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今井加奈「普通」論

・はじめに

 今井加奈を象徴する「普通」という言葉だが、これをどのように解釈するのかは担当Pの間でも大小様々な違いが存在する。それは、「普通」という言葉が持つ多義性が要因であると思われる。そして、これに加えて、加奈がアイドル活動を通じて成長する中で、「普通」の意味も変化していることが、要因にあるのではないか、というのが、私の仮説として存在する。
 そこで本論では、今井加奈のアイドル活動を通じた成長過程を追い、その中で「普通」の意味内容がどのように変化するのかを明らかにすることで、私の仮説を立証することを試みたい。


1:アイドル以前の挫折

 まず押さえておきたいのは、加奈がアイドルになる前に、二つの挫折を経験しているであろうということである。一つは高校受験の失敗である。これは加奈にとって「努力に裏切られた」経験であるといえる。そしてもう一つ考えられるのは「少しだけ習っていたピアノ」である。加奈の性格上、一度始めたピアノを自分から放り出したとは考えにくい。そのため、加奈の意志ではどうにもならない事情によって続けることができなくなった、と考える方が自然である。その事情が何なのかはわからないが、上記の受験や、あるいは関東に出てくることになったことが関係し、辞めざるを得なかったのかもしれないと推測する。
 いずれにせよ、加奈は自分の力ではどうにもならない挫折を経験し、個人の限界を感じていたと考えられる。そしてこれが、以降で見ていく「普通」の意味内容に関わることになるのである。


2:Pとの出会い前後における「普通」

 ここでカギとなる言葉は、「平凡」と「すごい」である。まず「平凡」だが、これはデレステメモリアルコミュ1で、Pからアイドルになる人物の素質について聞かされた時に出てくる。ここでPは、「アイドルになるのは平凡な子」であると語り、それに対し加奈は「それなら自分と同じだ」と答えている。ここからは、加奈が自分のことを「平凡な子」であると評価していることが伺える。すなわち、加奈の自己評価において、「普通」と「平凡」はほぼ同義であると考えられる。
 もうひとつの「すごい」は、加奈の口から頻出する言葉である。周囲の人・事物に対し、加奈はこの言葉を使うことで感動や賞賛、尊敬といった好意的評価を表す。対して、自己評価としてよく使われるのが「普通」であり、特にこの時期の置いては二つの言葉が対をなす概念であることが容易に想像される。
 以上から、スカウト前後の時期の加奈にとって、「普通」とは「平凡」なこと、そして周囲の「すごい」の反対の意味、すなわち「すごくない」を表す言葉であると結論付けることができる。だからこそ、加奈は「すごくない」自分が可愛くなる(=「すごくなる」)方法を教えてもらうため、スカウトに応じたといえる。


3:初ステージで得たもの

 こうしてアイドルとなった加奈の最初の転換点、それは初ステージの経験である。その様子はデレステメモリアルコミュ4で描かれており、加奈がステージ上で失敗したにもかかわらず観客からの声援を受け、困惑しつつもその理由を聞くべくステージに戻るという姿が見られる。
 この経験を経て、加奈はどのような考え方を得たのか。それはデレステN特訓エピソードの「アイドルになったら、応援してくれる人がいて、支えてくれる人がいて、主役になれる」という言葉や、同「ファンシーガール」特訓エピソードの、都会が「すごいのは、すごくしてる人がいるから」という言葉に現れている。すなわち、何かが「すごく」なるのは、周囲の人間の力によるものだ、という考え方である。多くのPの印象に残る、モバマス「こぼれるスマイル」の、「ひとりじゃ一番になれないから、○○プロデューサーが大事にしてくれるんですよね? すごい子じゃなくて、よかった」という言葉は、こうした意識を率直に言い表したものであると言えよう。
 このような考え方を抱くのには、アイドルになる前の挫折経験からくる、自分の力の限界という意識による後押しがあったとも考えられる。そしてそれは、謙虚さや健気さの表れとして好意的捉えることができる半面、問題も有していた。その問題とは、自分自身に視線が向いておらず、そのため自身の成長が見えづらくなるという点である。
 これが顕在化した状況は、モバマスぷちエピソード4で描かれている。そこで加奈は、アイドルとは特別な子のことだと語り、特別ではない自分が可愛いアイドルになれるのか不安であると告白する。Pの「平凡な子がアイドルになる」という言葉や、加奈自身が獲得したはずの「周囲の人間の力ですごくなる」という考え方と矛盾しているようにも思えるが、初ステージ後もレッスンを重ね、周囲の人間の「すごさ」を目の当たりにしたからこそ、「アイドルとは特別な子」というような感覚を抱いたと考えられる。
 ただ、それは文字通りの「特別」視であり、周囲の人間を自分とは異なる世界の存在のように認識していたともいえる。このことは、同エピソードで自分の状況について、「歌やダンスはできるようになったが、それは練習すれば誰でもできること」だと述べているところからもわかる。自分にできているのは「すごくない」ことでしかなく、周囲の「特別」・「すごい」とは違う、という位置づけがなされており、先で見た「すごくない」という意味での「普通」概念が継続していることもわかる。
 以上のように、加奈は初ステージでの経験から「支えられること」に意識が向かい、それが周囲への特別視と、自分への「すごくない」という評価の継続に繋がった。その結果、アイドルとしてのあり方に不安を覚えるようになってしまったのである。
 ただし、この不安は加奈が自分に視線を向ける契機にもなった。モバマスぷちエピソード5~8は、そうした自らを見つめなおす様子が描かれている。そして、イベントでは青春公演が、この見つめ直しの大きな機会となるものであった。

4:青春公演での学びと不安の解消

 青春公演で加奈が得たものを象徴するのは、コーラスリーダー特訓後の「普通の女の子でも、輝くステージに立てる」ことを「思い出しました」というセリフである。ここからは、加奈が出会ったばかりのPに言われた、「平凡な子がアイドルになる」という言葉を思い出していると思われるのだが、ここで出てくる「普通」の意味は以前のものと異なってきていると考えられる。それは、青春公演のストーリーからうかがえる。
 青春公演の主人公である“カナ”も、基本的には「普通な子」として描かれているが、そんな“カナ”が自らの意志と主体的な行動によって、“ヘレン”や“アオイ”、“ユキノ”の心を動かしていくのが同公演のストーリーとなる。この「主体的に動くこと」と、「そのように動く主体」が重要であるとの認識こそ、加奈が“カナ”を演じる中で学び取った重要な点だった。そしてそれは、「普通」の意味内容を変化させるカギにもなる点であった。このことは、以降の加奈の描写を見ていくことで、わかっていくこととなる。


5:自信の獲得と「普通」概念の修正


 青春公演以降の加奈の仕事は、水着でのグラビア撮影やクールな衣装でのファッションショー、温泉リポート、高級料亭でのおもてなし体験など、試行錯誤と挑戦の連続だったと言える。そしてその中では、自ら仕事の成功のため、主体的に学び考えることを行っていくこととなる。それは青春公演を経て獲得したやり方であり、そして自分に目を向けるということであると同時に、成功体験の積み重ねによる自信の獲得につながるものだった。デレステの「メモリアルデイズ」特訓後の信愛度上昇時の「ゆっくり進んできた分、すっごく自信もあるんです!」や、モバマスの「ロワイヤルスタイルNC」特訓後セリフ中の「緊張してたけど…ちょっぴり、自信もあったんですよ」というセリフが、加奈が自信を獲得していたことを明確に表している。
 このように、加奈は青春公演以降の仕事の中で自信をつけ、「すごくない」という自己評価を変化させたように見える。しかし、一方で自分が「普通」であるという意識自体は、消えたわけではなかった。このことは、2020年5月時点での、デレステにおける最新の登場である「輝け! 合格への道」特訓前での、「わたしって普通だなぁって、自分でも思います」とのセリフからもわかる。ここからは、加奈の自己評価に「すごい」と「普通」が並列して存在するようになったといえる。それは、かつての「普通」=「すごくない」という単純な意味内容が変化していることを意味する。では、その変化とはどのようなものだったのか。
 この点を考える上でヒントとなるのは、「メモリアルデイズ」での「プロデューサーに褒めてもらえたら、明日からのわたしは、今日よりももっとキラキラできる」や「明日も明後日も、その次の日も…一緒に思い出を作っていきたい」といったセリフ、あるいはモバマス「ナチュラルブロッサム」特訓後での「わたし、この先へ行っても…いいんですよね? 思いっきり走って、自分の目で確かめてみたいんです」といったセリフである。これらからは、自信をつけたからこそ、加奈が「未来」に思いをはせるようになったことがうかがえる。このように「未来」を見据えるようになったからこそ、「現在」の自分はまだまだ「普通」であると認識したのではないか。
 また、「輝け! 合格への道」ストーリーでは、周囲の人間から主体的に学び取ろうという姿勢を存分に見て取ることができ、かつてのような特別視はまったく見られなくなっている。
 すなわち、ここでの「普通」とは、みずからの「すごさ」を認めたからこそ見えた「未来の可能性」や、学びの対象としての「周囲の人間のすごさ」との間での、相対的な未熟さを指す意味で使われていると考えられるのである。

まとめ


 以上から、今井加奈の語る「普通」の意味内容の変化と、アイドル活動を通じた成長とは、密接に関係していたことが分かる。アイドルになる前の挫折を前提とした、「すごくない」という意味での「普通」という自己評価が周囲の人間への注目を促し、その注目が生む不安は自分自身を見つめなおす契機となり、そこから得た主体性の重要さへの認識が自信の獲得、そして「未来」や「周囲の人間」への視野の拡大・変化に至り、最終的には「普通」の意味内容の変化となった。この一連の流れにおいて、二つの「普通」はその始点と終点に位置しており、どちらも今井加奈には欠けてはいけない要素であると言えよう。
 こうした加奈の成長過程と、その中で変化する「普通」という構図故に、そのどの時点に焦点を当てるのかによって、今井加奈と「普通」の姿は様々に変化してしまう。これこそが、担当Pの間での解釈の不一致という、面白さを生む原因であると考えられるのである。

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