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ゴキブリを踏んで、滑って、しりもちをついた話

「ぐおおおおお」

真夜中に、女子の悲鳴とは到底思えない、地鳴りのような低い叫び声が響いた。ある夏の日の自宅での出来事だ。

5歳と3歳の子供が隣の部屋で寝ていたが、お構いなしの雄叫びに、しまったと子供たちの方をみた。

しかし、子供は深い眠りに入っていたようで、目は覚まさなかった。こんな無様な姿は子供たちに死んでも見せられない。セーフ。

私は、真っ暗闇の中で、床をゴソゴソと這いまわっているゴキブリを踏んでしまい、滑って、転んで、尻もちをついたのだ。

私は横着をして、灯りををつけずに、壁づたいに、真っ暗闇の中をトイレに行こうとしていた。そもそも壁づたいに歩く方が邪魔くさいし危険だ。本能に従って、灯りをつけていればこんなことにはなっていない。私がもつ横着の定義は人と違うんだろう。ほんとに大バカ野郎だ。

もし灯りをつけていたら、ゴキブリを見つけるなり、「ぎやああああ」と叫びスリッパを持って、追いかけ回しただろうが、ある意味、なんの苦労もなく、一発で仕留めたのだ。でかした。

いやいや。

ゴギブリを一発で仕留めた勲章を手に入れたと同時に、私の足の裏で、グニュっと音を立てて、はかなくプレスされたゴキブリの感触を、一生覚えていないといけなくもなった。

素足でゴキブリを踏むような、おぞましい経験をしたことがある人は、そうそういないだろう。私はそのおぞましい経験をした1人になってしまった。

バナナの皮ですら、踏んでしまったことなどないのに、ゴギブリを素足で踏むだなんて...。バナナの皮が落ちているシチュエーションもドラえもんでしか見たことがないし。

私はゴキブリを踏んだ瞬間、ゴキブリと分かった。「真っ暗闇の中でなぜ分かったのか?」と質問されても、あれはまさしくゴキブリの感触だった。いくらほかの表現を探しても見当たらない。それほどゴキブリだったのだ。

私は、私に踏まれて無残な死に方をした、ゴキブリの死体など見たくはなかった。しかし、このまま放っておくわけにはいかず、すでに即死したであろうゴキブリの死に様をみるため、灯りををつけた。

予想通り、ゴキブリはピクリともせず、息絶えていた。原型もとどめずに。ただ、フローリングの床には、私の足の裏と、ゴキブリが共に滑った形跡が、ビヨーンと50センチほど残っていた。アイススケートなら、わずかな距離ながら、気持ちのよい滑りだったかもしれない。しかし、ゴキブリと私が、床に刻んだ共同作業の後は、地獄絵図だった。

私は、動物や生き物とのトラブルが多い人生だ。

若気の至りで、難波で朝まで飲み歩き、千鳥足で駅に向かっていたとき、「グニュっ」という感触を足で感じた。かっこつけて、ピンヒールを履いていたので、正確には「グサっ」だろうが、そんなことはどうでもいい。

とにかく私は、そのピンヒールで、ものすごい弾力で、分厚い何かを踏んだことに気がついた。嫌な予感がして、足元を見ると、すでに死んでいた小ネズミだった。

一度死んだのに、自分の足で2度殺してしまった小ネズミ。気持ち悪すぎた。

私は、瞬間に、ピンヒールを脱ぎ捨てて、裸足で逃げるという、謎の行動にでた。

今思えば、大嫌いなネズミの感触が残っているものに、1秒たりとも触れていたくなかったのだろう。

その後は、ご想像のとおり、裸足で電車に乗り、好奇の目にさらされながら、自宅まで帰るはめになったのだ。奇人の所業だ。

朝の早い電車で、知らないおばあちゃんが、裸足の私を見てかわいそうに思ったのだろう、私にビニール袋を手渡そうとしてきた。おそらく「これを足にはめて歩きなさい」ということだったと思う。でも私は、恥ずかしすぎて、「お願い、放っておいて」と言わんばかりに違う車両へ移った。
今となっては、おばあちゃんの親切を邪険にして、悪かったなと反省している。

でももし、おばあちゃんの親切に答え、ビニール袋を足に履いていたら、どんなに無様だったろうと想像するとちょっとニヤける。


私は、「若気のネズミ殺し」のことを思い出しながら、ゴキブリの死骸を片付け、その後眠りについた。

朝、息子が起きてすぐ、「お母しゃん、昨日の夜、キャイーンてゆってなかった?」とたどたどしい言葉で、心配そうに私を見つめた。

息子よ、母の雄叫びが、君にはキャイーンて聞こえたんか。それも人生やな。面白い。
お母さんはな、昨日の夜、一生に一度できるかどうかの奇妙な経験をしたんやで。

私の足の裏が、昨夜の「ゴキブリブッシヤー」の感触を思い出した。

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