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勉強会会場費の支援をやめて差し入れを持っていくことにした理由
開発本部 People Experience チーム Developer Concource Unit 兼 Garoon MATSULI チームの西原@tomio2480 です.この記事では数年前から取り組んでいる勉強会やカンファレンスへの差し入れについて,どうして持っていくことにしたのかをお話しします.
特に今回は物理会場の話をするため,オンライン会場については必ずしもビタっと当てはまらないかもしれませんが,その点はご了承ください.
技術系コミュニティ活動の肝は会場
先日あった PHP カンファレンス名古屋 2025 でも話しましたが,技術系コミュニティが活動を続けていく上で,会場の存在は極めて重要です.会場だけあれば LT 会でももくもく会でも BoF でもなんでもなんとでもなります.
しばらくやっていく中で大体はひとつの会場に絞られ,確保できないときにはもうひとつふたつの別案を使う流れに落ち着くのではないでしょうか.
空間であればどこも変わらないと思っていると,コミュニティの発展や定着がなかなかうまく進みません.というのも,自分たちのホームはここだという安心感や,集まっていろいろやってきた思い出と会場が紐づいた愛着だったりが,思いのほかアイデンティティの形成に影響を与えるからです.
また,会場を自分たちだけで工面できることも必要で,確保に自分たち以外の意思が関わる場所だと,どうしても遠慮が発生したり,状況が変わって借りるのが難しくなりやすかったりと,「勉強会なんか会場取るだけでいつでもやれる」という勢いを失わせる要因になりかねません.
そういった点でも,PHP カンファレンス名古屋 2025 のふりかえり記事で触れたとおり,自分は住んでいる地域の公民館を利用することを推しています.最も平等に,第三者の思惑が入り込みにくい仕組みで会場が提供されるため,手続きが面倒でも,施設設備の心許なさがあっても,5 年 10 年とコミュニティを続けていくのならば,明らかにこちらの方が優れます.
会場が存在することに加えコントローラブルであることが,コミュニティにとって極めて重要であることを説明しましたので,次は会場提供と会場費支援について述べます.
会場提供と会場費支援
会場提供
サイボウズではいくつかの条件を満たした限られた場合にのみ,各地のオフィスを会場として提供しています,この会場提供もいつまで続くかわからなりませんが,多くのコミュニティに活用され,サイボウズのメンバーがふらっと勉強会に立ち寄るたくさんのきっかけをいただきました.
先に述べたとおり,会場にアイデンティティが見出されるのは,どこも変わらないと思いますが,会によってはコミュニティ的に続けて行こうとは思っていなくて,単発の勉強会やカンファレンスをやりたいという方もいらっしゃることでしょう.そういったときは,一時的だったとしてもその瞬間が満たされる,企業の会場提供は使い勝手がいいものと思います.
特に東京 23 区をはじめとする都市圏では,公民館の確保が難しかったり,そもそも住んでもいなければ働いている会社もその区にはなく申請できなかったりなど,同じ興味範囲で協力的な企業を探す方が手っ取り早いことも少なくないでしょう.また,都市圏であれば広報や採用の観点からのスポンサーという,資本主義的な発想での協力関係も築きやすいかと思います.
一方,都市圏を離れると地域の地縁をベースに物事が考えられる傾向にあり,その場合の会場提供は,地域の活性化や地域住民に対する応援の色合いが濃くなってきます.この点,都市圏を離れたところの企業はコミュニティとともにあることも少なくなく,都市圏よりは心理的距離が近いように思います.
一個人としては,会場は公営施設を利用したほうが継続性や愛着の観点から優れるように思いつつも,単発であることや企業との関係をつくること,ビジネス要素を持ち込みたいことなどの状況に応じて,企業からの会場提供の方が優れることもあるのかなと感じています.
会場費支援
会場を直接提供して支援できるのはあくまでもオフィスのある都市だけになります.そうすると,全国各地からリモートで働いてくれているメンバーがいるサイボウズでは,彼らの住む都市での勉強会の支援ができないこともあり得ました.一般的なスポンサーのような形で金銭を支援することは,資本主義社会の現代ではスポンサーメリットなるものがないと難しく,なかなか単純には行きません.
そこで編み出されたのが会場費を負担するという取り組みです.数回やってみましたが,以下の要因からこの取り組みは取りやめました.
特定企業が肩代わりすることで,商業イベントとみなされ,負担金額や守るべきルールが増えてしまう.
会社のメンバーが立て替える形で費用負担しないと,経費精算がややこしくなる.
会場費を参加者で折半しないことによる,主体性や当事者意識の欠如を引き起こしかねない.
以上のとおり,大人たちで割り勘すれば済むような会場費のことだけで,これだけの面倒ごとを増やしてしまうことがわかりました.
正直やり始める前から,当事者以外には伝わりにくい,はまりの悪さを感じていたのですが,いざやってみて自分がことばにできなかった違和感はこういうことだったのか,と気づくことができました.なんだか筋が悪そうだと思うことの多くは,筋が悪そうだからやらない,という形で経験を積むこともなさそうなものですが,やってみるのも(痛みは伴うけれども)悪くはないのかもしれません.
なぜ会場費支援の代わりに差し入れなのか
一つは先にも書いたとおりで,自分たち自身で勉強会の根幹たる部分はコントロールできているという気持ちと,実際そうであることが大事なため,勉強会をやれるかやれないかに影響する部分には手をかけないということに気を配りました.
本当ならその会に沿ったいい内容の発表や,ワークショップなんかを持っていくことがベストだと思っています.ただ,初めて行くためどんな会かわからなかったり,その勉強会に足を運べる人がそのコンテンツを持っていなかったりと,なかなか安定しません.
また,会場以外にもたとえば機材は運営に必須なため,誰が来るとか来ないとかに影響されず,勉強会のメンバーでやりくりできた方がいいため,これも手をかけるべきではないと判断しました.
そこで,あったら嬉しいが,なくてもなんとかなるもので,運営が用意すると負担が増すものは何か,と思案しました.その結果が差し入れです.会を開いてくれていることに敬意を払いつつ,コミュニティ内の交流促進に寄与できるもので,勉強会に華やぎを持たせる方法の一つとして,現段階ではこれに落ち着いています.
流氷交差点というコンテンツも同じ発想で,あったら嬉しいが,なくてもなんとかなるものとして,コミュニティのこだわりや現在を伝えるコンテンツがあったらいいのではないか,という発想から生まれたものです.
勉強会やコミュニティを運営していると,これやりたいなとか,手が空いたらやろうかなとか,いろいろネタ自体はあるものの,実際にやるとなると大変で諦めていることがいくらでもあります.これらをメンバーに強制すると,コミュニティの継続性に影響しますし,やると言い出せばみんなががんばっちゃうから言えないということ,ありませんでしょうか.
自分自身が運営側として立っている際に,コミュニティの体力を奪わずに,コミュニティの自走力を削がないで,やってもらえると嬉しいことを考えて実行した結果が差し入れという結論です.
コミュニティの存在がエンジニアを育てる
これらのコミュニティに育てられた人が,ゆくゆくは我々と同じ業界で働いてくれるかもしれません.これらのコミュニティがなければ,我々と同じ業界を目指さなかった人もいるかもしれません.
何かをしたからといって,必ず期待する効果が得られるものではありません.こういった地道な活動の積み重ねが,可能性を引き上げていくものだし,引き上げられた可能性をものにしていく覚悟で関わりつづけることでのみ,結果が作り出されます.
しかし,それだけの覚悟を持って関わろうと思っていても,企業の人として中に入って活動するのは大抵の場合は踏み込み過ぎでしょう.であれば,無責任にコミュニティの生死に関わるところに手をかけるべきではないはずです.よきバランスで自分たちに何ができるのか,そしてそのエコシステムを壊さず,郷にいれば郷に従えを地で行きながら,自分たちにとっては何が嬉しいのかも同時に考えていく必要があります.
この考え方に至るまで,いくつか参考にしたものがあります.その中でも最も根幹たる部分に影響を与えているのは,関係人口の考え方です.技術系コミュニティにおける関係人口の考え方については,過去の発表資料を見ていただけたら,幾分かは伝わることかと思います.
エンジニア文化への寄り添い
お金を払えばほぼ必ず何かが手に入ることが保証された社会の中で,こういった無形の奉仕に支えられた活動の効果は低く見積もられがちだなと,感じることもままあります.その後のケアやメンテナンスについても無頓着で,点で物事を考えて評価したつもりになっていないか,自分も反省しなければと,記事を書いていて改めて思いました.
公と私の間にある第三の場の価値を正しく評価して,継続的に文化として支援できることを引き続き模索していきます.