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文章を書くことと、わたし。

どうも、大学卒業したてのフリーター女子です。コロナ自粛で1ヶ月半家から出ていないので、徒然なるままに文章を書き始めることにしました。とりあえず現状は、「23歳、金なし職なし男なし。」といったところです。大ピンチ。でも、ピンチの時こそ、自分は少女漫画のヒロインなんだと思うようにしているので、こっからは人生ブチ上がる気しかしていません。

ひとまず初めてなので、まずは私が文章を書くようになった経緯を思い出してみました。

小学生の時、日記の宿題がありました。A5ぐらいのノートにしっかり書くもので、「めんどくさいけど、とりあえず楽しんで書かなきゃ」という精神があったので、夜突然祖父母と車で瀬戸大橋を渡った話や、日常のなんてことない話なんかを書いた気がします。すると担任の先生に「読んでいて楽しい。将来エッセイストにでもなれそう。」とコメントをもらえたのが、子供心になんだか嬉しくて、将来の夢は小説家だった頃もありました。
中学生になって、好きな人に初めて告白をしました。ゴリゴリのラブレターを靴箱にいれるという、ホントに古典的なやつ。同じ部活で毎日会うのに何でそんなことしたんや。もしその人がまだ持っていたら、ぜひ燃やして欲しいです。その頃から、口で伝えるより文で伝えるほうが得意だと思ってたんだろうな。もちろんフラれました。その夏休み、作文のコンクールのために物語を書きました。なんの物語だったか、内容は全く覚えていないけど、お母さんに30枚以上の原稿のコピーを取ってもらったことと、起承転結が全然うまくいかなかったことは覚えています。小説を書くには、文を書くのが得意なだけじゃなくて、想像力とか知識とかもっと色んなことが必要なんだと分かりました。
小説の他にも、国語の授業で習う短歌にハマり、図書館にある現代短歌の本や絵本を片っ端から借りてました。俵万智は難しかったから、もう少し若手の短歌をいっぱい読みました。ノスタルジックな写真と31文字の鮮やかな情景に魅了されて、自分でも思いついたことを書くノートを作って、授業中に短歌を作ったり日記を書いたりしました。これが所謂中二病、後の黒歴史と呼ばれるものになるのでしょう。
15歳ぐらいで、5年ぶりに交換ノートを回し始めました。徒然なるままに思ったことを書く、「徒然ノート」。高校の最初の頃まで続けていたし、今でも、そのノートをつけていた6人で「つれづれ」と名乗っています。今度みんなでzoom飲みをします。
その頃から、ガラケーのメールの下書きに日記をつけるようになりました。思春期なりに、今思ったことを記しておかなきゃ!将来の自分に、今の自分が考えていることを覚えておいてもらわなきゃ!という謎の使命感がありました。未だに思いついたこと、気づいたことは絶対にスマホのメモ書きに残しています。本当に忘れっぽいので。その時は腹立ったことも、嬉しかったことも、あとで読み返すと全部忘れてて、思い出しながら振り返っては、成長したりしてなかったりを確認できて大変おもしろいです。
大学でも、ゼミの先生に「クミコは文章がうまいね。ライターとか編集者を目指したらいいんじゃない?」と言われて、更にやる気が湧きました。将来的にはその辺のお仕事ができたらサイコーです。

体や喋りを使った自己表現や、人に甘えることが下手くそだし苦手です。人の目も気になります。8年間歌を習い、吹奏楽をしていましたが、感情を込めたり演じることがずっと恥ずかしかった。強く思ったことを言おうとすると同時に涙が流れるシステムにもなっています。1回直接告白した時泣きながら逃げました。相手も怖かったやろな。そんな感じだから、ずっと文章を書くことで気持ちを落ち着けて、それで自己表現してきました。

あと最近「クミコは、人よりも先に面白いアイデアや風景が見えるのかもしれない。クミコが見えてる世界を、いつか共感してくれる人が必ず現れるよ」と言われました。凄いこと言われてるんだけど、そこで、私の中での当たり前の価値観や考え方って、人にとっては新鮮だったり面白かったりするのか!と気づきました。だから、自分が感じてること、見えてる世界を、自分の中だけに留めず、もう放出させちゃおう!と思ってこのnoteに書き始めることにしました。

基本マイナス思考なので、だらだらと駄文になりそうですし飽きたらやめるかもしれないけど、これからよろしくお願いします。


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