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叶う願いは分相応 分不相応な願いを叶えるためには?
努力したことが必ず実るとは限らない
必ず実るなら、もはやそれは単純作業ということになり、
人生というものがひどく退屈なものになるかもしれない
願ったことが必ず思い通りになる世界
それは私たちに進化や成長をもたらすことなく
怠惰で緩慢な世の中になるかもしれない
では、努力が実る時と実らない時の差は何なのだろう
努力が足りていないのなら、それはもっと正しい努力をしたらよいだけだ
しかし、努力は足りているのに報われないということが、確かに世の中にはあるではないか
それを不運とか理不尽とかで済ますのなら、そこにもやはり学びは感じられない
私が思うには、分不相応な願いは、届かないということではないか
身の丈に合った願いであれば、正しい努力を怠らなければ叶えられる
しかし、自分の器を超えた願いであるならば、それを叶えることは難しい
そして、それに気づかなかれば、いつまでも不必要に思い悩むことになる
では、大きな夢を持ってはいけないというのか
それは意味がないというのか
そうではない
つまり、今の自分にとって分不相応というのならば、その器を磨いて大きくすればよいのではないだろうか
どうしても手が届かない願いの前に悶々と悩むのではなく、自分の人間としての底を上げて器を広げることに努力したらよいと思うのだ
それは、毎日の生活を丁寧に生きることかもしれないし、誰かや世の中に貢献していくことかもしれない
人に優しくすること、自然と調和して生きようとすること
自分の心や身体を耕し、健康に生きようと鍛えることかもしれない
授かった命に感謝して、人生で得た経験をなんとか生かして、自分を育むこの世界に貢献していこうとするとき、人はその命の器を、人格の器を広げていくのではないだろうか
そうすると、いつの日か、分不相応だった願いが、相応しい願いへと変わり、夢みたいだった未来が、目の前に現れる日が来る
私はそのように考えている
だから、今日一日をまた、精一杯に生きるのだ
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