過去のないモノ

今日、3月に引っ越しをしたので、無事に引っ越しが済んだ事へのお礼とご報告兼ねて、近くの神社を訪れました。現地を訪れたら、そこに『令和初詣』ののぼりが。そういえば、令和どころか”初詣”だったことに気づきました。なのでおみくじもひきました。大吉でした。そしてそこに’過ぎた過去を振り返ってウジウジするのも、又、予想だに出来ない未来を案じてクヨクヨするのも時間の無駄。今を正しく楽しく生きよ’と、まるで今の私を見透かしているようなお告げだったので、NOTE始めました。

···と、ここまでが前置き。長っ!

本題。令和。元号が変わる。天皇が退位し、新天皇が即位するからです。おそらく日本だけの風習。(←多分。不勉強で申し訳ありません) 天皇。真意はともかく、日本という國を作った神話の時代からの現人神の系譜。エンペラーです。これは最近知りました。

神社に行ったのは氏神様という存在を知ったからです。主人の氏神様です。

学生の頃、自分の系譜を調べるという宿題が出て、調べましたが、私は祖父が養子だった事を知り、そこからは辿れませんでした。でも人によってはもの凄い前まで辿れる事でしょう。

私という記憶を辿れば、3才くらいまでなら辿れるでしょう。その前の記憶はないですが、両親の存在は私の存在の根本的な保証になってくれます。

過去のないモノの精神、あるいは存在そのものへの揺るぎない自信というか、無意識下での安定性というか、そういったものの不確かさからくる揺らぎは、いかほどのものでしょうか。

某国某大統領が、世界の共通認識を破って、某地を定めてしまいました。かの国は過去を辿ってみれば移民の地。ルーツは海の向こう。本当の原住民は今は居ない。

その過去のないモノ(ルーツは海の向こう)の無意識下での不確かさからくる揺らぎが、さの地を定める事で自国の、ひいては自分の安定を図ったのではと、そんな事がふとひらめいたのです。某大国がどんなにあがいても敵わないもの、それは"歴史"と、どこだかで書いてあるのを読んだ事があります。

さかのぼれば神話まで辿れる日本(人)には、もしかしたらこの無意識下での揺らぎは理解できないかもしれません。


初投稿です。ボキャブラリーの貧困さからくる拙い文章で申し訳ありませんが、私の言わんとすること、わかりましたでしょうか?