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自己紹介|自分、女風店長はじめました。

こんにちは、ガコといいます。
職業:女性用風俗店長(店名:青天の霹靂
社会人歴10年の先月無事に33歳になった女性です。

YouTube(SEIHEKIちゃんねる)にて、初投稿に店長ガコの自己紹介動画が上がっているのですが、実際45分ほど一人でべらべらしゃべっていた内容を敏腕編集者の超絶テクによりカットされておりまして、本編は14分と見やすい動画にまとめて下さっております…!


正直、わたしの自己紹介は上記動画を見ていただければ完結するな…と思ってしまい、noteに書くことがなくここ数カ月こねこねと自己紹介について書いては消して書いては消してを繰り返していました。


なので今回は上記動画とは異なる切り口でわたしのことをお話ししたいなと考えており、題して【何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよ】とします。いつぞやのネットミームですね。

わたし自身としては「好き」が共通する人より「嫌」が共通する人のほうが一緒に行動しやすいな?とは思っておりますが、今回はわたしの「好き」をベースにわたしのことを掘り下げてゆきます。


…といっても、わたしは好きなものがた~~~くさんあるので「好きな創作」を3つ厳選し、わたしが人生において受けた影響・どういったところが好きかを語ってまいりますね。


1、少女革命ウテナ
幾原邦彦氏監督のアニメ作品(1997年)
わたしが幼稚園~小学生になるあたりにリアルタイムで視聴していた大好きな作品。DVDボックス・コミックスともに購入済みで、おそらくシぬまで好きな作品の一つです。
…あらすじ…
幼い頃に自分を助けてくれた王子様に憧れ、自分も王子様になりたいと願うようになった少女・天上ウテナは、入学した鳳学園で「薔薇の花嫁」と呼ばれる少女・姫宮アンシーと出会う。エンゲージした者に「永遠」に至る「世界を革命する力」を与えるという「薔薇の花嫁」をかけて戦い続ける生徒会役員(デュエリスト)たちは、ウテナがかつて王子様から貰った指輪と同じ「薔薇の刻印」と呼ばれる指輪を持っていた。ウテナもまたこの決闘ゲームに巻き込まれ、その背後にある「世界の果て」へと迫っていく…。(Wikipediaより)

この物語にはたくさんの要素が含まれているがわたしが大きく影響を受けている要素が、
・友愛の尊重
・自己犠牲による世界の救済

にあると思います。

わたしはかなり「利他主義」な性格をしているため、ウテナでの自己犠牲による友人・世界の救済は心に大きく突き刺さりました。
たぶんわたしの人生の最終目標は《自分を燃やし尽くしてでも誰かのために尽力する》なのだと感じています

「自己犠牲による世界(好きな人)の救済」は幾原邦彦氏の多くの作品で見られる傾向で、わたしは幾原作品の新作が出るたびに胸を鷲掴みされているのです。

ちなみに、昨今はこの「自己犠牲」より「自己のために」のような物語が流行っているんですよね…。例えば「天気の子(新海誠監督作)」。
これは主人公が自分のために世界を犠牲にしたお話で、わたしの中では最悪のバットエンド作品…!と劇場で見たときに絶望した思い出があります…。(泣)

【自己犠牲による世界の救済】はわたしを語るうえで、なくてはならない要素の一つです。



2、レミゼラブル
今回はミュージカル映画「レミゼラブル」(2012年)を指します。
…あらすじ…
パンを盗んだ罪で19年間服役したジャン・バルジャンは、仮出獄後に再び盗みを働いてしまうが、罪を見逃してくれた司教に感銘を受けて改心する。その後運命的な出会いを果たした女性ファンテーヌから愛娘コゼットを託されたバルジャンは、執念深いジャベール警部の追跡を逃れ、パリへ。バルジャンとコゼットは親子として暮らすが、やがて激動の時代の波に飲まれていく…。(映画ドットコムより)

わたしは映画館であまりに泣きすぎて腰が抜け、エンドロール後もしばらく立ち上がれないほど打ちのめされました。

ただこれは、ジャン・バルジャン演じるヒュー・ジャックマンが実父に似ており(主観)、彼が悲惨な目にあっている映画を見ると苦しくて仕方なくなる・感情移入して仕方なくなる、というのも作用しているんですが…

ジャン・バルジャンはコゼットにとって、大いなる守護者です。

ジャン・バルジャンは、司祭から受けた赦免のため一生懸命社会貢献します。その中で助けられなかった女性の頼みでコゼットを保護し、大切に育て上げるのですが、淑女になったコゼットの危険を回避する他、彼女が恋に落ちた男性さえもコゼットのために命を懸けて救出し、やがて命尽き果てます。

わたしは心の底から、ジャン・バルジャンのような守護者を求めているのかもしれない、と近年になって気づき始めました。
同じく、彼のように人生の生きる目標が定まり、命を懸けてその目標を達成できることはとても幸せなんじゃないだろうかと感じています。

わたしは、ジャン・バルジャンのような守護者を求め、
ジャン・バルジャンのように誰かを守ってシにたい
のです。

ただわたしとしては、ジャン・バルジャンには報われてほしすぎるのでコゼットの子を抱き、さらにその子も抱き、大往生の末老衰とかで和やかに息を引き取ってくれればよいと思ってしまいますがね…
(本編でも穏やかな最期ですが、若すぎます)

19年も。19年もパンの窃盗(近所の子供が飢え死にしそうだったが、彼にもお金がなく盗むしかなかった)のみで投獄され(どうも獄中での態度が悪くて懲役を間延びさせられていたっぽいが…)その後の人生をはたして謳歌できたのでしょうか…美味いものをたらふく食べて、いっぱい寝てほしい…

猫とか…飼っていてほしい…
おねがい、ジャン・バルジャン。幸せになって…。




3、九時まで待って
田辺聖子著の小説(1988年)
…あらすじ…
蜜子は31歳。作家浅野稀と共棲みして5年。つつましいアパートから始まった暮らしは、稀が売れっ子になるにつれて豊かになっていく。甘え上手で子どものように寄りかかってくる男との生活。だが最近、彼は独身を装い、蜜子の存在を世間に隠すようになった…(Googleブックスより)

通っていた大学が某有名小説家の母校であったためか(女子大)
女流作家コーナーが図書館にあり読み漁っていて出会った作品。

20歳前後の女子が読むにはなかなかアダルティックな本著ですが、今後のわたしの貞操観念に大きな影響を与えております…。

田辺聖子氏の魅力のひとつは色とりどりに言語化された【愛の受け手の感情表現】だと考えていて、
文中に「(セックスで)愛の弾丸を全身にうける」のような表現があり、
絶賛超恋愛中であったわたしの心情を文字で起こされているようで感動した思い出があります。

また、当時他大学の教員と付き合っていたわたしは、当然周囲に口外しておらず「存在を隠される蜜子の気持ち」が痛いほどわかると感じていました

また稀は浮気性で、蜜子とは似つかない派手な美人をはべらせ売れっ子小説家らしく遊びふけります。
せめて隠してほしいものです。
わたしも浮気されたらどうしよう…と物語の蜜子に自分を置き換えて悲しんだりしておりました

当時からすると、ずっと大人の蜜子に自分を重ねていたのはすごく恥ずかしいですけどね。

で、いわゆる「話きこか」って男が寄ってくるわけです…。

うう…
身に覚えが…っ

こんな感じで、自身の経験と重ねて身震いさせられる作品ってマジですごいな?!?!って感じられる一冊です。大好きで、文庫本も電子書籍も
持ってます。(なんで?)



上記3つの作品を所感含めて紹介しました。(アニメ・映画・小説)
すごく考えあぐねた結果出した3つなのですが、

・友愛
・自己犠牲
・性愛

わたしの人生でとても大きな理念で、それをよく代表している3つなのかなと思います。(性愛は主に③だけですが)

なんかさ…
幸せになれなさそうな並びじゃない????笑


友達に利用された結果シにそう…!!!笑


ただわたしは、
・優しく
・利他的で
・とても明るい

ので、正直「不幸せになりようがない」と感じています。


世の中にはテイカー気質の方が多くいますが、
わたしはあくまで与える者でありたい。
ずっとずーーっとそうあれるように、好きなものを増やしながら、毎日楽しく生きてゆきたいですね。(現状そうなれているかはわからないですが、努力していきたいです)

以上、自己紹介でした!


PS/テイカーは容赦なく切り捨てるのでご容赦を!

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