認めるってむずすぎる
自分の気持ちを認めてあげるのって難し過ぎません?
心のノート的に間違っているような気持ちや考えが出てくるときってあるじゃないですか。
(心のノート、、、皆さん知ってますかね、、、。同世代の方は分かるはず、、、)
うわぁーこんなこと思っちゃってるよ、とか
いやいやそんなこと思っちゃだめでしょっ、とか
↑こんな風に、自分の中で
「今自分は思っちゃいけないことを思ってしまってる、自分の今の気持ち、なんか良くないなあ、ちょっとこの気持ち消したいなあ、消さなきゃなあ。」
と、自分の気持ちを観察してそれを修正しようとしまいがち。
でも、これはまだいい方で。
ここのプロセスも吹っ飛ばして無意識に、すんっと自分の気持ちを心のノート的な正解の気持ちにすり替えてしまうこともたくさん。
時間が経ってから、気持ちのすり替えをしたなあって気づいて、なんとかその時の気持ちを自覚して。
その気持ちを認めるかどうかは別だけど。
十年以上かけて、やっと自分の気持ちに気づくことだってあると思う。
なんなら、天国からのお迎えが来た辺りに、私はあの時、、、って気づいて、やっと認められることもあるかもしれない。
自分の気持ちでさえこんなに認めるのに苦労するのに、誰かの気持ちを認めてあげるなんて想像できないぐらい難しい。
そんな難しいことを私たちはほぼ常に?挑戦し続けていて。
理解できない誰かの気持ちをなんとか自分も分かってあげたい、と思ってしまうけど。
私たちそれぞれを作る要素は本っ当に一人ひとりバラバラで、ほんの少しどこかの要素が重なってるだけ。
認められないものは無理に認めようとしてもできないものは出来ない。
だからこそ、認められるものを沢山持っている人はとてもとても貴重な人で。
毎日言い合いをすることも無く、何となく一緒に働いたり、勉強したりできるってだけで
、本当は十分なんだよなあ。
誰に対しても好かれようとしたり、仲良くしようとしたりしなくなって、その人との関係を悪くない、なんか普通な感じにでも保っていられればそれだけですごいことなんだよな。
認めるって、自分のことでさえ、SUPERミラクルHYPERスペシャル難しすぎるのに、相手に応用しようとするのなんて無理やん。
まずは、自分を認めれえ。
大丈夫、私は私をちゃんと認めるから、あなたはあなたを認めてあげてください。
そうすれば、誰かに認めて欲しいとか、あの人に認められないと私は生きていけない、とか思わずに済むから。
なーんて、言ったけど
自分を認められていない人間だから、こんなこと考えちゃうのかもね🙃