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承認欲求は「創作のエネルギー」になる話

いつもお世話になります。

現在、イキリ厨二病ポエム旅シリーズ『蒸発紀行Season2 〜青森から東京まで歩く旅〜』を更新中のtomiryuです。


当シリーズは全て、まずは自分が気持ちよくなるための動画構成で作っています。


頑張ることの中にも、何らかの快感が得られなければ継続できません。

伸びるYouTuberは、世間の需要に合わせたカジュアルな心地よさを目指し、Googleが方針とする諸々に合わせた動画作りをしています。


・・・というより、人気な発信者はそれをナチュラルにできるのかな?とも思っています。


僕の場合、ややこしい人間なのでそうもいきません。


動画を伸ばすためには・・・などという、「ねばならない」が浮かんだ時点で義務感が生まれてしまい、やる気が失せます。


僕のスタンスは、「自分が気持ちいいと思える創作物を、他人も一緒に気持ちよくなってくれるか。」を前提としているため、かなりクセのあるチャンネルになっています。


YouTubeというポップなフィールドで「これが俺の表現だ!」と、場違いな考えを持っていることは自覚しているので、ご安心ください。



典型的な売れないバンドマンのような我の強さといえばいいでしょうか。



もし誰かと組んでいたとしたら、かなり早い段階で「音楽性の違い」などと言って即解散していたことだと思います。


しかし、この「融通の効かない頑固さ」が僕の原動力であり、継続の支えであり、自分でいうのもアレですが、世界観に繋がっているのも事実です。



YouTube自体は2009年から趣味でやっていましたが、発信者として食っていく方向で始動したのは2018年です。



多くのYouTuberが辞めていく中で、2025年現在でもそれなりにクオリティを保って週1投稿を続けられているのは、結構しぶとい方ではないでしょうか。



とはいえ2021年から2022年の末まで、ほぼ更新が途切れていたというか、やる気がなくなっていた時期も確かにありました。



その原因は、「動画がバズってしまった」ことでした。


バズることによる 「終わりの始まり。」



バズるというのは一般的に見れば良いことですが、僕にとってそれは終わりの始まりでした。

一時期、少し得意だからという理由で投稿していた自重トレーニングのサーキット動画が、2020年のコロナパンデミックと合わせて再生数が上がり、その方向性で絞らざるを得なくなったからです。



YouTubeのアルゴリズム上、一度伸びた筋トレジャンルで統一した方が優遇されやすく、おすすめ動画に乗りやすくなるといった性質があります。


僕は実のところ筋トレ発信の情熱はあまりなかったため、そのジレンマによって足を止めてしまいました。

筋トレサーキット動画なんて実際のところ誰でもそれなりに作れますし、僕でなくても事足ります。一時期、「少し得意」という浅はかな原動力で筋トレ動画を作ってしまったことがよくありませんでした。


当時は世間からの需要はあったものの、本当の意味で情熱を持てるようなジャンルではありませんでした。バズっても波に乗って更新を続けることはできず、一気に再生数も減ってモチベーションも低下して、だんだん無気力状態になっていきます。


そこで気づけたのは、「自分ならではの創造性を生かしたスタンスで、かつそれに共鳴してくれる存在がいないと続けられない」というものでした。


健全な承認欲求を満たしていく。




僕にとって承認欲求は必ずしも悪いものではありません。



「自分が作ったものを誰かが観てくれる」ということは、創作への原動力になります。


もちろん「自分なりの創造をする」という点においては、自己満足的にある程度は楽しめるのですが、やはり自己完結だと虚しさが残ってしまいます。


パブリックな場所に創作物をポツンと置くことが楽しい。


結局は「これが俺なんだ!見てくれ!」という姿勢を中心に置きつつ、それを楽しんでくれて、感動してくれる人がいてこそ"本当のやりがい"に繋がるのかなと改めて感じました。


本質を見失う「モチベ上げ」の罠



"本当のやりがい"というのは、モチベーションとか、やる気とかそんな空虚な概念とは真反対にあるものではないでしょうか。



「外に吐き出したいものがある」
「抑えきれない排泄欲」


このような煩悩じみた欲求こそが、モチベーション云々を超えるブレないエネルギーであると思います。


頑張るためのエネルギーの源泉はもちろん人によって違いますが、僕の場合は完全に「自分が創造したものに共鳴してくれる人がいること」を核として歯車が回っています。


とにかく、現在の発信フィールドはYouTubeではありますが、心は一丁前のアーティストを気取っているということです。


昨今では「生産性」やら「ルーティン」やら「モチベーション」など、令和式の努力主義が流行っていますが、もはやその次元ではありません。



僕が思うのは、人それぞれ「魂レベルでやりたいコト」を見つけられるかゲームだと思います。

ルーティンを守って生産性のある毎日を送っているとしても、根本的な部分で本当にそれがやりたいものでなければ、その先には虚しさしかありません。


「それって、、、本当にやりたいことなの?」と、ワンポイントで刺された瞬間にうずくまってしまうものではないでしょうか。


少し風が吹いたら崩壊してしまう空箱を積み上げているようなものではないでしょうか。


努力主義の落とし穴、空虚さ。



努力主義にここまで疑問を持てるのは、恥ずかしながら僕自身がそのような過去を辿ったことがあるからであり、そんな情報に振り回される人たちの気持ちも痛いほどわかるからです。


僕が上京をしたのは、パルクールが得意でアクロバットパフォーマーとして生きていきたいと思ったことがキッカケでした。



そしていざその世界に入った瞬間に「あ、これ合わないわ…何かになりきって表現なんて恥ずかしすぎる。」と、しょうもない性格の部分で致命的な弱点を悟り、夢から覚めたという情けない経験があります。


そこから路頭に迷い、東京でその日暮らしのバイト生活が始まるわけですが・・・(この話は長いので省略)


とにかく、何を目指せばいいのかわからない人たちにとって「努力しようとしている自分がいる感覚」というのは、たとえそれがゴマカシだとしても、一つの心の安定剤になるわけです。


僕自身も20代の頃は、自分の本質はそこにあるはずがないのに、「努力するための本」なんか読んで、ずっと空回りしていました。



「とりあえず、ルーティンを守って生産的に日常を送れたら人生が良くなるはず…!」


この考えは本当に落とし穴であり、さらに迷宮の奥に入る行為でもあります。

余裕のない状態で広い視野を持つことはできません。


簡単に夢なんて見つけられませんし、そもそも無気力な毎日を送る自分に嫌気が募っていくばかりですよね。


周りからはボケッとしているように見えても、心では常に悶々としていて、どんよりとしたものがこびりついていることも理解できます。


吹っ切れるキッカケをくれた人物との出会い



しかし、そこに救いがないのかといえば、いずれ何らかの形で機会は巡ってきます。


悶絶空回り期間もいずれは過ぎ去るもので、僕にとっては必要な過程だったと思える日がやってきました。


「君、いいじゃん。」

「君は本当の自分に戻らないと本領発揮できないよ。」

「自分を剥き出しにして、吹っ切れたらうまくいくよ。」


上京して6年目、そう断言してくれる賢者との出会いがあり、自然消滅しつつあったYouTubeを再始動し、人生の再スタートを切ることができました。


「何が正解なのかわからない」という迷宮にいた時期は長かったですが、そのような出会いもあって、28歳の頃にようやく「恥を受け入れて、自分を解放してイキリ散らかすしかない。」という厨二病かつ片道切符の決断ができました。


かっこつけた言い方をすれば、「発信者として、自分の名前だけで生きていく覚悟」が定まったと思います。


そこからYouTubeを再始動し、東京から京都まで歩く企画を借金しながら決行し、借金カミングアウト動画で大恥をかき、故郷に転がり込んで一年かけて借金を完済し、また新しい旅企画を始めて、今に至ります。


次は東京に再チャレンジして「ソノヒグラシ」なんていうタイトルでシリーズを始めて、狭い部屋の日常を映し始めているのかもしれません。


自分をマゾな状況に蹴飛ばすと本質が見えてくる。



とにかく、ここまでのドン詰まりをマゾな荒療治で解消し、なんとか延命することができました。

そんなマヌケな姿を世に晒すことは辛いですが、一方で開放感も確かにありました。(どうせ人間いつか死にますし。)


そんなヘンテコな過程を送る中で、YouTubeの継続も当たり前になり、モチベーションやらやる気やら、そんなものを超える確実な土台ができあがった気がします。


「好きだからコレをやる」ではなく、「コレしかないから、コレでイキる。」です。


「生きる」ではなく「イキる」が重要。


難しい表現にはなりますが、「イキリ要素を足してやりがいを見出せるようになった」といえばいいでしょうか。


もっと簡単に、「自分に酔えるようになった」とも言えます。



とにかく、ここに至るまでは長らく漂流しました。


本から得た少しのヒント、僕の可能性を信じてくれる賢者と出会えたこと、全て「もがき続けた結果」だと思っています。


なんだか自慢っぽくなってしまいましたが、もちろん頑張ってもがいていたという自己満アピールだけではありません。


それに至るまでは、「オレ何やってんだろ。」と、無駄に棒立ちしている期間も長かったです。


人との出会いは「運」でもありますが、その運を引き寄せるには、やっぱりもがき続けることが大事なんだと思います。


自分の力だけでは、本当の意味で生きる軸を見つけられなかったことでしょう。

ギリギリの水面でなんとか息をしている状態の中でも、静かに「いい流れ」や「チャンス」が必ずきます。


とにかく、どんな道のりでも「わからなくていいから、もがくしかない」というのが、僕が唯一唱えられる答えになると思います。


いずれ点と点が繋がる時が来ると信じて、心を保つしかないと思います。


ただの錯覚でも、生み出せたらそれでいい。



ここまで偉そうなことを言いましたが、もしかしたら僕自身これも本当のやりたいことはなく、あらゆる消去法から生まれた錯覚に陥っているのかも知れません。


でもとりあえずは、「自分を解放してイキる。」ことを軸にできたので、今は平気でYouTubeで恥を晒している段階です。


僕にはダサさもあって、気を抜くと虚栄心が生まれてしまい、自分を良く見せようとする弱さも出てしまうので、本当にそこは気をつけていきたいところです。


とはいえ、今ではそんなイキリが原動力なので、このイキリの先は天国なのか地獄なのか、どこに着地するのか見守っていきたいと思います。


もし「モチベーションが・・・」「やりたいことが・・・」など迷っている方にとって、この記事がヒントになれば幸いです。


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とみりゅうの衝動的遊戯
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