![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/162365832/rectangle_large_type_2_e80852c8d6051ed650296c3a0ce887dd.jpeg?width=1200)
人口12人の島の歩き方~高知県・鵜来島~ 2024.07
もう10年以上前、子どものころの話だ。
地図帳をぼーっと眺めるのが好きだった私の目に、小さな島の名前が目に留まった。
四国の一番左下のさらにその先にある、ほぼ点のような描かれ方をしている島。
鵜来島、と書いてあった。
読み方は、うぐる。
そのどこか独特な響きと、「鵜の来る島」という文字の並びが
頭の中にずっと残り続けていた。
何年もの時を経て、この島に行く機会を得た。
黒潮の中にそびえたつ岩山、その間に小さな集落が一つだけある。
車道は存在せず、当然クルマは1台もない。
この島について持っている情報はそれだけ。
でも、いざふたを開けてみると、想像のはるか上をゆく経験ができる島だった。
うぐるへの長い長い道のり
鵜来島は四国の西南端・高知県宿毛市沖20kmに存在する離島だ。気になりだして10年行けなかった理由のゆえんは、その遠さにある。
島への第一歩として、船が出る宿毛市の片島港に向かうのだが、ここまでがすでに遠い。
大阪からの最速ルートは、岡山まで山陽新幹線に乗り、そこから特急2本と普通列車をハシゴして宿毛駅に向かったうえで、バスに乗り換える。これで8時間。
東京からは早朝の飛行機を使うことで、その日の終発の定期船にギリギリ間に合う。日本で最も東京から離れた場所と言っても過言ではない。いやはや遠い。
私はどうしたかというと、四万十川を巡る旅と合わせてこの島へ向かうこととした。
私の住む大阪市からは夜行のフェリーで松山市へ向かい、JRの特急に乗り継げば、朝9時過ぎには宇和島に着ける。そこから片島港までは、レンタカーで2時間もあれば余裕だ。リアス海岸が美しい南予の海をゆっくりと観光し、海の幸も楽しみながら島へ向かうことができる。
![](https://assets.st-note.com/img/1731934003-q3mcRTzN5IDVJvyZtf4n20Hw.jpg?width=1200)
島のくらしのすべてを乗せる船
こうしてめでたく片島港に到着しても、鵜来島行きの定期船は1日たったの2本。早朝7時台と昼の2時台だけだ。これが、鵜来島へのハードルが高かったもう一つのゆえんである。普通に行こうとすると、早朝の便に乗らなければ、その日中に到達できないのだ。
宿毛市に属する有人離島には、鵜来島のほかに沖の島もある。沖ノ島は人口が100人強、集落も2つ(弘瀬・母島)あり、それなりに大きい島だ。学校も診療所もある。
定期船は2島の3港をハシゴするように回るルートとなっており、人口の多い沖ノ島を先に回り、鵜来島は後回し。ゆえに、ただでさえ遠い鵜来島に行くにはさらに時間がかかってしまう。直航してくれればもう少し遅く出航しても良いのだが…。
ただ、この定期船が中々面白い。
これら2島は当然空港を持ち合わせていないので、定期船は人だけでなく物流のすべてを担っている。郵便物から新聞、ガソリンのタンク、アマゾンの箱、果ては電話で注文したスーパーの食品まで。あらゆる物資が片島港でこの船の貨物室に積み込まれ、各港で待ち受ける島人に手渡されていく。船のデッキから眺めていると、島の生活のすべてが手に取るようにわかる。長い船旅も飽きることなく、2港への寄港を終え、あっと言う間に鵜来島港に入港。片島から1時間50分の船旅だった。
![](https://assets.st-note.com/img/1731934067-6vjdR1X8cnISlUHswKbmJgxQ.jpg?width=1200)
鵜来島への第一歩
船を降りる。
埠頭では今日お世話になる民宿のおかみさんがお出迎え。何故来たのか聞かれ、「前から気になっていたから」と答えると、とても喜んでくださった。
聞けばここは磯釣りの聖地として知られる島。釣り客でにぎわうこともあるが、島自体を目的とした来訪者はそこまで多くないとのこと。色々と教えて下さるそうなので、そう驚かれたことは私にとって嬉しい限りだ。
鵜来島は地図で見た通り、四方が断崖絶壁の孤島だ。
ただし中央にくぼんでいる部分があり、そこが入江となっている。いま私が立っているのはここだ。
その入り江の奥にわずかな平地があり、そこに小さな家がぎゅっと寄せ集まっている。その数十数軒。これが鵜来島の集落のすべてで、あとは森。
所々に段々畑の跡と思われる石垣が残っているようだが、森に飲まれつつある。
宿までの道中のおかみさんの話である。現在この島の人口は12人で、うち8人が90歳以上。残りの4人も60歳を超えており、とうに「超限界集落」を超えているとのこと。
この絶海の孤島をたった12人で回していることがまず驚きだ。
(我々は国勢調査の数字には目を通していたものの、これら統計には居住実態のない人口もカウントされてしまうため、もう少し多いと考えていた。)
鵜来島の見取り図
宿に荷物を置き、早速島を探検する。
まずはおかみさんに教えてもらった展望スポットへ。
集落の上に延びる、細い道がある。これは島の最高部・竜頭山、あるいはその近くに残るかつての海軍のトーチカの跡に至っていた道だ。
「至っていた」というのは、現在は途中から使用不能なほど荒れ果てているため、島人の付き添いなしには行かないほうがが良いそう。
ただし途中にある緊急時用ヘリポートまでは道が使える状態で、展望スポットはその一番奥にある。
宿から5分ほど斜面を登り、その場所に辿り着いた。
断崖に抱き込まれるような小さな入り江と、肩を寄せ合う青い屋根の家々。
箱庭のような鵜来島の集落が手に取るようにわかる、良スポットだった。
![](https://assets.st-note.com/img/1731934141-XnjKgy8RfEc2oePp5lauwASG.jpg?width=1200)
再び集落まで戻る。
今度は集落をじっくり見ることにするが、島の集落はとても小さい。
どのぐらい小さいかというと、10分もあれば、集落内のすべての道を踏破できるぐらいだ。
特別なものや見るべきものは特にないが、そのこと自体が何もなさやゆっくりと流れる時間を楽しむにはうってつけだ。
先の展望スポットから集落を挟んで反対側の山には、島唯一の神社・春日神社がある。
神社にお参りをし、その奥にある階段を上ると、この島もう一つの展望スポットに辿り着く。
春日神社の裏手は海に面した断崖絶壁になっており、その一部に柵が設けられ、180度見渡せるようになっている。
ここから首を出すと、視界はすべて黒潮の大海原。その迫力とともに、下には数十メートルの絶壁というスリルも味わえる。
![](https://assets.st-note.com/img/1731934184-opyBdiYRxvfQkMmX3UcNLEb5.jpg?width=1200)
この場所はあまり知られていないのか、ネットにも出てこなかった。鵜来島で最も素晴らしい場所の一つであり、ぜひ訪ねてほしい。
鵜来島のコミュニティ
4時過ぎに船が着いてから、島中を歩き回り、時計の針はもう6時。宿に戻ると、おかみさんが夕食を用意してくださっていた。
「信じられない量の夕食が出ますから」というおかみさんの言葉通り、ブリにカンパチの刺身、タイの煮つけまで海の幸がてんこ盛り。
うぐるの幸でおなか一杯にしてくださった。
そのあとはおかみさんのお誘いで、高知のお酒を交えて島の暮らしのお話を聞かせて頂く。
全てを記すと果てしない文章になってしまうので要点にとどめるが、鵜来島のコミュニティがどのように保たれているのか、かなり興味深いお話をうかがえた。
高齢者がどんどん無くなっていき、それに伴って人口も減る一方。
8人の超高齢者を4人の前期高齢者で支えているが、4人の負担はとても大きい。
宿毛のスーパーへの遠隔注文や、郵便や宅配便の集配、急患者の搬送手配から日常の世話、行政サービスの代行まで「業務」は多岐にわたる。
工事業者等も存在しないので、家が壊れた場合も大概は手直し。廃屋も増えているので、材料を流用したりすることもある。島内で火事が起こった際も、高齢者の避難から消火まで自力でやる必要がある。
市の職員は島に常駐しておらず、鵜来島の「業務」は4人に任せているような状況だが、ほぼ無賃である。本土から島の実情を把握できているのか不安。人が比較的多く住む沖の島とは格差があるが、人が住んでいるという点では鵜来島も同じだ。
家族のようにささえあう島と言えば美談になるが、美談で片づけきれない部分もある。
ただ、自分の生まれた鵜来島を守ってくれたおじいさんおばあさんと同じように、私も守りたいと思っていて、それがエネルギーになっている。
やがて消えるかもしれない場所への投資は、意味のないことなのか?
人口が減っている地域を縮小させるという話が、最近よく聞かれる。
自分の意思で不便な場所に住むのであれば、応分のコストを払うべきという思想である。
これに対して、住むというのは人間の権利であり、福祉としてそれを保障すべきという意見もある。
人口が減り、税収もない地方自治体に、後者を求めるのは酷かもしれない。
それでも、私は前者の意見に立つことができない。
ずっと住んでいた人々、ふるさとだった人々に、外野から「ここは住みにくい場所だからコストを負担して当然、無くなるのも必然、その方がラクでしょ、便利でしょ」というのはあまりにも身勝手ではないだろうか。
確かに、鵜来島は向こう10年、20年で見たときに存続しているかと言われると、かなり難しいものがあるだろう。
だが、住民にこれほどにまでコストを負担してもなお意欲的に住み続けているという事は、鵜来島に住み続けることのコストが利益を上回っていないということだ。それだけ、愛着や魅力といったおカネとして表現できない価値は大きい。
地域の資源にはそれらおカネにならない価値も含まれ、またその資源の存在を認知している人無しにそれらを掘り起こすことはできない。
そうであるからこそ、それ等を維持し、また利用して地域を維持あるいは盛り上げようとしている人がいるのなら、投資をする価値があるはずだ。福祉として居住権を保証することは、必ずしも意味のないことではないのではないだろうか。
鵜来島で聞いたお話は、おカネだけで地域の維持を考えることの危うさを教えてくれた。辺境・過疎地を回る私のような人間にとって、とても良い勉強になった。
島の朝
翌朝、9時ごろにやってくる定期船を待つ間、もう一度神社の裏の絶景スポットに向かった。
曇天だった昨日とは打って変わって快晴の今朝。どこまでも続く青い海と、上に広がる青い空、それだけが見えるこのポイント。もう一度見る機会はあるのだろうか。
支度を整えて港へ向かう。定期船の汽笛が遠くから聞こえる。
島人がぽつぽつと出てくる。腰の曲がったおじいさんが荷物を運ぶリヤカーを引き、埠頭に向かう。
おかみさんにお礼を伝え、船に乗り込む。人口12人の小さな島とはこれでお別れだ。
手を振ろうとデッキに上がったときには、もうすでに船が陸から離れ始めていた。
船が見えなくなるまで、おかみさんは手を振っていてくださった。
鵜来島の将来を考えるには、10年・20年のスケールでは長すぎる。悲しいことだが、1年単位で状況が変わっていくのだろう。
次来るときには12人という数字は変わっているだろうし、それが一桁になる時期も決して遠くはない。悲しくてやりきれないが、それが現実で、おそらく誰もがわかっている。
それでも、島を守る人がいる限りにおいて、人口が何人だろうと鵜来島は人のいる島であり続ける。人がいれば生活インフラは最低限確保され、最低限の人の手が入る。しまに灯りがともる場所があり続ける限り、鵜来島でしか体験できない様々なものはなんとか残り続けるのだ。
でも無人になれば、それは確実に消える。それが消えるという事のつらさは、当事者が一番よく分かっている。
だからこそ、外野から「無くなって良い地域」などとは、私は決して言えない。
価値基準は誰にもわかりやすいもの…「ラクだから、もうかるから」だけではないのだ。
また島へ行くまで、一人でも多くの方が元気でいて下さること、
そしてしまの灯りが煌々と灯り続けていることを、
遠くなりゆく島影に願った。
注意!
島には、信じられないほどたくさんのフナムシがいます。
私の過去20年強の人生で経験したことがない量のフナムシです。
島人たちも苦しめられている様です。
フナムシたちは人が近づくと逃げます。ですから、危害を加えるような輩では絶対にありません。そのあたりは安心してよいのですが…なんせビジュアルもなかなか強烈なので、人によっては難しいかも。
虫が生理的にダメという方もいらっしゃるので、鵜来島に行かれる際の情報提供としてメモしておきます。
素敵な鵜来島がフナムシのせいで嫌いになられたら不本意なので…。