100年後の未来に向けたラブレター
※数年前に読売新聞に寄稿
上毛かるたは100年後の未来に向けたラブレター
僕群馬に帰ってきて活動。
県内各地で様々なイベントやお祭りなどに読んで頂き、多くの人と出会い、縁がつながり、群馬県のことをさらに深く知ることになりました。
すべて知ったつもりで「群馬には何もない」と嘆いて上京したわけですが、ごめんなさい!大きな間違いでした!
ファンの方に言われて印象に残っている言葉があります。
「アンカンミンカンの追っかけをしながら県内各地に足を運んでいると、まだまだ知らない群馬を知ることができて楽しい」と。
僕たちの存在意義がそこにありました。
知らないだけ。見ようとしないだけ。知れば知るほど故郷ってのは、誇るべき故郷だということがわかります。
僕たちは群馬をぜんぜん知りませんでした。
群馬を知る道しるべとして「上毛かるた」の存在は外せません。
小さい頃から半強制的に遊ばされることで、上の句を言えば下の句が返ってくる、群馬県民の合言葉。
この共通言語の存在が、群馬県民のアイデンティティーであり「なんだかんだ言っても、群馬が好き」につながっていると思います。
しかし今、コロナの影響で、上毛かるたの練習や大会が行えなくなっています。
それは由々しき事態で、この固有の文化が受け継がれなくなったら、それはもう群馬じゃありません。だからこそ、上毛かるたの価値を再考してみませんか。
上毛かるたをただの呪文で終わらせてはいけません。
僕たちはまだまだ群馬を知らなければ、上毛かるたの真なる価値も知らなかったことに気づけます。
上毛かるたを作られた浦野さんは「上毛かるたの意味は、100年後の日本でわかると思うよ」と、仰っていたそうです。「せ」や「あ」に代表される、環境への配慮、自然との折り合いの付け方は、現代の行き過ぎた発展に警鐘を鳴らすSDGsの視点だし、「お」の呑龍上人や「ぬ」の塩原太助翁らの功績は、つながりの希薄化が叫ばれる自分さえ良ければいいじゃんていう社会で失われた、利他の心の大切さを詠んでいます。
戦争が終わってすぐ、日本人の古き良き心を後世に伝え残す必要があると動き出した浦野さんがいて、県民の公募によるかるた作りを提案したキリスト教伝道者の須田さんらとの奇跡のような出会いがあり、太平洋戦争終戦の2年後に12000部ものかるたが初版されました。
その裏で、
遠いシベリアの地に連行されて強制労働(シベリア抑留)させられている仲間に想いを寄せて、
「平和の象徴である鶴の背中に乗って無事に日本に帰ってこれるように」と、
「つる舞う形の群馬県」と詠んだこと。
本当に凄いって思うし、このバトンを受け取って、僕たちはどう生きるか。
続きは、アンカンミンカン富所のYouTubeへ!