②東京から京都へ徒歩で向かった話 【蒸発紀行 3日目】
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3日目・奇跡のトリップ体験
戸塚のホテルで目覚める。
天気だけでなく、昨晩までの鬱蒼とした気分も晴れていた。
足の痛みも随分と引いていた。
幸先は良い。
荷物はもともと10kg強だったが、これが何日も続くとなると体が持たない。1日目のように後半から極端にペースが落ちる可能性を考慮し、悩んだ結果2kgのテントとキャンプ用マットを手放すことにした。
長距離の歩行旅では、たった数グラムの重さが体力を大きく蝕んでいく。
2kg弱も軽くなるのであれば、手放さない手はないだろう。
最初にテント類を持っていたのは、宿泊施設が手頃な場所になかった場合の保険のようなものだった。
来るのかもわからない"もしもの時"を案じて、慢性的な犠牲を払うのは馬鹿らしい。
そうして、これからはホテルなどの宿泊施設を利用するしか選択肢がなくなった。当然、野宿も覚悟していた。
早速フロントスタッフにお願いして、テント類を大分県にある実家に配送手配してもらった。
バックパックの総重量は、10kg強からちょうど8kgになった。
午前5時40分、戸塚駅周辺のビジネスホテルを出発。
京都までおよそ460kmだ。
戸塚の街には妙な親近感を覚え、居心地が良かった。
建物の間隔はほどよく広く、ビルと青空のわけ目がはっきりした綺麗な街だ。
5月24日。6月を手前にして早朝は肌寒い。
格好は半袖半ズボンだが、数時間後にはすぐに暑い気候に変わるため気にせず歩き続ける。
東海道のルートに従い、戸塚宿の本陣跡を写真に収める。
特に日本史的な歩き方はしていないのだが、なんとなく記録に残したかったのだ。
個人経営の中華料理屋や学習塾などが混在する並木道をまっすぐ進んでいく。
途中から国道を右に外れて少し進むと、その奥には雑木に守られるようにひっそりと神社がたたずんでいた。
何かに祈ったり崇めたりする習慣はないが、今回ばかりは災厄を避けて最後までやり遂げたい思いが強かったのだろう。
本坪鈴を無意識に振り鳴らしていた。
次は藤沢市に向かう。
国道の左側の歩道に移り、僕の背丈よりも少し高い積みブロック壁のすぐ横を歩く。
その上面にはまだ咲いていないアサガオが歩道に沿うように植えられていて、その葉には艶やかな雫が乗っていた。
東海道の経路で戸塚区をひたすら歩いていく。
この辺りは高低差のある立体的な地形で、道路が複雑に入り込んでいる。
東海道から低地に繋がる傾斜の強い階段の側にいくと、集合住宅と一軒家が無造作に並び建つ穏やかな風景が広がっていた。
午前6時で空が澄んでいることもあって、その奥の小さな山もクッキリと見えていた。
「今日はいい日だ」
清々しい朝だった。
舗装工事現場を避けて進み、小道に入る。
マンションの敷地で4人の高齢者が囲うように向かい合ってラジオ体操をしている。その通りを抜けてまた国道に戻ると、富士山が見えてきた。
東京からでも富士山を見ることができるが、いつもよりも身近に感じられる距離になっていた。
藤沢市まであと4kmだ。
7時を前にコンビニに立ち寄り、おにぎりとスナック菓子、缶のブラックコーヒーを買って歩き出す。
道中、堂々とそびえるラブホテルが目に入った。
TSUBAKI、いかがわしいネーミングである。
この時期、青々とした草木が並ぶ東海道はとても歩きやすい。江戸時代を通して植えられた並木は旅人を雪風から守り、強い日差しを木漏れ日に変えてくれる存在だ。
快適な道を上機嫌で歩き続ける。
青空と建造物のくっきりとした切れ目がひとつの絵のように見えた。
バス停では高校生や勤労者が横並びで待ち、少し通りすぎたところに2匹のカラスが餌を探しながらアスファルトで跳ねている。僕が進行方向のままに近づくと、すぐさま飛び立って器用に電線に乗る。
普段なら気にも留めない日常を感じながら、ただひたすらに西へ歩く。
ふと素に戻り、左の脛の周辺が痛みはじめていることに気づいた。
「シンスプリントかな・・・」
痛みの原因はなんとなく察していた。
安物の靴を履いて重い荷物を背負い、アスファルトを踏み続けていたら当然の結果である。
7時20分、いつの間にか藤沢市の大鋸という町に入っていた。
少し足を休めるために歩道の端のわずかなスペースに腰かける。
塩味のスナックにチョコレートがコーティングされた菓子を半分ほど食べ、コーヒーで流し込む。
目の前を中年女性が犬の散歩をしながら通り過ぎる。
「よし、行くか」
初日に比べて気分は健やかだ。
普段でも午前中は快活に動けるものではあるが、この日は細胞部分からその好調さを実感できていたように思う。感覚が開きはじめていた。
ひたすら赤レンガの歩道を進みつづけ、気温も少し上がり、心地よい風が肌に触れる。
国道から右にはずれて、落ち着いた集合住宅の通りに入る。
横並びに歩く低学年であろう小学生たちとすれ違う。
図画工作の課題を済ませたとか済ませていないとか、そんな話をしながら登校していた。
少し進むと、積みブロック壁と草木に囲まれた下り坂があった。
右手には石造物群があり、木々のわずかなスペースから藤沢の町を眺めることができた。
マップを確認して坂を下りていく。
下りた先には丁字路があり、右手から通勤中のサラリーマンが現れ、交差するように電動自転車に乗った主婦に見える人が左から横切る。
そのすぐあとに、坂道を下った勢いのまま男子高校生が後方から颯爽と自転車で僕を追い抜き、右へ曲がる。
僕も丁字路を右に曲がると、どこか懐かしさを感じる風景が広がっていた。
7時50分ごろに藤沢市本町の藤沢宿に到着。
順調に東海道のルートを歩けているようだ。
藤沢の町からは穏やかなノスタルジーを感じる。
藤沢市は何度か友人と一緒に江ノ島駅への乗り換えで降りたことがあるが、東海道の通りに入るのは初めてだった。
こんな場所もあったのかと、まるで違う国に入ったような新鮮な気持ちになった。
歩きながら藤沢の町並みを眺める。
学生、会社員、家族連れがそれぞれのペースで町を往来している。
この瞬間、なぜだかわからないが日常の一体感のようなものが感じ取れた気がした。集合的無意識のようなものだろうか。
少しずつ気分が高揚してくる。
幸せなどという表面的な感情を超えたもの。
形容しがたい心の高まりが全身の血液を巡っているようだった。
ランナーが僕を追い抜く。
夏を目前に青く茂った草木、まばらに立ち並ぶ民家の間を車が交差し、通りの先を見上げると富士山の頂上が綺麗に見える。
"ただの日常"がこんなにも輝いて見えるのはなぜだろうか。
非現実的でオカルトめいていると思われても仕方ないと思う。
一応断っておくと、僕は裏で流通している"ブツ"とは無縁の人生を歩んでいる。
この感覚は健全で合法なトリップ体験であると胸を張って言いたい。真っ当な内発的トリップである。
科学的な話をすれば、セロトニン、オキシトシン、ドーパミンと言われる『幸せホルモン』が過剰に分泌されてハイになっていたのかもしれない。
エネルギーが有り余っている朝の時間帯にコーヒーを飲み、日を浴びながらリズム良く歩いていたことが影響したとも言えるが、それだけでは説明がつかないような強烈な感覚だった。
まるで地球を抱きしめたくなるような、全ての過去を許せるような、そんな高いエネルギーに満たされた感覚だった。
「やべー」
はなはだしい勘違いなのかも知れない。
恥ずかしい話、感極まって涙が出てきたのだ。
軽快に歩き続ける。
体操服を着た3人組の小学生とすれ違う。
走りながら「みんな着席してるかも〜」と楽しそうに話していた。
「そろそろ僕も着席しようかな」
ようやく休めそうな場所に着いて『緑の広場』と書かれた看板のそばにあるベンチに座った。
8時20分、スタートしてから3時間半経っていた。
木陰ということもあってか、周囲を虫が飛び回っていて落ち着けなかった。
5分程度の休憩でも十分に回復できた。
先へ進み、茅ヶ崎市に入る。
路面や植木、建造物など町全体の広さや色合いが良く、歩いていて心地いい。
イヤホンをつけて、ジ○リ映画のアレンジサウンドトラックを聴きながら上機嫌に歩く。曲はオーケストラバージョンのせいだろうか、盛り上がり部分ではディ○ニーランドで流れそうな曲調に変わった。
ディ○ニーは個人的にあまり好みではないが、好調な精神状態も相まって夢のような気分になった。多分、食わず嫌いをしていたのだと思う。
歩き続けていると、当然だが足の痛みが強くなってきた。
座れるような場所がなかったため、周辺の『上正寺』というお寺へ向かうことにした。寺域に入って少し見回した後、寺付近の駐車場際のわずかなスペースに座りこんだ。
茅ヶ崎一里塚の石碑を一瞥し、地下通路を通り抜けると茅ヶ崎駅前に着いた。
近くの100円均一ショップに寄り、テーピングとインソールを買った。
次に休憩できる場所を見つけたら、足の痛みを和らげるための処置をしようと考えていた。
入り口に提灯がぶら下げられた中華食堂、小綺麗な一軒家、まばらに行き交う人や自動車。湘南エリアの一部として人気のある町だということもあり、とても住みやすそうな空気を感じた。
『千の川』の短い橋を渡りながら標識を見る。
左に行けば湘南海岸、まっすぐ進めば平塚市だ。
平塚方面に向かって進んでいくと、焼肉店の裏側にひと休憩できそうな場所を見つけた。
休みながら左足の脛にテーピングを巻き、そこに伸縮サポーターを被せた。
足を締め付けるような感覚が心地いい。
10分ほど休んでまた歩き始めると、足への負担が大きく改善されていた。
これまでは一歩一歩進むたびに脛にキリキリとした痛みを感じていたが、テーピングとサポーターのおかげで負荷を分散できているようだった。
足取りが軽くなり、一つの不安も消えて再び気分が高揚してくる。
マイナスがゼロに戻る時、ストレスから解放されて物事がフラットになる瞬間は嬉しいものである。
思わず一人で笑ってしまうほどだった。
今日はなぜだろうか、全ての景色が綺麗に見える。
そして、相模川に架かる『馬入橋』を手前に、今までに感じたことのない恍惚感を覚えた。
橋を渡りながら、魂が震えるほどの強烈な喜び、絶頂を大いに噛み締める。
大袈裟かもしれないが、いま命が終わっても惜しくはないとすら感じたほどだった。
しかし冷静に考えれば、目の前の生活費や破滅的な現状に憂いを感じていてもおかしくない。
むしろ旅によって借金がさらに増えて取り返しがつかなくなる可能性だってある。実際、旅を決める前は不安で仕方なかったのだ。
逆に言えば、無鉄砲な旅をしている状況が感覚を研ぎ澄ませ、必要以上に高揚させていたのかもしれない。
この貴重な瞬間を収めるべく、動画撮影をしながら喜びを実況する。
海から漂ってくる磯の香り、西へ伸びる東海道の線路、海に反射する太陽の光。
全てが色鮮やかに見え、歓喜とはこういうことなのだろうと実感した。
まさかこんな体験ができるとは思いもしなかった。
そうして橋を越え、平塚駅前に着いた。
藤沢市に入ってから橋を越えるまでの断続的な恍惚感はなんだったのだろうか。『馬入橋』を渡っている時が喜びのピークだったように思う。
名残り惜しいが、平塚市に着いてからその感覚は薄まってしまった。
ただの躁状態であったなら笑える話だが、どうやら気分の波だけではないという実感と確信があった。
平塚の市街地を抜ける手前、2〜3人が座れるようなベンチに腰掛けた。
靴紐を解いて裸足になり、街並みをただ見ている。
集団の幼稚園児たちが目の前を歩き、「こんにちは!」と無邪気に挨拶をしてくれた。
特別子どもが好きというわけではないが、この時は心がオープンになっていたおかげか、声をかけてもらえてとても嬉しかった。
平塚宿本陣跡を通り過ぎ、12時前に大磯町の高麗という地域に着いた。
市街地から離れて山が近くなり、景色も開けてきた。
橋を渡りながら川を眺める。
今日はどこまで行けるのか、そもそもどこへ宿泊するのか。
どうせなら行き当たりばったりで楽しんでいこうと思いながら歩き続ける。
正午の鐘が鳴る。
ふと道路標識が目に入り確認してみると、小田原まであと21kmあった。
歩道を歩きながら右方向に視線を向けると『高来神社』と書かれた灰色の鳥居があり、その奥には山中に通じた長い通りがあった。
不気味さと崇高さが混ざり合ったような不思議な感覚を覚えた。
人が誰もいないせいだろうか、通りからは冷たく空虚なムードを感じる。
そして、なぜだかわからないがつい目を奪われていた。
深部に建っているであろう拝殿に寄ってみたい気持ちに駆られたが、今回は諦めて先を急ぐことにした。
時間と体力の消耗を考えたらロスが大きすぎる距離だった。
「いつかまた来よう。」
バックパックを持ち上げて肩に掛ける。
マップで小田原市浜町にある小田原宿本陣跡をマークし、ひたすら歩き続ける。
到着まで4時間と表示されているが、マップの基準ではあくまで"手ぶらの人間が一定の速度を保って歩いた場合"という設定だ。
バックパックを背負って足の痛みを庇いながら歩くことを考えると、1〜2時間のロスも含めて見積もらなければならない。
途中、自転車が3〜4倍ほどの速さですぐそばを通り過ぎた。
反対側の歩道へ向かい、横断してレールを乗り越える。
そのまま進むとイタリアンチェーン店があり、ようやく休憩できる場所を見つけて安心した。
大磯町に入ってからは大通りと少しの民家があるだけで、立ち寄れるようなお店はなかった。
店に入り、隅の席に座ってひとまず適当にスパゲティを注文した。
隣の席では5〜6人の主婦らしき人たちが女子会を楽しんでいた。
モバイルバッテリーを充電しながら、できたてのトマトソーススパゲティを食べる。
暑い中でひたすら歩き続けていたこともあり、あまり食欲がなく味わえなかった。
目的は足を休めることだったため、ひとまず休憩できて良かった。
ひと息ついて、イタリアン店を後にする。
駅や役場などがある大磯町の本通りに着き、『太平洋岸自転車道はこちら』という看板が目に入った。
ちょうど海を眺めたい気分だったこともあり、左へ曲がって照ヶ崎海岸の自転車道を歩くことにした。
おおよそ100mほど歩いて太平洋岸自転車道に入る。
バイパス越しに大海原が広がっていた。
絶景に心を打たれ、足取りが軽くなる。
つい笑みが浮かぶ。
今日は一体どうしたのだろうか、ものすごく解放的な気分だ。
自転車道では、海から吹く風とバイパスの車の往来が激しい。
あらゆる騒音で周りの音がほとんど聞こえない状況だ。
「今だ…!」と思った。
思い切り叫びたい衝動に駆られたのだ。
念のため周りを確認し、ゆっくりと息を吸う。
その瞬間、腹の底から雄叫びを上げた。
そしてできる限りの高音で奇声のようなものを発した。猛獣の咆哮にも劣らない発声だ。
我ながら奇行が過ぎていると思ったが、内側にあるドロドロとしたものを発散できた清々しさがあった。
普段から無意識的に鬱屈していたのだろうか。
そして、あの奇声を誰にも聞かれていなかったことを祈りたい。
そのまま自転車道を直進しようとも思ったが、休憩できるような場所やコンビニなどが無いため内側の県道に戻ることにした。
戻る道中、海岸付近には民宿や別荘のような家がところどころに建っていた。
13時半、西小磯の県道に入って小田原方面へ。
足の疲れと痛みを顕著に感じはじめ、休憩スペースを探しながら歩く。
右方向に老人ホームのような施設があり、その周辺のスペースに座り込んだ。
静かに吹く風が優しく肌に触れる。
15分ほどの休憩を取りながら、茅ヶ崎の100円均一ショップで購入した衝撃吸収インソールを靴に入れた。
立ち上がって歩き始める。
靴幅の遊びがなくなり窮屈に感じたが、足裏への負担は明らかに減っていた。これならしばらく痛みを気にせず歩けそうだ。
クラフトコーラを片手に歩き続け、気になる場所があれば少しだけ寄り道をする。
二宮町に入り、梅入川の短い橋を渡る。
この辺りから、午前中から続いていた楽しさや幸福感みたいなものがすっかりと消えてしまった。
とはいえ旅に疲れてしまったのではなく、あくまで一時的にそのような状態になっているだけだということもわかっていた。
良い状態も悪い状態も永久には続かない。
明日の午前中になればまた叫び狂っている可能性も大いにあるのだ。
そうなれば躁鬱を疑うべきかも知れないが・・・。
14時56分、二宮町の山西にある小さな広場で小休憩を取る。
処置を施したとはいえ、歩き続けているとどうにも足が痛くなる。
これは仕方のないことだとひたすら進んでいくと、いつの間にか元気を取り戻せていた。
物事には波があるということを改めて認識する。
民家がところどころに増え、いつの間にか小田原市に入っていた。
左側の歩道を歩き続けていると景色が開けてきて、広大なオーシャンビューを眺めることができた。
海沿いのバイパスもまだ続いているようだ。
左右の歩道を行ったり来たりして景色の変化を楽しめるのは、歩き旅ならではの醍醐味だと思う。
森戸川を越えたあたりから雲行きが怪しくなっていたが、小田原市内の宿泊施設に泊まるつもりだったため特に気にはならなかった。
進んでいるとさらに建物がまばらになってきて、ファミレスやしゃぶしゃぶバイキングなどの大手チェーン店が見えてきた。
歩道も広くなり、立派な松の木が目立つ。
小田原の穏やかな町並みに温もりを感じた。
関東に住んでからは、新宿までの区間を往復する小田急電鉄は何度も利用していたが、実際に小田原に来たのは初めてだった。
歩いていると体操服を着た中学生とすれ違い、もうそんな時間になったのかと、ふと思う。
足の痛みも激しかったが、もはや歩き旅は"そういうものなんだ"という諦めもあり、あまり考えないように歩き続けた。
1日の後半は痛みとの戦いである。
16時半ごろに小田原市の西酒匂に入った。
目の前には『さかわ川』という大きな河川が広がっていて、立派な橋が架けられていた。
前方から橋を渡りきった高校生のカップルが歩いてくる。
すれ違い、橋を渡り始めた。
右を見れば大きな河川敷と山々、左を見れば川と海の境目、バイパスや太平洋が見える。
夕方の適度な気温の中、程よく風が吹いていて気持ちがいい。
どこか感傷的な気持ちになった。
河川の方を眺めていると、カモメのような鳥が空を切った。
「そろそろ宿でも探さないとな・・・」
橋を渡り終えて17時手前になり、レンガ模様の宿泊施設が目に入った。
「ビジネスHOTEL」と書かれているが、「旅館」とも書かれている。不思議だ。
伺う手前、インターネットでこのホテルをの情報を調べた。
一泊4,000円、なかなかの優良物件に巡り会えたかもしれない。
早速行ってみることにする。
建物に入るなり、言いようのない不安を覚えた。
目の前にはオレンジ色のスチールドア、右手にはエレベーター、その近くには大型犬の置物が置かれてある。
建物としては築年数の古いマンションといったところだろうか。
館内のうす暗さと漂う湿気にどこか心細さを感じた。
非日常な旅につきまとう不安や孤独が、過剰なほどに僕を神経質にさせていた。
目の前には管理室のような部屋がある。
ドアの右手にはインターホンがあり、その面を無理やり被せるようにメモ用紙がガムテープで固定されていた。
メモ用紙には「御用の方はドアを叩いてください」とマジックペンで書かれている。
恐る恐るドアをノックしたが、返答がない。
「こんにちはー」
声を張って挨拶をしてみる。
「はーい」
部屋の奥の方から女性の快活な返答が聞こえてきた。
数秒待ち、ドアが開くとマスクをした中年の女性が出てきた。
改めてお互い挨拶を交わし、泊まれるかを確認する。
──泊まれますよ。
「ここってホテルみたいな感じですか?」
──うん普通の旅館・・・地方の。
──泊まりたい?
「あー・・・おいくらですかね?」
──あのね、税込み・・・ごめんね6,600円なの。大丈夫?高い?
「あの4,000円ってインターネットに書かれてて・・・」
──え!?ここ?素泊まり?
「そうですね・・・」
──どっから来たの?
「東京から歩いて・・・」
──ええ!そうなの!?
──どこまで行こうとしてんの?
「・・・京都まで」
──やるじゃん〜。
──4,000円〜?
「書いてたんですけどね〜」
「ちょっと貧乏旅をしてて・・・」
──MAXいくら!?
どうやら先客では通常料金で対応していたそうだが、間をとって5,000円という値段で特別に乗ってくれた。
──わかった!5,000円ならいいよ。
「本当ですか、助かります。」
鍵を持って来てもらい、一緒に部屋に入るなり簡単な案内が始まった。
部屋の中はうす暗く、古民家のような雰囲気だ。
入り口から見ると、手前には10畳ほどの広いダイニングがある。
その奥には3〜4畳ほどの和室が2箇所、ふすまで仕切られる形でとなり合っていた。
一人で使うにはもったいないほどの広さだ。
どうやら全国から学生が団体で利用することが多いらしい。
部活の合宿で利用することもあるのだろう。
──本当は5,500円取りたいよ〜おばちゃ〜ん。
とてもありがたい条件だとも思ったが、同時にその広さとレトロな空間に、どこか薄気味悪さも感じてしまった。
「おばけとか出ないですよね?笑」
冗談を飛ばすような口調で聞いてみる。
──出ないに決まってんじゃーん!
軽快に会話をしながら説明を受ける。
どうやらこの旅館の"カミさん"が倒れてしまったそうで、評判の刺身料理などのサービスが提供できなくなったらしい。
そのため代わりに臨時で出ているそうだ。
一通りの説明が終わる。
──じゃあここでいい?
「はい、あー現金のみですか?」
──現金がいい。
「下ろさないと、ないかも知れないです」
──どーすんのよじゃあ。
「あ、下ろしてくるっていうか・・・」
──どこにもないよ、コンビニ。
──ここからひたすら真っ直ぐ行って15分かかるよ?
正直、長く歩き過ぎたせいで足首が腫れている。
わざわざ遠くまで下ろしに行くのは面倒だ。
加えて、不穏に感じてしまう宿への抵抗感もあり、もはやここではなくてもいいのではないかと思い始めた。
「どうしようかな諦めようかな・・・」
──諦めるー?じゃあしょうがないね。
──現金じゃないとダメなのおばちゃんち。残念だね。
部屋を出て、エレベーターに乗る。
──で、もし、また言って?そしたら。
「あー、また、無かったら・・・」
──そうそう、行ってらっしゃーい。
ひとまず東海道の地点確認として小田原宿跡地へ行く。ついでに手頃なネットカフェやホテルが近くにないか探した。
・・・数分探して、他に安宿がないことを悟った。
足を引きずりながらコンビニへ向かう。
ATMで5,000円を下ろした。
旅館に戻り、再びドアをノックする。
──あー!どうしたの?
「戻りました」
──戻って来ちゃった!?
「5,000円下ろして来ました」
──ホント?やるじゃん〜。
部屋に入り、宿泊代を支払う。
おばちゃんが「本当は5,500円取りたい」と言っていたことを思い出し、5,500円を渡した。
──あら、いいの?ありがとね〜。
もう一つ理由がある。
「幽霊とか出ないですよね?」と、冗談であれ言葉を選ばなかったことへの後ろめたさがあったからだ。
おばちゃんの好意に甘えることも一つの礼儀だと思うが、この旅ではとにかく過剰に考えすぎていた。
余計な不安を感じるのもきっとそのせいだろう。
非日常だからか、いらぬ感受性が働いているようだった。
そんなこんなで宿が決まり、荷物を降ろして座り込んだ。
とにかく足を冷やしたい。
マップの確認中、この周辺に温泉施設があったことを思い出し、水風呂でアイシングをしたいと思った。
早速出発しようとしたが、どうやら準備した靴下全てを戸塚のホテルに忘れてきてしまったようだ。
仕方なく、蒸れた靴下を履き直して温泉施設へ向かう。
夕焼けを眺めながら川沿いを歩く。
道中、コンビニで3足分の靴下を買った。
20分ほど歩いて到着したが、残念なことに休日だった。
諦めて旅館へ戻ることにする。
そのついでに、夕飯として近くのタンメンのチェーン店に入った。
タンメンはさっぱりしていて、特にこれといった印象は受けなかった。
とりあえず腹は満たせたため、宿に戻る。
湯船に水を貯めて、足を突っ込む。
夏手前の季節だということもあり、あまり冷たくはなかった。
足首が腫れ上がっていて、ズキズキして痛い。
「この旅館、流石に製氷機はないよなあ・・・」
部屋の電話を使い、管理室にいるおばちゃんに聞いてみた。
数分後、ノック音が鳴る。
──大丈夫あんた〜。
──ゴメンね〜入っていい?見せてごらんよ。大丈夫私おばさんだから。
保冷剤と薄いタオルを持ってきてくれていた。
──これでさあ、自分で巻いてみてごらん?
──やだもう〜〜〜。
──痛み止め持ってきてやろうか?
ロキソニン(痛み止め錠剤)を2錠もらい、明日に備えて飲んだ。
おばちゃんはとても覇気があり、その口数と勢いに圧倒されていた。
詳しくは話せないが、おばちゃんは東京の最も盛んな場所に住んでいて、どうやらアウトローな関わりの中で生きているらしい。
どうりで、どこか恐ろしげな雰囲気はそれだったのかと納得する。
喋り口調やふるまい、雰囲気全体として修羅場をくぐってきたような威勢をまとっていた。
ハッキリ言ってしまえば、出会い頭から少し怖い印象を感じていたのだ。
しかし実際に接していると、徐々にその人となりや包容力に安心感を覚えた。
おばちゃんが部屋に戻り、少し経ってから電話がかかってきた。
──明日、チェックアウトはいつでもいいからね。
おばちゃんにはとてもお世話になった。
旅を通して誰かの手厚い親切を受ける。
人との繋がりは大切にしなければならないと感じた。
22時になり、布団に入る。
明日は難関の箱根越えだ。
一晩でなんとか足の腫れが引いてくれたら嬉しいが、明日になってみないと正直わからない。
他にも心配事がある。
九州から台風が来ているようだから、できれば急いで京都へ向かいたい。
あまり悠長な旅はできないのだ。
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