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【コラム】大切なものの順番に【ハーモニカ】
「古稀」という言葉は杜甫の詩の一節から生まれた。昔は七十年も生きる人は稀だったらしい。古稀は数え年で数え、十二月生まれのぼくはこの一年、胸をはって「古稀です」と言えるのだ。
七十年という歳月の膨大な時間には、われながら目が眩みそうにもなる。おずおずと、積もり積もった時間に心を遣れば、悲喜こもごもの感慨が湧きあがってくる。あまりにも多くのことが現れた一方で多くのものを失いもした。最近はそんな年月をぼんやりと振り返ることも多くなった。
ハーモニカを知ったのは六十年以上も前のことになる。和菓子職人を目指して東京で修行中だった叔父さんがたまに帰郷すると、わが陋屋の薄暗い部屋の一隅で、幽かに銀色に光るハーモニカを吹きならした。叔父さんの一挙一動を見上げ、初めて目にし、耳にする哀しげな音に心は震えた。感動というかたちだったかはわからないが、その響きの印象は心の深いところにずっとしまわれた。
両親が揃って勤め人になったのはぼくが高校に入学する前だった。それまでは養蚕も養鶏もやる現金収入の乏しい暮らしぶり。藁葺き屋根の家の建て付けが悪い板戸の隙間から、冬は冷たい風が吹き込みもした。ボタンが一つ取れたままのシャツや穴のあいたズボンを着古すしかない。食べるものは陸稲に麦半々の飯と、夕飯は具材の少ないうどん。それがごく当たり前のことと思っていた。
自然には恵まれていた。里山で蕨、茸などが採れた。川は少し遠かったがたまにはシジミだってとりにいった。竈や風呂を焚きつける枯れた杉葉や小枝は背負い籠で拾いにいった。冬には薪割りもした。幼い頃はテレビなんてなく、夕方になればラジオの前に祖母と鎮座して「一丁目一番地」や「三つの歌」を聴いた。主題歌や「ター坊の歌」は一緒に口ずさむと心も晴れ晴れとした。「三つの歌」の宮田輝というアナウンサーの優しさとあたたかさは慕わしかった。思えば自分の情操はそうしたラジオ番組で養われた。大切なこと、大切なものの順番が心に育った。
ハーモニカがほしいと母にせがんだのは高校生のときだった。ずっと心にあったハーモニカが大切なものの順番に入った。いまハーモニカに生かされていることの不思議をつくづく思う。
(2022.4 ハーモニカライフ96号に掲載)
岡本吉生
-Profile-
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日本唯一のハーモニカ専門店「コアアートスクエア」の代表。教室を主宰するほか、1996年にはカルテット「The Who-hooo」を結成。全国各地に招かれて演奏活動を続ける。
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