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轍
冨永裕輔
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※試聴版。オリジナル版(04:13)は購入後に視聴可能。
こんばんは。
今日は天赦日、天恩日、月徳日が重なり2020年でも3番目に縁起の良い開運日だと言われています。
そんな日には、過去と未来を今に繋ぎ、希望へと進んでいける楽曲をあなたに届けたいと思います。
Tokyo Star Radio「冨永裕輔 癒しの森 八王子時間」で10月1日に初オンエアした、2008年制作当時の幻の音源『轍 〜この道〜』をnote限定初配信します。
今夜もセルフライナーノーツとともにお楽しみください。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ラジオでも触れましたが、制作のきっかけはある社歌のコンテストでした。
結果的にはそのコンテストとは縁がありませんでしたが、ヒット曲というものを常に求めて楽曲制作に向き合う日々のなか、初めて“社歌”という楽曲の在り方を意識した体験でした。
ヒットチャートばかりではなく、ほかにも親しまれ繰り返し歌われる楽曲の在り方がある。ある意味、灯台下暗しというか、社歌や校歌、応援ソングなど、自分たちの身近なところに大切な歌はあったのです。
範囲が狭いとしてもそこに生きる人の心に深く届く歌ができたとしたら、とてつもなく長い時の中で歌われることになります。
そしてそのような対象に向けた歌は、まさにぼくらしい楽曲の作り方だとのちのち気づいていくことになるのです。
初めから万人に届けようとすると、結局だれに届けたらいいかわからなくなります。
例えば、全校朝礼でつい眠たくなってしまう校長先生の話を聞いた経験は、誰しも子供の時にあるのではないでしょうか。
その言葉が自分のためのものだと自覚できていなかった自分が悪いのかもしれませんが、漠然と全員に向けられた良い話はなかなか心に深く刺さってこないものです。
反対に、今この瞬間に自分のために向けられていると認識すると、一生忘れられない金言を得られるかもしれません。
歌にも似たところがあって、万人に向けた良い歌を書こうとすると、それは結局どこにでもあるだれにも届かない歌になってしまいます。
範囲は狭くても、深く届く歌は強い歌であり、結果的には思っていたよりも遥かに広く届き、長く歌われ残るのです。
これを書きながらふと、古関裕而氏のことを思い出しました。
まさにそれぞれの応援ソングや校歌などを数多く残され、その集積は広く長く歌い継がれています。
さて、明確なビジョンを持って書いたこの楽曲には力があり、その後コンサートの最後の一曲として必ず歌うこともあった大切な楽曲になりました。
誰に届けるか、そして誰に歌われるかをしっかり意識して楽曲制作に向き合うと、おのずと自分自身の人生観など、作り物では対峙できない物語性が求められます。
このような考え方は、楽曲作りのヒントにもなるのではないでしょうか。
宙に浮いてしまう歌ではなく、しっかり作り手から聴き手に届ける歌を作る。
これ以降、そのような意識がより強くなりました。
ところで冒頭に、その時のコンテストでは縁がなかったと書きました。
実は、その話をぼくが受け取った時には既にコンテスト締め切り後だったという事実を、後から知らされたのです。
さて、これは全然残念な話ではなくて、ぼくはこう受け取りました。
そのコンテストでぼくがタイアップを決める必要は、ぼくの人生の物語にはなかった。
だけど、この先の未来に本当にぼくと縁がある会社、学校、人物に、相応しい歌を書ける気づきを得て、実力を蓄える必要があった。
だから、そのきっかけをいただいたんだと。
そしてその後、縁のある社歌、校歌、応援ソングなどタイアップソングを書かせていただくようになりました。
そのはじめの一歩、大切な楽曲がこの2008年の音源『轍 〜この道〜』です。
そして、2013年にアルバム「INSPIRE」で初音源化されたときにはカットされた幻の2番Aメロは、このバージョンだけに入っています。
そのシーンにも重なる、校庭にまっすぐ伸びる道をジャケットに選びました。
ぼくたちは未来のことなんかまだ何もわからなかった頃、青空に向かって夢中で走り抜けた道の先を今、生きているんだと思います。
この先の未来も当然わかりません。
だけど、あの頃みたいに青空に向かって走り抜けたらいいんじゃないでしょうか。
時には転ぶこともあるかもしれません。
涙に濡れることもあるでしょう。
それでもぼくたちの道は続いていきます。
そしてぼくたちが生きた道の足跡が、いつか誰かの轍になっていくんだと思います。道は、物語は、未来に続いていきます。
ぼくにとっても音楽家として走り続ける大切な視点に気づかせてくれたこの楽曲を、どうぞお楽しみください。
「轍 ~この道~」 作詞・作曲/冨永裕輔
この道を走っていく 道なき道を進んでいく
そうさ 僕の足跡が 明日誰かの轍になる
この道を走ってきた たとえ涙に濡れた道も
走り出せば 虹色の明日に架ける橋になるから
歌声が聴こえる 100年の物語が
果てしない未来へと 希望の道を描いていく
青い空に弧を架けた 白いボールに夢を乗せて
七色のラケットで 心の会話 君としたね
声をなくし眠った夜 温もりくれた夢枕で
君の手の大きさは 今でも僕の心を包む
呼んでる声がする まだ僕ら道の途中
果てしない未来へと 希望の道を走っていく
今、声を合わせて 一緒に歌おうよ
果てしない未来へと 希望の声を響かせて
この道を走っていく 道なき道を進んでいく
そうさ 僕の足跡が 明日誰かの轍になる
明日誰かの轍になる
今日は天赦日、天恩日、月徳日が重なり2020年でも3番目に縁起の良い開運日だと言われています。
そんな日には、過去と未来を今に繋ぎ、希望へと進んでいける楽曲をあなたに届けたいと思います。
Tokyo Star Radio「冨永裕輔 癒しの森 八王子時間」で10月1日に初オンエアした、2008年制作当時の幻の音源『轍 〜この道〜』をnote限定初配信します。
今夜もセルフライナーノーツとともにお楽しみください。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ラジオでも触れましたが、制作のきっかけはある社歌のコンテストでした。
結果的にはそのコンテストとは縁がありませんでしたが、ヒット曲というものを常に求めて楽曲制作に向き合う日々のなか、初めて“社歌”という楽曲の在り方を意識した体験でした。
ヒットチャートばかりではなく、ほかにも親しまれ繰り返し歌われる楽曲の在り方がある。ある意味、灯台下暗しというか、社歌や校歌、応援ソングなど、自分たちの身近なところに大切な歌はあったのです。
範囲が狭いとしてもそこに生きる人の心に深く届く歌ができたとしたら、とてつもなく長い時の中で歌われることになります。
そしてそのような対象に向けた歌は、まさにぼくらしい楽曲の作り方だとのちのち気づいていくことになるのです。
初めから万人に届けようとすると、結局だれに届けたらいいかわからなくなります。
例えば、全校朝礼でつい眠たくなってしまう校長先生の話を聞いた経験は、誰しも子供の時にあるのではないでしょうか。
その言葉が自分のためのものだと自覚できていなかった自分が悪いのかもしれませんが、漠然と全員に向けられた良い話はなかなか心に深く刺さってこないものです。
反対に、今この瞬間に自分のために向けられていると認識すると、一生忘れられない金言を得られるかもしれません。
歌にも似たところがあって、万人に向けた良い歌を書こうとすると、それは結局どこにでもあるだれにも届かない歌になってしまいます。
範囲は狭くても、深く届く歌は強い歌であり、結果的には思っていたよりも遥かに広く届き、長く歌われ残るのです。
これを書きながらふと、古関裕而氏のことを思い出しました。
まさにそれぞれの応援ソングや校歌などを数多く残され、その集積は広く長く歌い継がれています。
さて、明確なビジョンを持って書いたこの楽曲には力があり、その後コンサートの最後の一曲として必ず歌うこともあった大切な楽曲になりました。
誰に届けるか、そして誰に歌われるかをしっかり意識して楽曲制作に向き合うと、おのずと自分自身の人生観など、作り物では対峙できない物語性が求められます。
このような考え方は、楽曲作りのヒントにもなるのではないでしょうか。
宙に浮いてしまう歌ではなく、しっかり作り手から聴き手に届ける歌を作る。
これ以降、そのような意識がより強くなりました。
ところで冒頭に、その時のコンテストでは縁がなかったと書きました。
実は、その話をぼくが受け取った時には既にコンテスト締め切り後だったという事実を、後から知らされたのです。
さて、これは全然残念な話ではなくて、ぼくはこう受け取りました。
そのコンテストでぼくがタイアップを決める必要は、ぼくの人生の物語にはなかった。
だけど、この先の未来に本当にぼくと縁がある会社、学校、人物に、相応しい歌を書ける気づきを得て、実力を蓄える必要があった。
だから、そのきっかけをいただいたんだと。
そしてその後、縁のある社歌、校歌、応援ソングなどタイアップソングを書かせていただくようになりました。
そのはじめの一歩、大切な楽曲がこの2008年の音源『轍 〜この道〜』です。
そして、2013年にアルバム「INSPIRE」で初音源化されたときにはカットされた幻の2番Aメロは、このバージョンだけに入っています。
そのシーンにも重なる、校庭にまっすぐ伸びる道をジャケットに選びました。
ぼくたちは未来のことなんかまだ何もわからなかった頃、青空に向かって夢中で走り抜けた道の先を今、生きているんだと思います。
この先の未来も当然わかりません。
だけど、あの頃みたいに青空に向かって走り抜けたらいいんじゃないでしょうか。
時には転ぶこともあるかもしれません。
涙に濡れることもあるでしょう。
それでもぼくたちの道は続いていきます。
そしてぼくたちが生きた道の足跡が、いつか誰かの轍になっていくんだと思います。道は、物語は、未来に続いていきます。
ぼくにとっても音楽家として走り続ける大切な視点に気づかせてくれたこの楽曲を、どうぞお楽しみください。
「轍 ~この道~」 作詞・作曲/冨永裕輔
この道を走っていく 道なき道を進んでいく
そうさ 僕の足跡が 明日誰かの轍になる
この道を走ってきた たとえ涙に濡れた道も
走り出せば 虹色の明日に架ける橋になるから
歌声が聴こえる 100年の物語が
果てしない未来へと 希望の道を描いていく
青い空に弧を架けた 白いボールに夢を乗せて
七色のラケットで 心の会話 君としたね
声をなくし眠った夜 温もりくれた夢枕で
君の手の大きさは 今でも僕の心を包む
呼んでる声がする まだ僕ら道の途中
果てしない未来へと 希望の道を走っていく
今、声を合わせて 一緒に歌おうよ
果てしない未来へと 希望の声を響かせて
この道を走っていく 道なき道を進んでいく
そうさ 僕の足跡が 明日誰かの轍になる
明日誰かの轍になる
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