就職できなかったら人生終わりにしよう
就職活動に追われる2019年の春頃、私は冗談ではなく真剣にこう思っていた。「何を物騒な」とか「簡単に死ぬとか言うな」って声が聞こえてきそうだけど、正確にはこう考えていなかったら、私はきっと生きるのをやめていた。就職活動で自分の価値のなさを知り、このまま人生の敗者として人生を送るくらいなら、もう死んでしまいたいって考えていたけれど、今死ぬなら、せめて本当に全く内定をもらえなかったときに命を断とうって思ってなんとか生きていた。
結局、私は今生きている。でも就活には失敗した。正確には就活から逃げてしまった。ありがたいことに、海外に住む両親が心配して「もう今年はやめて、半年間ゆっくり過ごそう。」って言ってくれて、大学を休学して、日本から遠く離れたカナダで半年間留学をした。
カナダにいる間は、楽しいこと半分、苦しいこと半分で、日本に帰りたいって思うこともあった。美味しいものをたくさん食べさせてもらって、パパはよく「ほら、人生は楽しいだろう。」って私に言った。たくさんの人と知り合って、日本から出て生き生きと暮らしている日本人の人たちをたくさん見た。自分の誕生日パーティーを盛大に開いて、海外の友達もたくさんできたし、楽しかった。
だけど、「就活をやめて自分で生きていく道を見つけたら幸せになった」とか「カナダに行ったら人生が楽しくなった」っていうハッピーエンドなストーリーを、私は描けなかった。日本に帰ってきて、再び就活を始めた私は、皮肉にもカナダに行ったことで「自分は日本人だ」って実感してしまった。このことはまだうまく言語化できないのだけど、型にはまらないけれど情熱と努力が求められる異国での生き方よりも、多少窮屈でも安定した日本での生き方をしたいと思った。カナダでの生活は楽しかったけど、夢の中の話で、就活というやるべきことから目を背けている罪悪感が心のどこかにあった。
そして2020年の春、今に至る。そこそこのレベルの私大に通っていたためか、周囲の友人は誰もが知る大企業で社会人として働き始めていて、Twitterやインスタグラムのストーリーで社会人の暮らしを見るたびに、「彼らと比べて私はどこが劣っているんだろう」って暗い気持ちになる。両親も友人も「あなたなら大丈夫」とか「人生なんとかなるよ」って言ってくれるけど、そんな言葉をかけてもらう価値なんて私にはないと感じる。現に、どこの企業からも内定をもらえていない、あなたに価値がありますよって言ってはくれない。得意な料理をふるまって家族に毎日喜ばれても、サークルで役職について後輩や同期から慕われても、いつも周りに気を使ってニコニコしてても、バイトでは接客を褒められても、メイクが上手で合コンで可愛いって言われても、
社会が私を必要としない限り、私は社会的には価値のない人間、そういうことなんだと思ってしまう。論理的思考力が欠けている、伝え方が下手、本質を見抜く力に欠けている…不合格だった面接のフィードバックばかりが溜まっている。「社会的価値がないなんて、そんなことないよ」って多くの人は言うだろうけど、そういうことじゃなくって。うまくいえない。ただそんな優しい言葉をかけてもらう資格すらない気がしてしまう。
私の状況を見て「恵まれているよね、うらやましい。もっと大変なひともいる」っていう人もいるけれど、確かにその通りなんだけど、いい両親と友人に負い目を感じるし、いっそのこと全て捨ててしまいたい。ここまで私の教育に投資してくれた両親には、「お金をかけてもらったのに社会的価値の低い娘に育ってしまってごめんなさい」っていう罪悪感。年収の高い企業に勤める優秀な友人とは、社会的格差が広がるのが怖くて、仲良くしたいと思ってもらえる自分じゃなくなるのが怖くて、自分から距離を置いてしまう。
早く人生を楽しむ資格が欲しい。社会に価値を認められて、必要とされて初めて、私は心の底から人生が楽しめる気がする。
すごく暗い内容になってしまったけれど、就活で不安な今の自分の正直な気持ち。誰にも吐き出せないし、両親や友人の前では、明るく余裕そうに振舞っているけれど。