浪人に向かない者もないだろう、この考えは今でも変わっていない。
きっと、私が東大に入る世界線はないだろう。
結果として、慶應に入学したことで人生が豊かになったことは間違いない。
イマジナリー東大と比較してだが、経済的にゆとりがある者が多いと思う。
彼らは、価値の高い商品・役務を、相応の対価を払って享受することの素晴らしさをよく知っている。
成人して、呑むまいと誓った酒に呑まれることとなる。
若輩に価値の高い酒を与えた先達に感謝する他ない。
それ以外に、成人したことを認めるものはなかった。
なぜか留年した。
気持ちばかり履修科目を絞ったのがよくなかったようだ。
特に羞恥やら悲壮やらを感じることはなかった。
普段絡みのない高校同期の一人が心配して飲みに誘ってくれただけで、留年補償は十分だった。
(およそ留年するような人間ではなかった、任意の知人の評である)
理論物理学を見限って、実験物理学へ移った。
楽器を物理学的に解明し、DTMに活かそうと思ったのだが、突然気持ちが冷めた。
そんな一瞬の気の迷いのため、1年だけのつもりで選択した低温物理学をさらに2年続けることになる。
結局流れ着いた東大院での研究生活は、可もなく不可もないものだった。
いろいろあった気がするが、今思えば、あまりに些細なことでしかない。
物理学を手放してみれば、酒飲んで、たまに友人とゲームして……、私の手元に残っていたのはそれだけだった。
私は何者か
ということで現在は、特許技術者(Patent Engineer)として働いている。
特許技術者とは、主として特許の出願から権利化までを代行する者を指す。
具体的には、
<先行技術文献の調査>
発明が他人のパクりになっていないかを調べる。
パクりになっていると特許として認められない。
<特許出願>
発明を文章化して、法文書及び技術文書として特許庁に提出する。
権利主張の根拠となる文章の作成ということで、独特の作文能力が問われる。
<拒絶理由通知応答>
だいたい特許出願は拒絶されるので、拒絶確定にならないように補正などして対抗する。
審査官との論理による殴り合いである。
といった業務を行う。
文章を書くのが好きだというモチベーションでこの業界を志したが、目論見通り、現状は適性があるように感じる。
これを機に25年居座った埼玉を飛び出して、横浜と東京都心の間くらいに住んでいる。
近くの知人は是非何かに誘ってほしい。
私はどこへ行くのか
よくわからない。
楽しく生きれればそれでいいので、ふらふらどこかに流れ着くのはこれからも変わらないと思う。
基本的には知財専門の国家資格である弁理士を目指しつつ、特許技術者の能力を磨いていくこととなるだろう。
特許技術者が独特の作文能力を要する旨は先述の通り。
業務中、言葉遣い・文法遣いの考察が自然と伸びていくことになる。
是非、このnoteでも共有していきたい。
DTMを再開して、新たに作曲を始める向きにある。
今回は下積みをのんびりやっていくつもりで、1年以内に1曲できたらというくらいの気持ちである。
プロセカはまだ続きそうだ。
6月にはセカイシンフォニーがあるので、それまで死ぬわけにはいかない。
今のところ、これ以上に私が持っているものはないようだ。
増えるかもしれないし、減るかもしれない。
確定しているのは、増やそうとする心持ち、それだけである。
最後になって恐縮だが
このnoteは料理紹介をするものではない。