16 仕事で生き残る|女と職業
46歳・女性・おひとりさまが、最高の50歳になるためにしたい100のことをやっていく体験レポートを書いています。
今回は16個目「仕事で生き残る」PART2
前回の記事でも「仕事で生き残る」を書いたけれど、長くなったので、今回は続きを書きます。
50歳になっても、私は仕事で輝いていたい。
そのために、時代が変わっても生き残らないといけない。
ただ、体力も減って、若い感性も減ってくる中で、どう生き残るか真剣に考えないと、生き残れないと思っている。
そこで、仕事において大切にしたいことを言葉にしてみたいと思う。
まだ迷いもあるし、答えが出ていないこともあるけれど、今の時点での言葉を瞬間冷凍しておきたい。迷った時に戻るために。
▶︎女と職業
これは、実はまだ私の中で答えが出ていない。
薄々感じていたけれど、決定的に考えさせられることがあった。
「女であることが、障壁になる職業がある」ということ。
パリで、ロダン美術館に行った時のことだ。
ロダンって、あの有名な「考える人」を作った人。
私も「考える人の彫刻家でしょ?」くらいの知識しかない中、知り合いにおすすめされて、見にいってみた。
ロダンの人生について記事を色々読みながら、美術館を回ったら、すごく面白い人だっていうことがわかった。
ロダンは、若い時は報われず、彫刻家を目指すも、3回も美術学校を落ちている。
ロダンが、24歳の時に勝負をかけた作品がこちら。
鼻のつぶれた男。
うん、、いったいなぜ、ロダンはこれを題材にしたのだろう…。
凡人の私には分からなかった。素敵とは到底思えない。
当時の価値観でも、この作品は評価されず、落選したそう。
なぜなら、彫刻は美化すべきものだという当時の伝統に反していたから。
なんと。
そこに反発するために、この鼻つぶれおじさんを作ったの!?
パンクじゃん、ロダン!!!
背景を聞くと、ロダンの凄さがわかる。
でも、当時のロダンは学校も落ちまくるし、作品も認められないしで、やぶれかぶれ。
ロダンは彫刻家を諦めて、室内装飾の職人になった。
その後、長く装飾の仕事を続けるのだけど、転機が訪れる。
35歳の時に、節約してためたお金で、ロダンはイタリアにミケランジェロを見に行った。
ここで、ロダンは衝撃を受けたのだそう。
「アカデミズムの呪縛は、ミケランジェロの作品を見た時に消え失せた!」
ドドン。覚醒したロダン。
きっと、この言葉に、ロダンのこれまでの苦しさが現れている。学校を3回も落ちて、作品も酷評されたら「向いてないのかな」って思うよね。
ミケランジェロの作品を見て、アカデミズムなんてクソッタレじゃー!我は我の道を行くんじゃー!と思ったのかは想像だけど。
ロダンは彫刻に戻ることを決意し、青銅時代という作品を作り、そこから彫刻家としてスターダムを駆け上がる。
ただ、作品が素晴らしいだけでなく、ロダンは制作手法にも革命を起こし、ものすごい点数の作品が残っているのだそう。
大成功し、偉大なアーティストになったロダンが住んでいた家はこちら。
家っていうか、お城だよね。
ロダンは、死後に全ての作品を寄付するから、この家を自分だけの専用美術館にするよう政府と交渉し、実現している。
へー、すごい人生だなぁ。
面白かった。
私は、作品だけで感動できる教養は持ち合わせないんだけど、こういう人生ストーリーがセットだと感動できる。
楽しみながら、美術館を周ったところ、最後に小さなコーナーがあった。
カミーユ・クローデル。
誰それ。なんで、ロダンの美術館にあるの?
調べてみたら、カミーユはロダンの愛人だった。
ここから、ロダンの別の一面が見えてきた。
カミーユは、ロダンの弟子でもあった。
カミーユは、10代の若さで著名な彫刻家アルフレッド・ブシェに見いだされ、学校で学ぶことを強く進言される。
カミーユは天才的な才能があった。でも、当時は女性の入学は認められていなかった。
それでも彫刻家として能力を発揮したカミーユは、当時すでに著名な彫刻家になっていたロダンに才能を見出されることになる。
ロダンが41歳、カミーユ18歳の時に、弟子入りをする。
そこから、15年間、一緒に作品をつくり、愛人としてもそばにいた。
ロダンには妻もいた。
ベルギーで室内装飾の仕事をしていた時から、ずっと寄り添っていた奥さん。売れない時から支えてきた、いわゆる糟糠(そうこう)の妻よね。
ロダンは、妻と離婚するよってほのめかしていたらしく、カミーユは何度も堕胎を繰り返しながら、15年連れ添ったのだそう。
そして、ロダンが最後に選んだのは、妻の方だった。
カミーユはその苦しさを作品にしている。それがこれ。
老婆(ちょっと悪意感じるけれど・・)と共に去る男と、男にさられて泣き崩れる若い女。
どっちも嫌よ、こんなの。
カミーユは、その後精神を病んで、強制的に精神病院に入れられてしまう。
これまた実家の家族との複雑な関係で、医者が退院を勧めても、家族が許さず、カミーユは死ぬまで30年間も精神病院で過ごした。
もう生き地獄じゃん。。
そもそも、当時は、彫刻家は男の職業で、女の彫刻家は認められていなかった。
親からも、彫刻家になふことを反対されていた。女性という理由で学校も入学できていない。10代の時点で、著名な彫刻家に天才的な能力だと認められたのに。
カミーユのアイデアと才能は素晴らしく、ロダンに長い間利用され、取り込まれたとも言われている。
専門家でもロダンとカミーユの作品を見分けることは難しくなっていたくらいだそう。
たしかに、「鼻のつぶれた男」と、同じくロダン作の「接吻」という作品は、同一人物の作品とは思えないくらい違う。
鼻つぶれ男も、考える人も、どっちも男性的なのに対して、この「接吻」という作品は、すごく女性的に見える。
この美術館にくるまで、カミーユなんていう彫刻家は、私は一度も聞いたことがなかった。
ロダンか、カミーユか、どちらの作品なのか専門家でも区別もつかないほどのレベルなのに。
30年間、死ぬまで精神病院に入れられ、存在も知られていないカミーユ。
お城に住み、今なおフランスの偉大なアーティストとして残り続けるロダン。
なんなん、この違い。
ひどくない?
女性であること自体が障壁となる職業を選ぶと、こういうことも起きかねないんだと恐怖を感じた。
不運にも、そういう職業を選んでしまうと、仕事内容で成果を出すことだけでなく、世の中の偏見を変えることにも成功しないといけない。
大変すぎるよね。
そういう人が、次の女性たちの道を切り開いてくれるし、偉大なことなんだけど。でも、あまりに大変すぎる。
カミーユの時代だけじゃなく、今も全然あると思う。
ハリポッターで有名なJKローリングも、「JK」という表記にしたのは、女性の名前で出すと売れなくなるからと説得されたからだそう。
日本も、少年ジャンプの女性漫画家は、女性であることがばれないようなペンネームを使っているのも有名な話だ。
女性であることが、足枷となってしまう職業があるのだ。
アーティストだけではなく、女性が少ない職業は全てそうだと思う。
政治家もそうだろうし、企業内の役員、管理職もそうだと思う。起業家もそうだろう。
女性であることを隠せない、表にでる職業は、名前を変えればすむ話じゃない。
実際に、私も大企業で管理職をやっていた時は、女性であることの障壁を感じながら生きていた。
部長レイヤーの会議に入ると、30人中27人が男性だった。その時点で意見が通る気がしなかった。
それは、女性だからじゃなくて、マイノリティだから。
反対に、女性27人で男性3人だと、男性側が仮にどんなに正しいこと言っても通る気しないでしょうよ。そもそも、そんな場に出たくないでしょう。
やる気がないわけじゃなく、圧倒的不利な環境に身を置くことに疑問を感じて、管理職を望まない女性は多いと思う。
当時の私は、女性管理職が少ないことを課題視して、役員と何度も話したり、女性向けのリーダーシップ育成プログラムを作って、業務時間外にやったりしていた。
必要なことだと思ったし、現状を変えたかったし、やりたいことではあったけれど、でも、そんなことをする必要がない男性たちと同等の仕事の成果も出さないといけなかった。
なんか、もう大変だなって思った。
どっちかだけでも大変なのに、両方とも成し遂げるなんて、超人的なパワーが必要。
その後、私は、やりたいことを見つけて、独立する道を選んだのだけど、今でも、女であることが障害となる職業を選んでいないか、考えてしまう。
女であることがむしろ後押しするような職業の方がいいのではないか?そっちの方が、純粋に仕事内容だけに没頭できる。
それとも、女であることが足かせとなる職業だとしても、女性の道を切り開く1人として、困難に立ち向かうべきなのか。
ここはまだ答えが出ていない。
▶強みを活かせること×心底大切だと信じていることをしたい
仕事というテーマを考える時に、私が大事にしたいことは、この2つの掛け算。
「強み×心底大切だと信じていること」
それぞれ別の話なので、一つずつ分解してみると…
「私は、自分のこういうところを活かしたい!」って、みんなあるよね?
あれ?ない?
私は、ちょっとエゴが強めなのかもしれない。
「人から求められることをやっていきたい」っていうタイプではない。
自分が考える自分の良さを活かせないと、もはや生きている感覚すらないっていうくらい嫌。
わがまま?
別にいいじゃんね。
迷惑かけているわけじゃないし。
求められていることをやるべきっていう生き方は、私はできない。
じゃあ、私の強みって何か?
私の場合は、父が教えてくれた。
「あなたの強みは視点」
こう何度も言われた。
最初は、そんなものに何の価値があるんだろうって思った。
でも、ありがたいことに、何年もかけて、何度も何度も、父は私に伝え続けた。
私が、自分の強みを過小評価しないように、その強みを活かすべきだと伝え続けてくれた。
もしかしたら、これが父からもらった最大のギフトだったのかもしれない。
私は、自分の強みだと自覚するようになって、それを活かして生きたいと思っている。
じゃあ、その強みを何に活かすか?
私は、心底自分が大切だと信じていることに、自分を活かしたい。
前職は、私はソーシャルメディアのマーケティングの仕事をしていた。
次にくるメディアをウォッチして、それのどこが面白いのかを言語化して、啓蒙していた。
面白い仕事だったし、私の強みも活かせてたと思う。
でも、ソーシャルメディアを広げることが、私が心底大切だと信じていることかと問われると、そうではなかった。
時間って、つまり命なんだけど、私の命を使ってやりたい仕事かというと、全然違った。
伸びている業界だったから、そこに早い段階から入ったことはビジネスパーソンとして得が多かったと思う。
でも、私は心底大切だと信じていることを日々時間を使いたいと思った。
なぜなら、心底大切だと信じていることは、パワーが違うから。
自分が信じていることって、ロジックを超えた説得力、地に足がついたような底力が出てくる。
私は、毎日、自分が心底大切だと信じていることを考え、口にし、形にできる仕事がしたかった。
それで、会社を辞めた。
まだまだ、規模は小さいけれど、船は漕ぎ始めることができた。
これからも、時代が変わる中で、色々変えないといけないことはあるだろうけれど、「自分を活かせること✖️心底大事だと信じられること」この掛け算で仕事をしていきたい。
ここは変わらない価値観だと思う。
読んでくださり、ありがとうございます(^^)/
自己紹介&サイトマップもあるので良かったら読んでください!