奇跡講座の赦しを知らない方向けに
赦しとは、
奇跡講座では、形而上学と赦しの実践が大事です。
では、奇跡講座をこれからやってみたい方向けに、赦しとはなんなのかについて書いてみます。
そして、それが何故難しいのかについても
触れていきます。
赦しとは、具体的には、『罪悪感』を見ていくことなのです。
そのタイミングは、
この世界の中で、「動揺した」と感じる時です。
動揺したとは?
感情が動いていると感じる時や、
葛藤を感じている時です。
具体的には、
恐れ、悲しみ、苦しみ、怒り、不安、苛立ち、モヤモヤ、焦り、嫌悪感 裁き、優越感、劣等感、屈辱感、敗北感、恥ずかしさ、被害者意識のほかに、
喜び、感動なども含まれる時があります。
出来事を通して感じている感情全てです。
その中身をよくみながら、その感覚をたどると、必ず行き着くのが、罪悪感や欠乏感といったものになります。
私達のこの世界の出発点(ビッグバン)とも言えるものが、実は、『罪悪感』だと言い切っているのが、
奇跡講座なのです。
そんなの嘘だと思う方もいらっしゃるかも知れませんが、
実際に辿っていくと確かに見えてくるのは、ここなのです。
そして、なぜそこに罪悪感があるのかを勉強し、少しずつ、それを認め、受け入れていくと、さらに、その前にあった、本当の原因に辿り着き、
原因のレベルで訂正を受け入れ、
自分が何をしたのか?(正確には、していないのか)を思い出していく、一連の作業が、赦しとなります。
ここで一つ言っておくべきことは、
私達が通常、スピリチュアルや、カウンセリングなどの心の癒しと全く違うところがあります。
それは、これは、一回で終わらないということです。
何ヶ月が学べば終わるというものでもなければ、
私は癒されたから、もうこの感情はないということは、起こりません。
それは、この世界がある(と思っている)限り、なくなることはないと知ることなのです。
罪悪感がある限り、悲しみや苦しみや、怒り、恐れなどの感情はなくなることはないということなのです。
そこを、この世界での出来事を通して、見ていくのが、赦しであり、奇跡講座です。
これは、極端な言い方をすれば、「被害者」をなるのをやめていくということ(これについては、奇跡講座をしっかり勉強する必要があります。)で、
本当の意味での無責任さを自覚し、責任をとっていく覚悟がいるもので、
これは、自我を解体し、この世界を終わらせていくということで、
具体的には、肉体が消え、自分がなくなると思っているから、私達は、これを選んでいくことに、相当な恐ろしさを感じるということなのです。
私たちが一番見たくなかったもの、後回しにしているものに着手するということなので、
昨日、今日聞いただけでは、受け入れられないのです。
だから、こそ、なかなか手を出せないし、
だからこそ、難しいと感じられるのです。
これは、本当の苦しみの原因を癒していく作業であり、
私たちは、この世界で得られなかった、心の平安を感していくことができるものなのです。
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