𝐃𝐚𝐧𝐜𝐞 𝐨𝐟 𝐃𝐚𝐫𝐤𝐧𝐞𝐬𝐬
五蘭 弾澄(ごらん だんす、1867年2月9日〈慶應3年1月5日〉‐1916年〈大正5年〉12月9日)は、日本の発明家、俳人、脳神経外科医。日本ではじめて脳外科手術で“ツーステップ法”を考案した。武蔵国江戸牛込馬場下横町(現:東京都新宿区喜久井町)出身。本名は横下 武蔵(よこした むさし)。俳号は暗黒舞踏仏(ダンスインザダーク)。解号は『ご覧ください〜』。
《Pedipediaより参照》
Chapter One: The Baby Took Two Steps Through the Birth Canal(その赤子、ツーステップで産道より出づる)
(御ギャァbe fine……御ギャァbe okey……私だけのstepで……私だけの歩幅で……)
「奥様、立派な男の子ですよ!」
「クラブで踊り明かしたかいがあったわぁ〜。」
大正5年、12月9日。
縁側に降り積もる淡き雪の結晶のように、私は瞼を閉じて眠りについた。そうして静かに御臨終……を迎えたと思った次の瞬間にはもう、この懐かしき島国へ、再び生まれていたのである。
父(パリピ)と母(パリピ)の元にサラブレッドパリピとして再び輝かしい未来を爆誕授かり、産道をツーステップで回りながら降りてきたのが、私が覚えている限りの、流魂街での最初で最古の記憶である。
《おわり》
Afterword: Always Two Steps in My Heart
(いつも心に二通りのステップを)
……駄目だ、ぜんぜん書けねェ。書けねェなら書かねェ。簡単なことです。ムー大陸を見つけるよりも簡単なことですね。寒さが手足を、そして脳味噌を羽交い締めにしやがる。
さて……もうこれ以上は書かかねェと決めたら、途端に楽になってきました。最近バズってたミロでも飲むか。行動力ゼロの私にしては珍しく、バズったその日に買ってきた。最後にミロを飲んだのはいつだったかしら。園児以来かも知れない。母がダンス教室でツーステップを練習しているのをぼーっと見ながら、園児の私はミロを飲んでいた。幼心にツーステップって、オシャレな時間稼ぎだなと思っていた。
結婚して東京から誰も知らない九州の田舎にやって来た母の、唯一の、オシャレな時間稼ぎの時間だったのかも知れない。
何はともあれ、ミロバズは日頃からXでリスペクトしてる整体師のお墨付きでもあった。あのお墨付きに安心して買った人間は私だけじゃないはずだ。あのひとのお墨付きはデッカい浮き輪みたいなもんやからな。Xは油断すると二通りの情報の濁流に左右から飲み込まれる。お互いに信じていないものが陰謀論ならば、陰謀論とは特定できないUMAみたいなもんでござる。黒潮と親潮みたいなもんでござる。ぶつかったところで案外、豊かな思想が生まれてんねん。そこで獲れる秋鮭の大きさ、味。別格や。ツーステップで水揚げする訓練を怠ったらあきまへんで。ところでミロ、ネ⚫︎レやんか。迷ったわ。いや、一応迷ってみた。迷った素振りをしてみた。棚の前を3回ぐらい往復した。
ネ⚫︎レを買うチュ──────ことはなぁ、数年のダーティーなビチクソ世界と私とを必死に仕切っていた思想を取っ払うことになる。あんたバランなんか外したら、ハンバーグの肉汁が白米まで攻め込んでくるやで。そんなふうに人間って奴ァ、バランを外しちまうような血迷った些細なミスで、全身ダーティー悪汁塗れに堕ちていくやで。堕ちるのはあっちゅう間。ほんでこの過程すらビジネスに変えるビチクソマジシャンみたいな詐欺野郎もぎょうさんおんねん。加担したくねェ。世界の黒歴史になァ。だが今回ばかりは、背に腹は代えられない。自分を裏切り、健康を買うことにする。賢者のプロペラだけじゃ、自律神経失調症が治らなくなってきたんで。鉄分とビタミンDを召喚するために両翼を生贄に捧げたが、まずは健康でなけりゃ、なんにも書けねェ。書けねェなら、抗えねェ。健康でなけりゃ、創作で魂を削れねェだろうがよ。まぁ2Bは削っても魂まで削るなんてのは、三流以下がやることなんですが(暗黒舞踏)……また今度。千年後の電子の海でお逢いしましょう。
次回作『ダンスをご覧ください』
お楽しみに。