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見つめあうだけで

冨永裕輔
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※試聴版。オリジナル版(05:03)は購入後に視聴可能。

シルバーウィークの4連休いかがお過ごしでしょうか?
各地で家族旅行など活気が戻っているようで、このまま良い方向になっていくことを願うばかりですね。

さて、そんな秋分の日の火曜noteは、リクエストにお応えしてnote限定配信をお届けしたいと思います。

完売となっている2014年発売のアルバム「Starring」から、『見つめあうだけで』へのリクエストをいただきました。ありがとうございます。

それでは今夜も楽曲誕生エピソードのセルフライナーノーツとともにお楽しみください。

教会での感動体験は、やがて自分のルーツを知る旅であり、人類の魂の流転の旅に想いを馳せる体験でもありました。

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2013年、福岡のある教会で感動的なシーンに遭遇する機会があった。

牧師さんが、その日のミサへの参加者の中から夫婦の方々を前に呼んだのだ。

そしてこう促した。

「見つめあってください。」

いきなりそんなことを言われても、はじめはどのご夫婦も照れ笑いしながら視線を合わせたり逸らしたりしていた。

そんなご夫婦たちの様子を見て、牧師さんは再度こう語りかけた。

「恥かしがらずに、どうぞ見つめあってください。」

そのうち、照れ笑いは少しずつ真剣な表情に変わり、お互いを見つめ合うようになっていった。
そして次の瞬間、想像していなかった光景がそこに広がっていた。

どの夫婦も、涙を流しはじめたのだ。

見つめあうお互いの瞳の中には、二人にしか分からない、共に乗り越えてきた数々の苦難や、今は遠く懐かしい思い出が輝いて映っていたのかもしれない。
日々の暮らしの中で埋もれていた記憶や、逆に言葉によって隠し隠されてしまっていたお互いへの本当の想いが、蘇ったのだ。

これまでの自分の生き方への悔いもあったかもしれない。相手への懺悔、感謝、労い、今まで押し込めていた愛しさが、いっきに堰を切ったように溢れ出し、人目をはばからずご夫婦たちの嗚咽が教会に響いていた。

その様子を見届けた牧師さんは改めてこう優しく語りかけた。

「手を握ってあげてください。」

もはやそれを恥じらい拒絶する人はいなかった。
お互いの手を優しく握り合い、涙のあとにはとても清々しく情愛に満ちた微笑みをたたえていた。
二人に結ばれた強い絆が光り輝いてこちらまで見えるようだった。

その感動が覚めぬうちに、その晩にこの体験を楽曲として書き上げた。

そして『見つめあうだけで』と名付けたこの楽曲は、その後、鹿児島のMBC南日本放送の60周年テーマ曲に決まり、一年間毎日テレビ・ラジオで放送され、鹿児島で合唱やオーケストラ演奏されるようになった。

ところで昨日は敬老の日、そして今週はお彼岸だ。必然的に祖父母や先祖のことを考えるタイミングでもある。
ぼくの祖母は鹿児島の出身であった。そのことは幼少からなんとなく知っていたが、この楽曲を通じて改めて鹿児島での活動が増えて、自分のルーツを知っていくことになる。

祖母の曽祖父は薩摩藩士で国学者の八田知紀という人物だった。
八田知紀は維新の源流の時代、篤姫とともに都に上り、朝廷歌人となり天皇家に和歌をお教えしたそうだ。
祖母の家ももともと、島津家の別邸があった今の仙巌園などにて島津家のお姫様達のお世話や勉学を教えたりしていたそうだ。

自分がその子孫であることを知らずに歌を作る道に進んだことは、どこかで先祖の導きや見護りがあったように感じられ、とても嬉しく思った。
多くの人に反対され、たくさん壁にぶつかりながらズタボロになりながらも、それでも選んだ進んできた道は、決して間違っていなかったと。

例え先祖であってもはじめから正解は教えてくれない。
きっとそれでは本人の成長がないからだ。
でも温かい眼差しでいつも見護ってくれているはずだ。
そして自分の力で進むべきところまで到達したときに、それが間違いでなかったことを確信できる景色を見せてくれる。

さて、ぼくはこれまで各地のお寺でライブを行ってきたが、同じく各地の教会にもご縁がある。
もともとぼくが音楽活動を通じて表現したいことのひとつは、平和な気持ちを共有することである。
そのために、お互いの違いを乗り越えていくこと、垣根を越えてひとつになっていくこと、それを歌の中でも活動全体を通じても大事にしている。
宗教、宗派の違いによる争いや戦争ほど悲しいことはない。
もっと言えば、国籍、性別、年齢、そういった違いのすべてが争いの火種となることを防ぐためにも、意味のあるビジョンだと信じている。

冒頭の教会での体験だって、ご夫婦がもう一度お互いに恋におちたときの素直な気持ちに帰れたことは、奇跡にも近い大変なことだと思う。
でも、人間は必ずそれができるのだ。

素直になること。心を開くこと。
簡単なようで簡単ではないけれど、人を愛する気持ちや、人を幸せにしたい気持ちは、だれでも最初から必ず有している自然な感情のひとつのはずだ。

いつの日か、死ぬ前に見てみたい景色があるとすれば、人類が本当の意味でひとつになった世界だ。
いつか必ずそれは実現できると信じている。
あと何十年、もしかしたら何百年、何千年かかるかもしれない。
そのときは、先祖がぼくを見護って導いてくれたように、風となり歌となり、人類の子孫を見護り導けたらそれもきっと幸せな役目だと思う。

自分が死んだ後のことを考えるなんて、おかしなヤツだと思われるかもしれない。
でも、ステンドグラスの前に立つと、永遠の魂の流転に想いを馳せる気持ちになるのだ。遠い遠い昔も、どこか異国の地でステンドグラスの前に立っていたような気さえしてくる。そしてその時代もぼくとあなたは繋がっていたかもしれない。いや、きっとそんな気がする。
であれば、未来のことを考えることだって、きっと荒唐無稽のことではないはずだ。

悲しませるための、傷つけるための出逢いなんてないと思う。
その途中でなにかを学ぶためにそうのような経験もあるかもしれないが、ぼくたちはきっと、“幸せになるために”出逢っている。

そのことをいつも心において、相手の内面を見つめられる瞳を持っていたいと思う。



「見つめあうだけで」      
                        作詞・作曲/冨永裕輔

見つめあうだけで 涙があふれた
言葉も浮かばないほど 愛おしい

見つめあうだけで 涙があふれた
出逢った頃のように 手と手を重ね合おう

いつからだろう 時の流れに 大切なもの見失っていた

二人の愛はジグソーパズル
何度 離れようと 見つめあうだけで 

見つめあうだけで 笑顔がこぼれた
懐かしい想い出 瞳の奥に

見つめあうだけで 笑顔がこぼれた
明けない夜はない 輝く朝が来る

たった一人の運命の人 幸せになるために巡り逢った

二人の明日のジグソーパズル
どんなときだろうと 見つめあうだけで 

二人の愛はジグソーパズル
何度離れようと 見つめあうだけで ひとつ
あなたと私は いつもひとつ

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明日もあなたに良いことがありますように♪

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