ディレイ -ファミコン全ソフトを集めた男- #01(全13話)
#01 東方見文録
ブラウン管に、苦悶の表情を浮かべた男が映し出されている。
両手で頬を挟み、大口を開け、目を見開いたその顔はぐにゃりと湾曲していた。ムンクの「叫び」そのものの姿だ。
男の体は極小の四角形で成り立っていた。白、黒、青、赤、緑、紫――おびただしい数の四角形が彼を、そしてその背景を形成している。“ドット絵”と呼ばれるコンピュータグラフィック専用の技術で生み出された禍々しい光景から、平川光希は目を離せずにいた。
画面下のウィンドゥには、さらにメッセージが表示されている。
「おか~さ~ん おか・おか・おか~さ~ん…… おか~さ~ん おか・おか・おか~さ~ん おか~さ~ん………………」
何だこれは。
何なんだ、これは。
ブラウン管テレビと、それに繋げられたゲーム機の前で光希は放心する他なかった。
繋げられたゲーム機はファミコン――正式名称はファミリーコンピュータ。任天堂が1983年に発売した、昭和を代表する大ヒット玩具のひとつだ。80年代を無邪気に過ごした子どもの例に漏れず、光希もかつてこのゲーム機に夢中だった。『スーパーマリオブラザーズ』『ドラゴンクエスト』『ファイナルファンタジー』『プロ野球ファミリースタジアム』などなど、綺羅星の如き名作を遊び尽くしたものだ。
だがゲーム機の進化はとてつもなく早い。持ち歩けるゲーム機ゲームボーイが1989年、遥かに性能を上げた後継機スーパーファミコンが1990年に発売され、さらに1994年には“次世代機”と呼ばれるプレイステーションとセガサターンが登場した。ファミコンはすっかり型落ちの機種となり、多くの家庭で押し入れに片付けられてしまったのだ。
光希もまた、ファミコンのことなどすっかり忘れ去っていた。たまたま馴染みのゲームショップに行き、たまたま店の片隅のファミコンコーナーを覗くまでは。
次世代機もすっかりゲーマー達に浸透した1996年、わざわざ古臭いファミコンソフトを欲しがる者などいない。それらは申し訳程度にゲームショップやおもちゃ屋に残されていたものの、値段はほとんどが1本わずか数百円程度。早い話が投げ売られていた。
光希も別に、積極的にファミコンソフトが欲しくなったわけではない。手を出したのは、高校生で自由に使えるお金が少ないがゆえの苦肉の策でしかなかった。ゲームは好き、だけどお金はない。それなら安く買えるもので一週間も遊べれば、とりあえずの空腹は満たせるというものだ。
「きっとRPGやアドベンチャーゲームなら、それなりに長いプレイ時間は稼げることだろう」
「どうせなら遊んだことのないゲームがいい」
そんなことを考えながら、光希はファミコンの棚を物色する。その店はソフト単品売りでもディスプレイとしてゲームの箱が用意されていた。箱の裏面には大抵、そのゲームの画面写真や売りとなる部分が記載されている。それなりにゲームに触れ、ゲーム雑誌も隅から隅まで読み込んできた光希にとって、それらは内容を想像するに十分な情報となった。
ふと、指を止める。
光希が見たこともないゲームがあった。上手いのか下手なのか判断に苦しむイラスト、言葉にしがたいがパッケージ全体に漂う怪しい雰囲気、そしてジャンルはアドベンチャーゲーム。値段はソフトのみで500円。求めていた条件は全て満たしている。
「タイトルは『東方見文録』……? 東方見聞録じゃなくて? 誤字かな。まぁいいや」
深く考えることなく、光希はそのソフトをレジに持って行くことにした。
家に帰り、しまわれていたファミコン本体を探し出す。数年動かしていなかったが、テレビに繋げソフトを差すと問題なく起動できた。
13世紀にタイムスリップした現代の青年がマルコ・ポーロの旅に同行する――買ってきたゲームの筋書きはそんな内容だったが、そこに広がっていたのは壮大な歴史ロマンでも何でもない。時代設定などただの下地に過ぎず、その上で何故か現れるランプの精が異様に労働基準法を気にしながら活動し、呪いで大樹に背中合わせにされた恋人は主人公のチェーンソーで再会と絶命を遂げ、キリスト像が悪人にライダーキックをかます。本当にこれがあの「スーパーマリオ」や「ドラクエ」と同じ時代、同じゲーム機で発売されたものなのかと驚愕するばかりの、カオスと悪趣味にまみれていた。
だが、そんな破天荒な展開すらも前座に過ぎなかったと、やがて光希は思い知る。ムンクの「叫び」を模し「おか~さ~ん」と断末魔が続くエンディングは、それまでのインパクトすら軽々と彼方へ追いやるほどだった。
軽く一週間遊べたら?
とりあえずの空腹は満たせるだろう?
「何を思ってたんだ、俺は……」
エンディングを迎え、放心から立ち直った光希は独りつぶやいた。
すでにファミコンは遊び尽くしたつもりだった。もう時代遅れのオールドゲーム機だと思っていた。でも、全然違うじゃないか。現にこんなエネルギーに満ち満ちた怪作を見落としてたじゃないか。
「もしかしたら、まだファミコンにはこんな作品が眠っているのか?」
光希はゲーマーだ。面白そうと思ったゲームは片っ端から遊び尽くす。それを何よりの楽しみに、矜持にしてきた。
そして今、とっくに通り過ぎたはずの道に、実はまだまだ面白さが転がっていることに気づいた。いや、気づいてしまった。
だったらゲーマーとして、取るべき手段はひとつしかない。
――すべてのファミコンゲームを、遊び尽くしてやる。
【以下、各話リンク】
東方見文録