ノープラン旅を終えて 青くてオレンジな。
結論
前回話した「なんで旅がしたいの」という自分に対しての答えが出たような気がする。
実際に野宿をしたりあまり良くないがフェリーターミナルで晩過ごしたり普段の生活をしていたら出会えない人と話をしたり東日本大震災の跡地を見たり実際に震災で被災した人たちのリアルな言葉を聞いたりしたことで気付けたような気がする。
「なんで旅がしたいのか?」という問いに対してはただただ憧れや今までずっと長期の休みがなかったコンプレックスを解消したかっただけだったように感じる。
そんなことより旅に出て”学び”というものについての価値観が変わった。
旅に出て多くの学びがあったがでも教養やその場の歴史背景などわかっていたり日本語以外の言語を話すことができたらもっと楽しく日本人だけでなく日本に来ている外国人の方とも話すこともできただろうし、もっと多くの気付きがあっただろう。
だから私はもっともっとさまざまなことを学びたいと思った。
そして野宿でもいい経験ができた。
当たり前のありがたさに気付いた。
がもっとお金を稼いでいたらお金を使ってもっと違う体験もできただろう。
袋麺ではなくその土地の最高の食べ物を食べれただろう。
お金を使わない旅も楽しいがお金をもってお金を使わずに時間を使う旅かお金を使って最高の体験をする旅か選べるような人間になりたいと思った。
結論は以上だこれからこの旅であったことを話していこう。
1日目
2023.8.18~8.28まで10日間北海道の五稜郭を見るということと行きは青春18切符帰りはヒッチハイクをするということだけを決めて20リットルぐらいのバックパックに着替えとクッカーとマットと寝袋とその他諸々をいれて旅に出た。さっそく最寄駅に始発の時間に着いたのだがスマホを忘れて来たことに気付き慌てて取りに帰り一番最初の忘れてよかった。
こで忘れておけばもう気が引き締まりどこに行っても忘れ物はないだろうとたかを括っていた。
行きの電車では普段は通らない路線の景色を楽しみつつ流行りの「汝星の如く」を読みながら北海道への旅を進めた。
京都の加茂から出る汽車は二両編成で初めてなものでとても興奮をした。
奈良から京都に出ただけで旅に出たなと実感しワクワクしていた。
そこから乗り継いで乗り継いで浜松城を見に行くためにJR浜松に降りたとてもお腹が減っていたがお金を使わないために我慢しようと思った。
これが大間違いだった。
改札を出てgooglemapを開き浜松城を調べた。
1.5キロ歩いて20分程度なのでバスを使わずに街を散策しつつ浜松城に向かった。
どうする家康にあやかりとても繁盛していた。
普段は10㎏ぐらいのバックパックなんて背負わないのでとても疲れながら駅に戻りお腹が減りすぎスーパーにおにぎりを買いに行きベンチで食べおえもう一度電車に乗ろうと思い改札に行くと青春18きっぷがサコッシュに入っておらずバックパックをひっくり返し探したが見つからず駅員さんに聞き、交番にも聞いたがなくとても絶望しながら駅周辺を歩いていた2時間ぐらい探したり聞いたりしたがどこにもなくとうとう1日目にして2枚目の青春18きっぷを買うこととなってしまった。
慣れない重い荷物と空腹で集中力がなくなって無くしてしまったので皆さんはぜひ旅の時は普段以上にエネルギー補給を怠らないでほしい。
そこからは改札を通ったらすぐバックパックの中に入れ絶対無くさないようにした。最初からそうしておけばよかったとすら思った。
当初は1日目で群馬県ぐらいまで行けたらいいかなという具合だったが切符をなくして大幅に時間をロスしてしまったことで熱海までしか行けなくなった。
するとラッキーなことに熱海で花火を観れた。12000円で花火を見れたことにしようと自分を騙した。
地元ではあまり盛大な花火を観ることができないし淀川の花火大会は人が多すぎて行く気にすらなれず、熱海で盛大な花火を観ることができてラッキーだった。
その時は年に一回程度の花火にたまたま出会ってラッキー!と思っていたが帰りのヒッチハイクでその話をすると週に何度かあることを知りとても悔しい思いをした。
花火を観て近くのイオンに行き袋麺とコーラを買った。
最近健康な食生活を意識していたので罪悪感が相まってとてつもなくうまかった。
夜は駅へ帰る人を公園のベンチで眺めながらその日は終えた。
2日目
虫除けスプレーを大量に振っていたが蚊たちは無慈悲に20箇所以上から血をもって行った。
いつも通り5時起床でそんな時間に起きたって何もないのはわかっているのに熱海を徘徊すること3時間経ち待ちに待った憧れの熱海の公衆浴場の開店時間になった。
開店時間10分前につき開店をまっている近所の人だろうと思われるおばちゃんと世間話をしていたら公衆浴場の扉を店主のおっちゃんが開けた。
公衆浴場の勝手がわからなかったので近所の人っぽい人たちの真似をしながら入って行った。
浴場に入ってみると想像の3.5倍小さく驚きを隠せなかったさらにシャワーはなく冷水と温水の蛇口のみそれが3つ。
それにさらに驚かされた。
一通り体を洗い3人入れたらいいかなというぐらいの湯船
このようなところの温度設定は強烈にあついイメージがあったので恐る恐る足を入れたら、予想通り体感温度は50度を超えてそうな熱さで浸かるのを諦めかけたが、熱海の公衆浴場に来たのだからと思ったのと私が一番最初に体を洗い終えて湯船に向かっており熱海の人はこれに平気で入るのかと思って負けられんとおもい見栄をはり気合をいれて肩までつかっていたらおじちゃんが来て「兄ちゃんすごいなぁこんなに熱いのよく入るねぇ」と言われ慌てて上がりなんだ地元の人もしっかり感じる温度が一緒なんだと安心しおじちゃんと腰まで入り仲良く世間話をして温まってきたので上がり熱海駅へ向かって歩いた。
2日目も相変わらず最初の駅から最後の駅まで進み続けた。
昼には宇都宮につき餃子ロードに向かったがどの店もUSJ並みにならんでいてすぐに諦め駅前の餃子屋に入った。チェーン店っぽい感じだったが食べてみるととても美味しく餃子ロードのはもっとおいしいんだろうなぁとおもいながら目の前の餃子を味わい店を後にしすぐに電車に乗った。
ずっと乗っていると途中の田舎の駅の横にとてつもなくおしゃれな建物を見つけ降りて行ってみると町の図書館だった。
もう今日はここで終わってここで本を読んで終わろうかと思ったがしっかりまた電車に乗った。
それにしてもとても綺麗で前衛的な木造の図書館で自分の町にもこんな図書館があればなぁと思った。
その日は仙台まで行ったもう夜の21時今日は仙台で泊まろう。
先に調べていた銭湯に行きその後スーパーに仙台牛のタンがないか探しに行ったがどこにもなかったので公園でラーメンを炊こうと思って公園に向かっているとぱらぱらと雨が降って来た。
今日は野宿ができないから快活クラブに行こうと決めて歩き出していると豪雨に変わった。
なんだが旅らしくてとてもテンションが上がった。
雨の日の練習の後のような気分だった。
初めて快活クラブで泊まるという経験をしたが案外悪くなかった。
シャワーもある飲み物もある何よりコンセントがある。
野宿をしてからで当たり前にあるものに感謝することができた。
快活クラブでは漫画を読まずにnetflixでトリリオンゲームを1〜6話まで見ているといつの間にか深夜の3時になっていた。
予定も決まってないし、明日1日快活で漫画を読もうかなと葛藤した。
3日目
葛藤の末出発することにした。
仙台駅へ向かった。
昼から電車に乗り15時ごろお腹が減り途中で降り公園でラーメンを炊いた。
そこから先輩や同期の友達の地元の秋田駅に降りた。
とても雰囲気が良く住みやすいんだろうなぁと感じた。
秋田で半額になった美味しそうな海鮮丼を買い電車に乗り青森駅へ行く電車に乗った。
青森駅へつき公園で秋田駅で買った海鮮丼を食べた。
青森駅周辺で公園を探しとても綺麗な東屋があるところへ行きそこで1日を終えた。
この日は薄かった。当たり前だ。だって昼まで寝ていたのだから。
4日目
前日に蚊取り線香を買っていたので蚊に刺されずに快適に寝ることができた。
翌日朝の6時から温泉に入り久しぶりにサウナに入った。
そこからあがり休憩所に行きだらだらした。
地元のおじちゃんや旅行で来ている家族がいてとても朗らかな気持ちになってしまい寝てしまった。起きると10時半すぐに出て散歩しているとチケットで海鮮丼を作るところにたまたま入った。
最初は何も買うつもりはなかったが、大量のホタテに目を奪われいつの間にか財布を出して買っていた。
内陸の奈良と埼玉では味わえない鮮度とおおきさのホタテで今までで一番美味しかった。
だが、最初の5個ぐらいは美味しくいただけたが6個目からは飽きてただただ口に入れるだけになってしまった。
このことから好きなものでも適量がいいとわかった。
その後青森駅からすぐ近くの青森〜函館間で電車を運んだりしていた船の見学をした。昔の青森の暮らしや今の船と昔の船の違い船の歴史、戦争で多くの船が人を乗せたまま沈没したことなどを知った。
その後機関部もみることができた。
やはりおおきな船なのでエンジンも大迫力、私のバイクの何百倍も大きかった。
その後津軽海峡フェリーの青森ターミナルへ向かった。
1時間ぐらい歩くと大きなフェリーが見えた。
一つ前のフェリーが出発してすぐだったので2時間ほどフェリーターミナルでだらだら待っていた。
ようやく乗船時刻となり乗船した。
思っていたより客は少なかった。
乗船後すぐにシャワーを浴びに行った。
浴びた後速攻甲板に上がり風を浴びに行った。
帰りにヒッチハイクをするために先に人に声をかける練習をしようと思い優しそうなバイカーのおっちゃんに声をかけた。
そこからバイクの話や昔の旅の話やらで盛り上がった。しばらくして太陽が沈んでいっていた。地平線の先から太陽が明日への道へ進んでいったのを見て海なし県を拠点にしている私はとても感動した。
地球の広大さを改めて実感したと共に冬は海外に旅をしに行くことを決意した。
オンデーズの田中さんが言っていた言葉だが「経験の幅が広ければ広いほど決断の正確性があがる。スラムから超高級のものまで見ることでより良い決断ができる」とおっしゃっていた。
それを身をもって実感をした。
だから少しずつ脱線をして行って人があまり経験をしないような経験をたくさんしようと思った。
その後完全に日が沈み風が強くなり客室に戻り外を眺めながら本を読んだ。
そうしていると函館フェリーターミナルにつきさっき洗った服を乾燥機をかけにコインランドリーに向かった。
その後憧れのラッキーピエロに行き一番人気のチャイニーズチキンバーガーのセットを食べた。
食べたことのない味でおもしろ!!と思いながらまた明日行こうと思いながら店を後にした。
その後を寝床を探しに街に出たがなかなか見つからず最終手段のフェリーターミナルに向かった。
フェリーターミナルに向かうと数人私と同じように寝床がない旅人らしき人がいた。
たくさん歩き疲れていたので歯を磨きすぐに寝ることにした。
公園と違いベンチなのでクッションがあるにはあるが一席ずつ独立のものだったので公園とは違うねご心地で正直こちらの方が寝心地は良くはなかった。
5日目
翌日は寝心地は良くはなかったが空調が効いていて気持ちよく寝ることができた。
翌朝手作りのバックパックの後ろのダンボールでヒッチハイク、大間と書いている人が充電スペースでゲームをしていた。
ヒッチハイクのコツを聞くために話しかけてみた。
するとその方は日本各地を9年間旅をしているそうだ。
なんだかんだで仲良くなり一緒に食事をすることになった。
向こうは当然下の食堂的な場所で食べようとしていたそうだが私は話の途中で出て来たレンチン飯というものに興味を持ち近くにスーパーがあるのでレンチン飯がたべたいです!
と提案した。
するとちょっと嬉しそうな顔をしてじゃあ行こう!ということになりスーパーに向かった。
スーパーにつき焼きそばとキャベツ、10枚切り食パン、砂肝、ハート、スーパーのオリジナルブランドの袋麺を買いフードコートへ向かい下処理をしに行った。
この食材で何を作るかというと、焼きそばパン、砂肝とハートのボイル、そしてレンジで作る即席麺だ。
スーパーで料理することにとても罪悪感があったが、一生会わない人たちどう思われてもいいやと思いふっきれ旅人とのレンチン飯を存分に楽しんだ。
あじはとても美味しかったが量がとても多かった。
そりゃそうだ。
やきそば3人前、食パン一斤そこに400gの砂肝とハート、ラーメン一人前。
現役を引退した自分には圧倒的にオーバーカロリーだが頑張って完食し旅人とは別れ五稜郭へ向かった。途中でお気に入りの日本手拭いを風に飛ばされたが不幸中の幸いでクッカーの緩衝材用でもう一枚持って来ていたので難を逃れた。
旅の便利グッズ
みなさんへいいことを一つ!
旅行にタオル類は男性とショートの女性に限るが手拭い一枚で事足りることがわかりました!
ハンカチにも、体を洗うタオルにも、体を拭くタオルにも、サウナハットにも様々な役割をはたしてくれます。
温泉に行っても体を浴室でしっかり絞りながら拭いたら意外としっかり拭くことができます!
では本題に戻ろう。
手拭いを飛ばされてもめげず歩き続けた。
すると緑豊かな公園らしきものが見えた。
それが五稜郭だったが中に入ってベンチで休憩するまでわからなかった。
唯一の目的地なのになんとなくの方向でついてしまった。
土方歳三の最後の戦いの場所というふわっとしたニュアンスとゴールデンカムイで知ったのが大きかったので戊辰戦争前になにのために作られどう使われたかが現地に行くまで知らなかった。
とても恥ずかしい。
しっかり中学、高校の頃勉強しておけばよかったと思った瞬間だ。
なにも知らないので箱館奉行所をリアルに再現したところに入ってみた。
木のとてもいい香りでこんなところに住んでみたいと思ったがここは罪人を捌く場所であることを知ってやっぱりいいやと思った。
釘隠しなど細かいところまで再現されていた。
本当に宮大工の仕事は美しい。
そのあと五稜郭の全体像が見たかったので1000円を頑張って出して、五稜郭タワーに登った。
高所恐怖症克服のために友人たちとスカイツリーに登りに行ってよかったと思った。
難なく外の景色を見ることはできたがやはりみんなのようにもたれかかって写真を撮ったりはできなかった。
これからもっと挑戦をして楽しんで絶景を見れるようにしたい。
その後1時間程度かけて函館山の麓まで歩いた。
少し休憩しロープウェイは1800円と旅人に優しくない金額だったのであるいて登ることにした。
登山も小学生の時は毎週のように登りに行っていたが、中学生になってラグビー漬けで全然行かなくなったので登れるか心配だったが案外登ることができた。
大半の人が徒歩で登るものだと思っていたので僕以外一人も歩いて登っている人がいなかったので寂しく感じたが自然を独り占めできて贅沢な時間を過ごすことができた。
山頂まで登ると予想以上のお客さんがいて修学旅行の高校生もいた。
日が落ちる前と落ちた後を見ることができた。
とてもきれいだとは思ったが一人ではなんだか味気なかった。
また大切な人と並んで観たい。
いい時間になり歩いて下山しようと思ったがバスが500円で走っていることを知りすぐバス乗り場に並んだ。
案の定多くのお客さんがバスにむかっていて乗った頃にはぎゅうぎゅう詰めだが歩いて暗闇を下るよりかは何倍も快適だった。
どこで降りたらいいかわからなかったのでとりあえず終点の函館駅まで行った。
そのあと北海道といえばジンギスカンだ!と思いスーパーにジンギスカンを探しに行った。
ジンギスカンはあったのだが残念なことにオーストラリア産仕方なくそれとパック野菜を買い公園に向かった。
ベンチに座り少し休憩しているとおじさんが一つ隣のベンチに寝そべり隠部を弄り出した。初めての露出魔との遭遇なので写真を撮って脅してやろうかと思ったが一日中歩き回って疲れている自分にはそんな元気はなかったので無視して肉を焼いて食べた。構ってもらえなくて寂しそうにしながらかえっていったので一件落着かと思ったがクッカーを洗っている時露出魔はもう一度現れた。気持ち悪く無視したのにもう一度来たので焼きを入れてやろうかと思ったが旅が中断するのは勿体無い昼間の旅人がもう一泊フェリーターミナルに泊まると聞いていたので1時間半ぐらいかけてフェリーターミナルに戻ることにした。
朝から晩まで濃厚な1日になってこれこそ旅だなと思いながら寝た。
6日目
次の日フェリーターミナルに深夜3時くらいについて寝たので10時ごろまで寝ていた。起きたら旅人がいたので昨日の話をしラッキーピエロに連れて行ってもらった。その後旅人と別れヒッチハイクのためにスケッチブックを買いに行った。そして帰るためにフェリーターミナルに戻った。
今日帰ってもすぐ車が捕まらないし青森で寝るよりフェリーターミナルで寝た方が快適だと思いもう一泊することを決め休憩していた、だがもう一度ラッキーピエロが食べたいし無くした青春18切符代を取り返したいと思いフェリーターミナル前のパチンコ屋に向かった。
ほぼ1年ぶりのパチンコだったがわけもなく自信に満ちていた。
最初は甘デジでちょっとずつ稼げばいいやと思いながら打っていると400円目で当たった。よし!5000円!これで晩御飯代を稼げた!と思ってここで辞めればいいのに調子にのって一円のユニコーンガンダムを打ったするとみるみるお金が消えて行った。
こんなところで諦める人間じゃない俺はできる!と自分を洗脳しコンビニに4万円を下ろしにいった。一年前のパチンカスに逆戻りだ。
次は4円で一攫千金10万ぐらいだして豪勢な旅にするぞ!と思いながらあまり打ったことがないエヴァの席に座った1万円を入れたが全く当たらなかった。
台を変え角台に変えここからは離れないことを決め打ち始めた残り3万円気合いを入れて打ち始めた1万、2万と簡単に消え最後の3万円目半分を過ぎた頃金枠が来て当たった。
救われた。
最終的には4000円勝ちなんともいえない勝ち額だがラッキーピエロでは少し奮発してチャイニーズチキンカレーにウーロン茶そしてラッキーガラナというジュースも頼んだ。気持ちよくお腹を満たしフェリーターミナルに戻った。
そして明日からのヒッチハイク生活に備え寝た。
7日目ヒッチハイク1日目
7時頃に出発するフェリーに乗りまたすぐにシャワーを浴びに行った。
またすぐに甲板に上がったが行きの時のような感動はなかった。
これが未知が既知にな変わったことなのかと思った。
もっといろんなところに行きたい。
もっと未知に出会いたい。
眠くなり客室で寝て起きたら到着の時刻だった。たくさん寝たはずだったのにまた寝た。
このヒッチハイクをした日からは時刻をメモしていたのでその時刻に合わせて記していく。
11:40青森港出発
ヒッチハイクのできそうな場所を探す。
12:24ヒッチハイク開始
初のヒッチハイクでとても緊張していたが旅人に言われた通りしっかり笑顔でスケッチブックを通る車に見せた。がなかなか止まってもらえないので場所を何度か移動しながら挙げていると商用のハイエースが止まってくれた。
13:10木工屋のおじさんに乗っけてもらう。
商用のハイエースに乗ったとてもやさしそうな方が止まってくださり青森市から弘前まで乗せてくださった。
弘前には桜並木がありゴールデンウィークになると桜並木がある通りが普段なら40分で抜けられるところが4時間もかかるそうでどれだけきれいなのか想像できなかったのでまた来ることができたらいいな。
14:00道の駅ひろさき到着
道の駅を散策しトイレを済ませた。
14:10ヒッチハイク開始
秋田に行く車は多いが盛岡方面に行く車は多くない。
開始1日目に挫折かと思っていた。
14:40やさしい老夫婦に乗っけてもらう。
見た目から滲み出る優しさの淡い黄色の小さい軽自動車に乗せていただいた。
これから震災遺構に行きたいことを話すと震災当時の知り合いの話や老夫婦が住む秋田県についてたくさん教えてくださった。
気を利かせてスマホの充電までさせてくださり長い距離を楽しく終えた。
16:40紫波サービスエリア到着
16:50ヒッチハイク開始
17:30 4.50歳のできるサラリーマンっぽいおじさんに乗っけてもらう。
北上のうまいもんでも食べてよと1000円頂いた。
17:50 北上 金ヶ崎SA到着
もらったお金で定食は食べれなかったのでソフトクリームを食べた。
18:10ヒッチハイク開始
気仙沼方面とスケッチブックに書きヒッチハイクを始めたがなかなか見つからない。サービスエリアが小さいので次のサービスエリアと書き換えもう一度ヒッチハイクを始めた。
19:50諦めかけた時に関西出身で仙台で働いてるおっちゃんが次のサービスエリアまでやったら乗っけたるでと言って頂きありがたく乗せていただいた。
20:10前沢SA到着
20:20本日最後のヒッチハイク開始
21:30 諦めて就寝。
8日目ヒッチハイク2日目
5:00時起床どこも蚊に刺されていない。
やはり蚊取り線香は最強だ。
朝食にラーメンを炊き美味しく食べた。
7:00ヒッチハイク開始
10時まで見つからなければ仙台から新幹線で帰る。そう思い始めていた。
8:30おばちゃんに水をもらった
9:30出張帰りのシビックタイプR(FL5)に乗るホンダの方に乗せてもらいながら震災当時のことを聞かせてもらった。
その人の話からしっかり大切な人を大切にしようと思うことができた。
11:10角脇小学校到着
震災火災で燃えた小学校をそのまま残して伝承をしている場所に行った。
生き残った方のリアルな声生き残れなかった方々への想い目の前で人が亡くなる恐怖。”万が一”に備えようということをみなさん軽くいうが万が一ということは本当に万に一回あるということだそれを軽く見てはいけない本当の万が一に備えて大切な人を守りながら生きたいと思った。
その後途中で出会った一人で旅行をしている大阪のおばちゃんとたくさんしゃべった。
海外での変な旅や国内のニッチなスポットに行ったりしている変なおばちゃんでとても盛り上がっていつの間にか16時になっていたので別れてヒッチハイクを再開した。
16:24ヒッチハイク開始
三陸道入り口までウォーキング
18:20警察官のおっちゃんに乗せてもらった
19:20原発で働いてたお兄さんに乗せてもらい爆発当時の原発のリアルを教えてもらった。
震災当時働いていて相当しんどかったそうだ。
20:00セディッテかしま到着
20:10ヒッチハイク開始
21時には諦めようと思った。
20:50筋肉おにいさんに乗せてもらう。
道中色々な話をした。
筋トレやらラグビーレスリングやら地元の話などとにかく1番楽しかった超いい人!
23:53守谷サービスエリアに到着!
そのまま寝た。
9日目ヒッチハイク3日目
ヒッチハイクを初めて1日目2日目は気合いを入れて到着して10分程度休憩をしてすぐにヒッチハイクをしていたが、3日目からはのんびり行こうと切り替えた。
5:00起床
朝から優雅にラーメンを炊いて服を洗ったりして空を眺め音楽を聴き3時間使った。
8:10守屋サービスエリアからヒッチハイク開始
9:15隊長に乗せてもらった
震災直後広島から福島に移住し、被曝した瓦礫撤去をし、今では飲食店を経営している方で「クソ暑い中で頑張ってるから乗って行き」と言って頂きありがたく乗せていただいた。
隊長とじゅんさんはとてもいい人で楽しく神奈川から静岡まで道を進めた。
途中で海老名サービスエリアにおりしらす丼とかき揚げそばを頂いた。
今後ビジネスでつながる仲間ができた。
ビジネスやこれまでの失敗や成功を惜しみなく教えてくださった。
あっという間に時間が過ぎた。
15:00足柄sa到着
17:30ヒッチハイク開始
17:52昔ヒッチハイクをしてたお兄さんに差し入れをもらった
「どうせ行きたいところに着くから安心してヒッチハイクしたらいいよ」と経験者からの安心する言葉を頂いた。
18:00元バイク乗りのタミヤの紫色の限定tシャツのおばちゃんに乗せてもらった
大学生の息子を送った後だったらしく行きは息子で帰りは息子と同い年のヒッチハイカーを乗せて大爆笑していた。
その方はバイクで野宿旅をしたり食パン一斤を抱えて北海道に行く相当な旅人でファンキーでとても面白かった。
18:55日本平sa到着
日本平saがとても居心地が良く一晩越した。
10日目ヒッチハイク4日目
5:00起床
8:20ヒッチハイク開始
10:00長野から来た夫婦に乗せてもらった
息子さんの陸上の大会の応援ついでに観光している時に乗せていただいた。
10:50遠州豊田に到着。
11:00ヒッチハイク開始!
なかなか苦戦しそうなところだったがあっさり。
11:15太陽光を売ってるお兄さんに乗せってもらった。
11:40浜名湖サービスエリア着
浜名湖の鰻を食べた。
久しぶりに鰻を食べ感動した。
旅をして移動費以外ではじめて2000円以上をだした。
14:00ヒッチハイク開始
初めてすぐ
14:10タイ人女性と日本人の金髪のゴツいお姉さんたちに乗せてもらった。
三人で爆音でHIP-HOPを楽しんだ
15:00刈谷サービスエリア着
もう少しで着くので刈谷saを散策してからヒッチハイクをした。
歩いているとたくさんポケモンGOをしている人がいてまだそんなに流行っているんだと驚いた。
15:30ヒッチハイク開始
16:45見たことがない軽バンに乗せてもらった。
その人とビジネスの話で盛り上がりたくさん喋りその方の友達とも会ってから駅まで送ってもらった。
自宅には22時ごろにつききれいなお風呂に入りすぐに寝た。
本当に充実して青くてオレンジな10日間だった。
人生初めての旅を終えて。
憧れていた旅行ではない旅。大学生の今しかできない時間の制約がない旅。
これからの生活に大きく影響を与える旅になったと思えるように日々の行動を見直して生きたい。最悪スケッチブックとペンさえあれば日本全国どこでも行けるという心のセーフティができた。
死ななければなんとかなる。
たくさん様々な方々に迷惑をかけた旅でした。
人に迷惑をかけることを極端に避けていた僕ですがヒッチハイクを通してに助けてほしい時は「助けて!!」と誰もが言える日本になったらいいな。
あと旅の日記はその日その日で書こうと思った忘れてしまうし辛い記憶が美化されてしまうのでその日その日のリアルな心境も書けていけたらいいと思う。
皆さんに私みたいな野宿などを進めるつもりはないですが大学生は長期休みに社会人の方は1週間程度頑張って休みを取り目的地も決めずにただただ行けるところまで行ってみる旅をしてみてほしい。そして普段の生活では出会わないような人と会話してほしい。自分の悩みなんかちっぽけだったことに気付くことができるだろう。
頑張っても結果が出ない、正しく評価されない、やりたいことがない、退屈だ、暇だ、人には人のさまざまな悩みがあるだろう一度何もない環境に度胸試しで飛び込んでほしい。世界は広い。人口が減っていると言われているがまだ日本人は1億人以上いるんだ世界には80億人もホモサピエンスという同族がいるのだ、目の前の上司や同僚と合わなくたっていいじゃないか、学校で30/1億人にいじめられたって気にすることはない。世界は広い。目の前のことも大事だがもっと広い視野をもって外の世界を見て飛び込んでみたら必ず受け入れてくれる人がいる。
「助けて」と言ったらかならずどこかに助けてくれる人がいる。
社会人経験もない。ろくにバイトもしたことがない人間の言葉は信用ならないかもしれないがこれだけは信じてほしい。
「助けて」と本気で叫べば必ず誰かが助けてくれる。助けてくれるまで叫べ!動け!
あとがき
小学生の夏休みの日記みたいな文だったと思います。
ですがこれが今の自分の本気です。
もっともっとこれから頑張りますので応援よろしくお願いします。
最後に出会ってお話をしてくれた方々。
ヒッチハイクで乗せていただいた方々
見知らぬ私を助けていただき本当にありがとうございました。
私もこれからは助けてという声に聞き耳を立てて聞こえたらすぐ助けられる人間になろうと思います。
本当にありがとうございました。
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