一樹を愛し、一刻ハーモニカを愉しむ
『たかがハーモニカ、されどハーモニカ 』
第10回 一樹を愛し、一刻ハーモニカを愉しむ
いまから1,600年以上も昔に、元祖・田園詩人とも言われる陶淵明(365〜427年)がいた。貧賤にくよくよせず、世間の名利を泥土のように放り棄て、音楽と文学を愛し、自然に寄りそって生きることこそ本懐と63歳で死ぬまで農耕に勤しんだ。
昔、中国では知識人は役人となるのが当然と考えられていたらしい。陶淵明の実家は貧乏で、子どももいっぱい、甕には穀物の蓄えもなかった。身内や親戚の強い勧めでいくつか役人も経験するのだが、そのたびに、自分は心を曲げてまでこの世界で生きてゆける人間ではないと自覚する。41歳の冬に彭沢県令に着任すると、たった80日で職を辞して郷里に帰ってしまう。
淵明の「勸農」という詩がある。〈かつて誇り高く自給自足の生活をして、素朴で純真な心を持つ人々がいた。やがて小賢しい智慧が生まれ、生活の糧の拠り所を無くした。このとき、民を豊かにしたのは農作業を勧めて生活を復興したいにしえの賢者たちだ〉と詠う。農耕に励む勤労こそが平和の基礎であり、民の幸福を保障するのだと。
「歸園田居」ではのどかな田園風景を詠う。〈旅の鳥はもといた林を恋し、池の魚はもと住んでいた淵を慕うように、私も荒れた土地を南の方に開墾し、この拙い生き方を貫いて故郷の田園に帰ってきた〉と。草葺きの家の軒先には楡や柳、桃や季(すもも)が植えられている。遠くに霞む村里にはゆらゆらと炊事の煙がたちのぼり、犬が路地裏で吠えて、鶏が桑の木の梢で鳴いている。
そんな暮らしの中、淵明の日々の楽しみは琴を弾くことだった。一日を終えてひとり酒を酌む。いい気持ちになると、琴を撫でて自分の思いをこれに託した。琴を奏でる、それはまた天地万物の運行と一体化して「自然」そのものになることでもあった。深く澄んだ境地は流石と唸る。
ぼくには農耕こそ叶わないが、盆栽を愛し、ハーモニカを愉しむ日々だ。陶淵明の生き方に敬意を表して、「遊心一刻一樹」と揮毫した手作りの板短冊を庭に掲げた。拙い生き方と自嘲もするが、心は満たされている。
(2021.7ハーモニカライフ93号に掲載)
岡本吉生
-Profile-
日本唯一のハーモニカ専門店「コアアートスクエア」の代表。教室を主宰するほか、1996年にはカルテット「The Who-hooo」を結成。全国各地に招かれて演奏活動を続ける。
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