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3、「サン」の話。
私、子供の頃は太陽を直視しまくって遊んでました。めっちゃ良くないんですけどね。
暑いし3回目なので「サン」についての話を。サンって響き好きなんです。疲れてる時とか不意に「サン」って言いそうになる。
「散々な一日だったな」
とか
「三途の川を泳ぎたいな」
とか
「三寸………舌先」
とかなんとか。
「サン」って口に出るんですよね。英語にも「サン」はあって「SUN(太陽)」「Son(息子)」なんかありますよね。詳しい発音はわかんない。スペイン圏だと「San」で「聖〇〇」という意味らしいです。すごいカッコ良い。
じゃあ太陽の息子だったら「Son of Sun」になったりするのかな。燦々太陽息子で
「サンサンサンオブサン」
敬称つけて聖燦々太陽息子が3人いたら
「3サンサンサンサンオブサンさん」になったりするのかな。なんねえな。
冗談はさておき、不意に出したくなる言葉ってありますよねって話です。私はサ行が割とそうかも。サンサンとかシンシンとかスーーーとか。そういう言葉に出したいものたちってきっと呼吸に関連してて、息が吸いたかったり吐きたかったりするけど無意識のうちに忘れてたりするのを僕は「サンサン」とかで呼吸にしてるのかなって思ったりするんです。だからその言葉は生命維持に必要だったりするんですよ、きっと!!!!!!!!!!!!!
ま、化学的なことはわからないんですけど意外と何気ない自分の行動が何かを守るために機能してたりするんだと思います。つい退屈だと髪をいじってしまう人は退屈を紛らわさなければ命を保てないのだろうし、つい嘘をついてしまう人はきっと嘘をつかねばいけない状況を迫られ続けていて、つい笑顔を浮かべてしまう人は笑顔にならなければ死んでしまいそうになる何かがあってそういう仕草が出てしまうんだろうなと思います。自分の何気ない仕草を意識してみると自分自身が何に苦しんでて何に喜んでるのかわかるかもしれない。違うかもしれない。
参考までに言うと僕の口癖は「流石にか」で書き言葉の癖は「って」と「かなと思ったり」です。なんのためのどういう生命維持なんでしょうね。きっとなくてはならない大切な機能なんだと思います。それがどうしてなのかを探求することも大事ですが、もっと言ってしまえばあえて探求しないことも実は大事なことだと思います。見ることによって傷つく心もあったりするもんです。ちょうど太陽を直視してはいけないように。