総テイカー社会へ向かう

現代は、総テイカー社会と呼べるほど、ほぼ全ての人が、
Give & Take

の原理で活動しているように思います。

いうまでもなく、決して悪いことでは無いと思うし、むしろtakerと呼ばれる人たちに対する、勝手なイメージが存在しているように思う。


行動するテイカーと行動しないテイカー

世の中は、様々な価値交換を円滑に進めていくことで、全員が快適に生きていく環境を維持している。
そのために便利な道具として『通貨』を使用している。

通貨を獲得するための活動を『経済活動』と呼び、その代表的な活動方法を『ビジネス』と呼んでいる。

こんな感じでしょうか。

ビジネスマンは全員テイカーだし、そこに関わる全ての人たちはテイカー。
基本的に経済活動を行う人は全員テイカーである、という認識をした方がいいと思ってます。

ただし、この時に目立つテイカーと目立たないテイカーが存在している。

要は、先に価値交換を仕掛ける側のテイカーと、それを受ける側のテイカーが存在している、という感じでしょうか。


あるいは、『行動するテイカー』と、『待っているテイカー』
とも言えそうです。


生きていく上で行う様々な活動がある中で、限られた資本家を中心として、円滑なビジネスや経済活動が主導されているし、それらを円滑なまま維持するために国家が治安維持をしてくれている現在の環境ですが・・・

ブロックチェーンという技術をきっかけとして、今の環境よりももう少し良い環境にアップデートできないか・・・
ということでweb3などが注目され始めている。


・中央集権的な存在が権力を持ちすぎている
・一部の資本家が有利になりすぎている

上記に対し、様々な側面からリスクが提唱され、不公平で不健全な人間の在り方が露見し始めている感じがします。


DAO活動は『待っているテイカー』が育てる

そんな中、一部に権力が偏りすぎることへの問題点を解決しうる一つの方法論として、DAOに注目しているのですが、DAOのようなボトムアップ型で非中央集権型の組織が正常に稼働するために必要な要素の代表格として

『正直な人間が生き易い環境を作る』

ことだと思っています。


現時点で、DAOというものやweb3というものに強い興味や熱意を持っている人は

・新しいビジネスチャンス
・既存の経済システムや生活環境にストレスを感じている
・新しい技術への知的好奇心

大きく分けると、この辺りなのではないでしょうか。
※人数の比率は、ちょっとわからないですが


感覚的には、全体の5%くらいが
『既存の経済システムや生活環境にストレスを感じている』人のように勝手に感じています。

ストレスを感じている人が、何を理由に・・・
かは、多岐に渡りそうなので細かくは省略しますが、多くの場合は

『自分は報われていない』

という感情を持っていると推察されます。


そして、自分が報われていないと感じる人は総じて、
『自らの行動に対し、正当に評価されていない』

という感情を持っているのではないでしょうか。

あるいは、
『正当に評価されていないように見える誰かや何かを認識してる』

のだと思っています。


DAOというのは、そういった人たちが中心となり認めあい、理解し合い、正当な評価とはなんなのかを自分たちで作っていくことができる場所になっていくことを理想とする場所なのだと思っています。


価値交換の妥当性を考え、認識してる時点でテイカー

何度でも言いますが、これはテイカーを悪者と認識したり、複雑な感情でテイカーを認識することが『一般的』になりつつあることが、そもそも危うい気がしているのであります。

人間は基本的に全員テイカーとして生きるのが、現代社会の普通であって
・自分はテイカーじゃない
・テイカーだと思われたくない
・テイカーは、あまり良くない人間だ

と考えすぎることが、無意識に自分自身へのストレスになっていないだろうか・・・と日々思うわけです。


表題の通り、基本的には全員テイカーなのだと思います。

自らの行動に対し、何かしらの評価や判断、それに対するレスポンスを求めたり考えたりする時点で

・その感情を表明するか否かにかかわらず、テイカー思考

であると、自己認識した方が、自分にも他人にもストレスを感じずに日々生活できるように思っています。


今多くの人が認識してるテイカーという存在は、価値交換に対する考え方に積極的で、より自身の持っている価値を高く評価させるために行動してる人。

そんな程度の違いだと思っています。


積極的なテイカーと消極的なテイカー

経済活動を行なっていう大半は、この2種類であると考えられますし、それによって現在は平和で快適な環境になっているので、素晴らしいことなのだと思います。

そして、いわゆる中央集権的かつ資本主義的な社会は、積極的に活動するのが苦手なテイカーたちが、生きにくい社会環境だったと思います。
より多くの富を持つものが、より富んでいく。
※豊かであるかは別問題

そんな中、消極的なテイカーたちは
・認められたいな
・価値を評価してほしいな
・対価として価値還元されたいな

と、考えるだけで積極的に行動できず、なんかモヤモヤした感情で生きなければならなかった。
また、そんな環境でモヤモヤしている人を見て、なんともいたたまれない思いを抱きながら、生きなければならなかった。


この辺りで、積極的な人と消極的な人との間に、感情的な摩擦や軋轢が起こっている。

とても個人的な考えではありますが、社会に多く存在するストレスは、このあたりが多かったりするのではないか
と考えています。


テイカー同士であることを認め合う大切さ

現代社会では、どうしても価値交換の必須道具として通貨は必要となります。
ほぼ全ての人が、通貨を必要とし、より多くの通貨を得ることで、様々な価値と交換することが生活の豊かさに関わってくると思います。

そんな中、自分の行動や活動に対し、正当に評価されていないと感じる人たちや、必要以上に経済活動を行うことにジレンマを感じる人が多い。

この思考に至るロジックは単純です。


自らの正当性を保つために、無意識のうちに積極的なテイカーを悪者とし、消極的なテイカーである自分たちを正義とする前提条件が構築されてしまっている

ということだと感じています。

積極的でも消極的でも、人は自由で良いし、それに対し人間が人間を評価判断すること自体が、すごく驕った考えだと思うからです。


それでも人は感情的に、自分自身を豊かにしたいし、できれば高い価値をつけてもらいたいと思う。
なぜなら、それが現代社会の仕組みであり、そう教育されてきたし、そう考えないと生きにくい社会構造になっているから。


消極的なテイカーが見出される組織を目指す

皆が現在、様々な形で評価を受け、その評価に対する価値を受け取っている状況ではあります。
積極的に高い評価を得るための活動を行なっている人が、その本質的価値にかかわらず『高い評価を得ている』ような気がするのも、なんとなく感じます。

DAOでは、これまで高い評価を得ていた積極性による評価だけではなく、
『消極的なテイカーが生み出してる発信への感度』

を高めていくことにより、多くの本質的価値に関わる人たちを評価判断できる仕組みにしていきたい。
そして、その評価判断は、人間ではない存在に任せたい。


人を評価判断することは、とても大きなエネルギーが必要となります。
評価する側もされる側も、膨大なエネルギーを要することでしょうし、その評価判断に対する様々な感情の起伏や軋轢を想定しなければなりません。

・人間が人間を評価する傲慢さ
・感情によって評価が変化してしまう危うさ
・評価によって生まれる軋轢
・評価を意識することによって人間を疑わなければならなくなる人間関係


そんなものから解放されたい多くの人が、web3やDAOには集まってくるのだと思います。

そして、その中でより快適に過ごすコツの一つは
全員テイカーで全員認められたいし、全員が現代社会の生きにくさを、自分と同じように感じていること。
そして、評価の高低差は、必ずしも自身が持っている価値ではなく、積極性が大きく関わっている

程度が最初は良さそうな気がします。


うまくいっている状態なんて、それこそ本人が
『僕めっちゃうまくいってまうすわ〜』

って思った瞬間に、周りなんて関係なく『うまくいっている』と言えるのではないでしょうか


『うまくいってるって言ってるけど、全然稼げてないじゃん』

とか言ってくる人に対しては

『そのうち、お前にもわかる日が来るよ多分😏』

って言っておけば良いのだと思います。


ちなみに、ワタクシは上記のスタイルで人生を歩んでいる関係上、家族からの生ぬるい視線をいただいております。

僕のように上手くいっている人は、きっと稀でしょう
※自慢です


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