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つる舞う形の群馬県!

つる舞う形の群馬県!
群馬県民ならば知らない人はいない、上毛かるた一番の人気札でもある「つ」の読み札。

でも皆さん、群馬って「つる舞う形」って言われる前があったの知ってますか?

実は「つる舞う形」の前は「魚のエイの形」と言われていたんだそうです。海無し県の群馬が魚のエイの形!?なんでエイがつるに変わったんでしょう。形としてはエイの方がしっくりくるかも。海無し県だからエイはダメ?だったらつるも群馬にいないじゃん。
さてこれが今日の本題です。どうしても「つる」なんです。「つる」じゃなきゃダメなんです。その理由がだいぶ深いい話なので、ぜひ多くの皆さんに知ってほしいなって思います。

上毛かるたが発行されたのは、第二次世界大戦が終わった1945年のわずか2年後の1947年。戦争が終わった2年後に、かるたを作るってすごくないですか?上毛かるたは、それだけ大事な役目を任されていたんです。敗戦によって消されてしまうかもしれない、日本人の誇り、脈々と受け継がれてきた歴史・文化・伝統など、大切なことをかるたに詠んで、後世に伝えようとしたわけです。(「ら」の読み札がピンクなのはソレ)

いよいよ本題です。どうして「エイ」じゃなくて「つる」なのか。
その当時、ポツダム宣言を受諾して終戦となったにも関わらず、ソ連軍が、50万人を超える日本人をロシアのシベリアに連れていき、向こうで奴隷的な強制労働を日本人に強いたと言われています。シベリア抑留です。
それを受けて、シベリアの地で強制労働を強いられ、未だに日本に帰ってこれない家族や仲間たちが、
平和の象徴である「つる」の背中に乗って、
いつか無事に日本に帰ってこれるように。
もう二度と、こんな戦争が起こらないように。辺り一面が焼け野原となった群馬で、つるに祈りを託して想いを詠んだのが「つる舞う形の群馬県」なんです。
僕は正直、シベリア抑留って事件だって知らなかったし、これだけ子どもの頃から上毛かるたを暗唱してきたにも関わらず、つるにそんな想いが込められていたなんて全く知らなかったわけで。子どもの頃、「つる、ぜんぜん舞ってないじゃん。落ちていってるじゃん」なんて偉そう言っていたわけです。
今よくよく考えたら、シベリアから群馬に向かって飛んでいる角度そのものではないですか。

「上毛かるたの本当のメッセージは100年後の未来でわかると思うよ」
上毛かるたを作った浦野さんが残した言葉。

まずは知ることから。僕たちに託された想いや、平和への祈り願いを、一人ひとりがしっかりと考えなければならないと思います。僕らの目の前に当たり前のものなんて何一つない。だからすべてに感謝して、ひとつひとつと大切に向き合っていきましょう。

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