【コラム】古いものは、古臭いものなのだろうか
日本ハーモニカ芸術協会主催の「秋のハーモニカまつり」に行った。コロナが心配されるなか、なんとかリアルコンサートでやれた。前半は師範や準師範に合格した人たち、後半は複音ハーモニカコンクールの優勝者と3組のゲスト演奏で構成されたたっぷり4時間を超えるコンサートだった。
複音ハーモニカの日本的奏法を駆使した、その多くは佐藤秀廊編曲の独奏。さすがに日々の精進を重ねて師範、準師範にたどり着いた人たちの演奏だけに一音一音に思いの込められた丁寧な演奏が続く。20名ほどの奏者の演奏を陶然と聴きながら、古い音楽の新しい感興について想いを巡らせた。
古いものは、古臭いものなのだろうか。古さはとかくマイナスの気分を含んで「それは古いよ」なんて揶揄される。だが、古さに積極的な価値を見出すのはなにも骨董の世界ばかりではないだろう。いまさら古典音楽の素晴らしさは言うを俟たない。
いっぺんに20曲もの佐藤編曲を聴き続けると、佐藤秀廊という表現者の確然とした世界が見えてくる。素材となる曲はどれも古いものであるが、そのアレンジの妙で俄然魅力的な音楽風景が展かれる。
それはそうと、帰りには豆富(この店では「豆腐」と言わない)料理で有名な根岸の笹乃雪で夕食をする心算だった。笹乃雪は元禄4年、玉屋忠兵衛が後西天皇の親王のお供をして京より江戸に移り、江戸で初めて絹ごし豆富を発明。根岸に豆富茶屋を開いたのが始まりで330年以上の歴史を誇る老舗だ。ご近所さんだった正岡子規の句に、「水無月や根岸涼しき笹乃雪」があり、子規や夏目漱石、河鍋暁斎など多くの文人にも愛された店だった。
ところがその日、店のあるべき場所から笹乃雪は消えて、コンクリートで固められた全く違う建物が建ちつつあった。
半世紀も前の話だが、ぼくが根岸に下宿していた学生時代、笹乃雪は憧れの店だった。だが貧乏学生には懐具合もわびしく暖簾をくぐることなどはばかられた。店の周りを何度か遠巻きに眺めるだけが関の山。玄関で初めて靴を脱いだのは10年ほど前のことだった。
以来、日暮里に来た折りには何度か立ち寄った。歴史を纏う雰囲気のある店構えや、昔から変わらぬ豆富料理が気に入っていた。古いものの価値が受け継がれ、生きていた。古いものは古臭いどころか日々新しい。あらためてそう感じる。嬉しいことに笹乃雪は近在に新店舗で開店準備中という。
(2022.10 ハーモニカライフ98号に掲載)