『Joker Folie A Deux』 あなたは監督からのメッセージに気づいたか
本作は、大ヒットした前作を補完した解説的作品、そして前作を全否定する作品となりました。
前作を大好きだった人ほど、やるせない思いになったに違いないです(かくいう私もそうです…)
しかしながら、後々考えてみると、非常に意味のある映画にも思えてきました。本記事では、ジョーカー2をどう見れば良いのかを考えていきたいと思います。
※本記事にはネタバレが含まれています。
ネタバレを見たくない方は続きを見ないようお願いいたします
ジョーカーとハーレイクインが好き放題暴れ回る映画を想像した?
我々は、ジョーカー(ホアキン)とリー(レディーガガ)が世界を好き放題荒らしまくる映画を期待していたでしょうか?
確かに、そのような期待をしてしまっていたのかもしれません。
しかしながら、監督はそのような映画を意図的に作りませんでした。
ジョーカーとリーが好き放題やるのは、あくまでアーサーの妄想の中でだけなのです。
まるで、お前らの見たい映画は断じて作ってやらんぞ、と言わんばかりです笑
しつこいくらいのミュージカル演出
作中には、何度もジョーカーとリーが歌うシーンが出てきます。
とにかくこれでもかというくらい出てきて、正直うんざりします。
これはおそらく、ジョーカーはアーサーや群衆の、妄想の中にしかいない存在なんだよ、前作を間違えて解釈した君たちには、これくらいしつこくしないと分からないよね?という監督からのメッセージだったのではないでしょうか?笑
アーサーの、「ジョーカーはいない」宣言
終盤のシーンで、アーサーはジョーカーなんていないんだ、ただのアーサー・フレックしかいないんだ、と告白します。
これは観客へのメッセージであり、
あなたたちが恋焦がれたジョーカーという存在は、妄想なんだよ、この世界にはいないんだよ、と宣言されてしまいます。
では、我々はどうやって生きていけばいいのか?
ジョーカーが妄想でしかない、と突きつけられ、では、何者でもない、世界の片隅でしか生きていけない私たちは、この先何を希望に生きていけば良いのでしょうか?
それは、映画のクレジットに流れる
「True love will find you in the end」にメッセージがありました。
つまり、真の愛があなたを見つけてくれるまで、諦めるなと。
誰かが本当のあなたを愛してくれるはずだ、と。
アーサーは、親からも愛されず、リーからはジョーカーとしての側面しか愛されず、本当のアーサーを愛してくれる人はいませんでした。
しかしながら、本当にアーサーにはなんの希望もなかったでしょうか?
アーサーを担当した弁護士もアーサーに寄り添ってくれていたし、元同僚のゲイリーは、アーサーの優しさに気づいていました。
(このゲイリーという存在は、アーサーにとって重要な意味をもたらし、アーサーがジョーカーとして演じ続けることを諦める一つのきっかけを作ったように思います。)
本当の自分を見てくれる人を探そうとすれば、そういう人が現れるはずだ、というわずかな希望が本作にも残されていた気がします。
世界に蔓延しているジョーカー的な扇動に踊らされず、本当の自分を見てくれる人を探して、大切にしろ、と。
そのような監督のメッセージを受け取ったように思います。
追記:
改めて考えてみると、作中のほとんどの歌はジョーカーとして歌われているのに対して、
ラストの「True love will find you in the end」だけ、アーサーとして歌われていることに気づきました。