好きを仕事にするのは····

(ここでいう仕事とは、これで生活していけるレベルまで稼いでいるというのが前提である)

私はあまりおすすめはしない。私はそれをしようとして挫折した者である。努力が足りないといえばそれまでであるが、後悔はしてない。おそらくあの時でなくても、そう、あの時やっていなかったら、今からだってそれ(声優)に向けての一歩を踏み出すだろう自分がいるから。やって挫折したからやらないってだけの話である。

それはさておき、好きと得意は違う。得意だけど好きではないって成立するし、逆は言わずもがな。そしてどちらが稼ぐことに結びつきやすいかというと断然前者である。

下手の横好きという言葉が、ある。好きだけでは稼げないのである。好きだから上達するという利点はあるが、どんな世界でも飛び抜けていないとそれだけではで稼げないのではというのが私の結論である。相当の努力を必要とするはずで、ほとんどの人はそこまでたどり着けない。好きで稼げるようになるには、相当の努力とやはり才能が必要である。

ここで才能というのは能力は勿論の事、経済であったり、人脈であったりとそれを続ける事のできる環境が整っていること、総合を指す。この中には自分ではどうしようもない事もある。私事でいえば、私はとある一定の音の声が出せない。取れないのである。何故かはわからないが、必要であると判断し、声楽を少々かじった結果出てきた事実である。これで声優にはなれない訳ではないが、マイナスなのは確かで、それを補うだけの何かしらが必要になってくる。他、ら行発音が今一であった。これはもしかしたら手術が必要な物事だったかもしれない。他にも上げればきりがないが、諦めた言い訳にも取れるし、ここではいちいち取り上げない。

それ相応の実力があるのに、稼げていないだろうなと言う人もたくさん見てきた。それでも氷山の一角だったであろうが。とある人はこう言っていた。ほとんどの声優さんは事務所に所属していて、その事務所に仕事の依頼が来るが、事務所の中でもトップ1、2位を争う人が大半の仕事を持っていく。3位の人がそのおこぼれを預かる。以下はもうそれこそお小遣い程度の稼ぎですよって。そういう世界だった。

確認するまでもないが、好きは一人称、自分が好きだけでよい。下手でもなんでもいい。でもそれで稼ぐには相手がいる。そう、それに対価を払ってくれる人。自分の創る物事が好きで、相手も自分が創った物事が好き。お金を払ってよい。そういう人がある一定数いてはじめて稼ぐ事ができる。

得意にはそれが成立している。自他共に認めているという意味が含まれている。仕事に結びつきやすい。

好きを仕事に出来たらそれはもう幸運の一つだと思う。目指す事を否定はしない。そして私みたいに果たして稼げるまでになるかどうか挑戦してみるのもよい。ただ稼げるかどうかの判断は必要だと思う。そしてその判断もなるべく早くそして的確に出来れば尚よい。やはりやり直しも早いほうがいいからに決まっているからである。やり直すのに早い遅いはないというが、それはある意味間違っている。物事にはタイムリミットがあることも多々存在する。

もう一度言う。好きを仕事にではなく、得意な事を仕事に、である。

そんな話をしていたのは、ココ数年でガンと有名になった某学習塾の先生。実は惚れていると言っても過言ではないくらい大好きで、一度逢ってゆっくり話がしたいと思っている人である。かの人のこの話を聞けたのなら、違った選択をしていただろうと今は思う。

(かの人が話をしていたのを私の経験も踏まえてアレンジしてあります。)