なんで旅がしたいの?ノープラン旅1日前の自分(未完成)
だいぶ前に書いていたのに出してなかったので編集をせずに出します。完成もしていません。
今日は念願の一人旅の前日だ。
準備はまだできていないけど天性の楽観主義が自分を前におしてワクワクさせてくれる。
幼稚園の頃からしていたラグビーを両足の前十字靭帯断裂と椎間板ヘルニアになってしまい自分の100%の力が発揮できない思ったのとシンプルに今後生きていく上でさらに大怪我をしたらと思うとラグビーをできる気がしなくて大学2年でやめ、プログラミングサークルを作ったりメンバーを集めるために200人以上の前でプレゼンをしたり、学部長に協力してもらうためのプレゼンをしたりラグビーをやめた自分に何も残らないと焦り様々なことをしたがやっぱりなんだか充実はしているがなんだか違うと思った。
そのまま夏休みが始まってしまい今まで通り朝からスタバに行ったり図書館に行ったりして本を読んだりサークルのメンバーの進捗を確認したりしていたが不意にこれだったらいつでもできるじゃないかと思い、いてもたってもいられなくなっていたが何をしたら楽しいかなと思った。友達と海でも行くかと思ったが小さい時から一生ラグビーしかしていなかったので仲良い友達はラグビーをしている人しかいなく、みんな大学でラグビーを続けて遊ぶ友達は幼馴染の女の子と晩御飯を食べに行ったりするぐらいでわざわざ計画立てて遊ぶほどでもない。じゃあ何をしようと思い大学生らしく旅に出ようという考えに至った。
小学3年生から別居している母親に夏休みやねんからばいとでもしたら?と言われたがこんな貴重な大学生の夏休みを最低賃金のバイトの売るなんて死んでもしたくないと思い、北海道の五稜郭まで青春18で行き帰りはヒッチハイクで帰るということだけを決めた。
もちろん金はないから野宿だそれそれで楽しみである。
それ以外に時刻表やルートは一切決めていないとにかく北へ行くことだけを考えていこうと思っている。
旅に出たら何らかの痛い思いをしたり、面白い経験をして成長できるだろうという浅はかな考えて計画というには恥ずかしいぐらいの計画を立てた。
台風が来てみんな困っているのに呑気だと思われるだろう僕もそう思うのだから。
旅に出る前に今の現状の価値観と悩みについて書く。
まず勉強というものの価値観の変化について
今まで勉強というものはぼったくられたりの金銭的な損しないためだったり馬鹿にされたりしないためのものと思っていた。
だが、ここ最近で気付いた。
好きなものをよりすきになるためであったり、実際の経験の質を高めるためのものであると気付いた。
この考えは今後変わるかもしれないが今はこれが腑に落ちている。
好きだからしている勉強は勉強ではなく趣味だが正直それをするのが一番だと思っている。
自分の足りないところを補うことより自分の尖ったところをより鋭くできる生き方というものに憧れている。
やらない理由作らずそのまま突っ込む。
失敗はおいしいネタ作りとおもう。
僕の信念は「やれること全部やる」だ。
9番街レトロの中村俊さんというお笑い芸人さんがたまに言う「やれることぜんぶやってるやん」と言っていて自分はどうなんだと急に思い自分は本気でやれること全部やろうと思うようになった。
やれること全部やって失敗だったら納得はできるが、やれることを全部やっていないのに失敗してうなだれるのは本当にださいと思うから自分はこの信念のもと生きているが実際にはもっとできると思う。
だが最近の悩みは今の自分に満足しなさすぎて一つの物事のついて深く考えられなくなっていることだ。
ビジネスについてや未来のことばかり考えるのではなく今この目の前にあるものを五感をフルで使って思い切り楽しみたいと思う。
タイトルにある「なんで旅がしたいの?」というタイトルについて考える旅にしようと思う。
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