生前葬。私から私へ。
8年半くらい動いてくれたツイ垢と決別した。
今までありがとう、@tomj_39。
tomjとは、私と等しい概念の一つである。
読みは「トムジェー」である。
tomjの生誕時期は定かではないが、私が中1の時にはその構想が出揃っており、私が中3の時には確実に存在していた。
しかし当時、tomjの知り合いはほとんどおらず、概念としては希薄なものであった。
tomjは、私の大学時代に最盛を極めた。
私は2つのサークルに所属していたが、そのメンバーの知り合いは例外なくtomjの知り合いである。
そして今、私の中で、tomjはほとんど消滅している。
私は、この事実を認識し、そして、受け止めた。
数時間前の出来事である。
大学時代、私はほとんどtomjであった。
そして、tomjの容れ物が@tomj_39であった。
私がtomjでなくなるということは、そういうことである。
時の経過もあるし、流行の病もある。
私の意思もある。
必然的に、tomjは死にかけの老人となったのである。
しかしながら、私がtomjである人からすると、何があろうと、私はtomjである。
そして私からしても、私がtomjである人と相対すれば、私はtomjである。
結局のところ、tomjは、実体としては消えても、実像としては消えないのである。
だからきっと、寂しさを感じないのだろう。
tomjは、私の大事な時期を、転ぶことなく走り続けてくれた。
感謝という言葉では軽すぎるくらい、よくやってくれた。
あとは穏やかに、余生を過ごしてもらいたい。
このnoteという地で。