言葉とバックグラウンドと私
私は生まれも育ちも関西だが、関東で仕事をしていた事もあり、標準語も使っていた。単に、「関西弁ですね、関西の方ですか」から始まる特にオチの無い会話に発展するのが面倒だっただけだ。
しかしふとした時の語尾のイントネーションから、隠れ関西人(別に隠れているわけでもないがこう呼ぶことにする)を発見することがよくあった。話す機会があると、関西人ですよね、なんて距離が縮まる事も少なからずあった。
バックグラウンドが滲み出るというのは、話し言葉に限ったことではない。
本や歌詞で、「あ、この人理系の人だ」なんて感じることが良くある。
専門用語や、なんとも言えない独特の言い回しがあるのだ。隠しきれない関西弁のように。きっと何年も何かを研究して失敗を繰り返し試行錯誤した日々があるんだろうな、なんて思いを馳せてみたりする。
さっそくネットで調べてみて理系だと分かった時は、地味に嬉しいものである。
レミオロメンの藤巻氏、東野圭吾氏、森博嗣氏…
本人が意図せず滲み出たバックグラウンドを、こっそり察知して、こっそり楽しむ。そんな楽しみ方もあったな、なんて久しぶりに思い出した。noteで色んな人の文章に触れたからだ。
ここ2年ほど、妊娠出産育児でバタバタする日々。
久しぶりに本でも読んでみようかと思う。
書く方はどうか。32年間の積み重なったものが文章に出てくるんだろうか。これは私が判断するものではないけれど、こっそり誰かが察知して、こっそり楽しんでくれるような文章を書けたら良いな。
そんなこんなで、
私は夜な夜なnoteにどっぷりハマっていくのだろう。