二都物語を読んだよ:読書感想文+α

ごきげんよう、私です。イギリスの文豪チャールズ・ディケンズの代表作『二都物語』を読了したので、感想などを書き連ねていこうと思います。ネタバレはあまりないと思います。

あれは最良の時代であり、最悪の時代だった。叡智の時代にして、大愚の時代だった。新たな信頼の時代であり、不信の時代でもあった。光の季節であり、闇の季節だった。希望の春であり、絶望の冬だった。……

第一部 人生に甦る 第一章 時代 冒頭より

はじめに

今回読んだのは新潮文庫版から出版されているバージョンです。

2014年出版なので比較的新訳ということになります。翻訳ですが、違和感をおぼえるところも少なく、読みやすさを保ちつつ、重厚で格調高い紳士たちの会話(?)を感じる事ができたので個人的には問題ないと思います。

チャールズ・ディケンズについて

チャールズ・ディケンズはヴィクトリア朝を代表する小説家であり、現在に至るまで世界中で愛される作品を生み出し、イギリス文学史の中でもウイリアム・シェイクスピアと並び称されるほど。その出自に影響されて主に下層階級を主人公とし弱者の視点で社会を諷刺した作品が中心になっているそうです。『二都物語』は全世界で二億冊を発行したらしいです。すげえ。かのプルーストやドストエフスキーらもディケンズの小説を愛好したらしいですね。ちなみにここまで全てWikipediaの引用です。

私がチャールズ・ディケンズを初めて知ったのはイギリスのご長寿SFドラマ『ドクター・フー』の新シーズン1 第3話「賑やかな死体」です。ドクター・フーはドクターと呼ばれている異星人がタイムマシーンに乗り現代の地球のロンドンを中心に、未来や過去、地球やその他の惑星などで時空を超えた冒険活劇を繰り広げるSFドラマ。(ところで何故ロンドンなのでしょうかね?正確に言えばロンドンだけではなくウェールズの首府カーディフなども多い気がします。メタ的に考えるとBBCウェールズが中心に制作しているからなのですが、作品内で整合性のとれる理由を作れるのか気になっています。ドクターは時代どころか天体も平等に選ぶことができるのでどこかで対称性を破る必要があります。)  時空を超えた舞台設定ができるので、過去の偉人と交流するというプロットはドクター・フーの典型的なエピソードの1つになっています。そしてこの回はドクターとその友人がディケンズとともにヴィクトリア朝ロンドンに突如現れた幽霊の謎に挑む話になっています。

すぐに影響されるのでこのエピソードを見た後に有名な『クリスマス・キャロル』を読みました。おそらくチャールズ・ディケンズの中でも短くてわかりやすいので二都物語よりおすすめできるかもしれない。私は順張りのオタクなのでこのくらいわかりやすい作品が大好き!

この作品は当時のイギリスのクリスマス文化にも大きな影響を与えたようです。ちなみに前述のドクター・フーには前述とはまた別でディケンズのクリスマス・キャロル自体をモチーフにしたエピソードがあります。シーズン5のクリスマス・スペシャルですが、これも非常に面白いので是非見てみてください。

小説に限らずクリスマスを題材にした作品は文字通り星の数ほどありますが、個人的に気に入っている作品がいくつかあり、少しだけその話をします。例えばオー・ヘンリーの『賢者の贈り物』や映画『アーサー・クリスマスの大冒険』、Poppin'Partyの『クリスマスのうた』など。

クリスマスのうたは、市ヶ谷有咲さんと戸山香澄さんの友情を感じることができる気がして、とても気持ちの良い曲という感じです。バンドリは専門外なのであまり良く知らなくて少しだけゲームをやったことがあるくらいです。一番好きなキャラクターは市ヶ谷有咲さんです。わたくしが、比較的胸の大きな美少女キャラクターを最推しにしている作品はバンドリだけだと思われます。先行研究で知られている通り私は貧乳を至上とするイデオロギーな人間なのですが、金髪ツインテールツンデレ美少女には勝てませんでしたね。ちなみにクリスマスに個人的な思い入れがあるわけではないです。典型的オタク……。それよりニュートンの誕生日を祝ったほうが良くないですか??

話を戻します。ディケンズの作品は一般にプロット構成にやや難があり、最良の部分は人物描写などの細部にある、と言われることが多いとのこと。多作家でもあるため出来栄えにムラがあるが、『大いなる遺産』などの名作では、そうした描写力に、映画のカメラワークにも似た迫真のストーリー・ テリングが加わり、読者をひきつける。精密な観察眼と豊かな想像力で、時代社会の風俗を巧みに描くことに長けていると。ちなみにこれも全てWikipediaの引用です。これくらいでディケンズの話は終わりにして、『二都物語』の感想に入ります。

二都物語の感想

二都物語:A Tale of Two Cities のあらすじを引用します。今回読んだ新潮文庫の新訳版の裏表紙に書かれているあらすじです。

フランスの暴政を嫌って渡英した亡命貴族のチャールズ・ダーネイ、人生に絶望した放蕩無頼の弁護士シドニー・カートン。二人の青年はともに、無実の罪で長年バスティーユに投獄されていたマネット医師の娘ルーシーに思いを寄せる。折りしも、パリでは革命の炎が燃え上がろうとしていた。時代の荒波に翻弄される三人の運命やいかに? 壮大な歴史ロマン、永遠の名作を新訳で贈る。

どのあらすじを見ても割とこんな感じで書いてあります。これだけだとなんとなく恋愛小説のようですがそれは前半の一部だけで、全体としてはあらすじに書いてある通りマネット家やその二人を支える良き仲間たちがフランス革命の波に翻弄されていく大河小説になっています。二都というのはパリとロンドンということですね。東京と京都ではないです。Eurocentrismめ……。多分違う。

私は比較的読書が好きなのですが、あまり集中力がなく、いつも読了する前に放り投げたりすることがしばしばです。二都物語も一ヶ月近く、別の本に浮気しながら通学中や寝る前にだらだら読んでいたのですが、後半の息つく暇もない怒涛の展開に引き込まれ、最終的に夜通し徹夜して読んでしまいました。おかげで翌日の集中講義で少し寝落ちしてしまい申し訳ないが発生……。

作品全体として、訳者あとがきにもあるように場面の描写はまさしく「映画のカメラワーク」に似た映像的なシーンが多くて飽きません。さすが文豪といったところ。巧みな文章、書けるようになりたいね……。また、今作はサスペンス的ドラマ展開が多く、ディケンズの前評判である「プロット構成にやや難」といったものは感じず、巧妙な伏線に魅了されました。確かに話の流れは現実的に考えると強引だな?という気持ちがなくはないですが大衆文学にそんな事言っても困るでしょう。

さて、ディケンズの描く魅力的な登場人物の中でも特に印象深いのはやれやれ系弁護士のシドニー・カートンです。別にラノベの主人公的な格があるわけではなく、ひたすらやれやれしているやれやれ系の嫌なところが詰まったような、学習性無力感の極致か、という人物であります。18世紀ロンドンはここまで人を失意の底に落とし込めてしまうのかと感心する次第。カートンは登場シーンそれ自体がインパクトの強いものではあっても、中盤まで物語的に特別重要という程ではありません。それにしても、結局の所、彼の生き様は昨今のやれやれ系主人公が束になっても敵わないであろう高潔さがあるのではないでしょうか。あまりにもかっこいいよ。

読了した直後、同じくイギリス文学の巨塔『ハリー・ポッター』が心に思い浮かびました。ハリポタのテーマは「死」ですが、二都物語のテーマは「再生」と対照的な、それでも本質的には似通ったテーマを掲げています。そしてどちらも動乱による暗い影に覆われた社会を上手く描ききっており、登場人物たちの自己犠牲精神による悲劇的な愛が作品を不世出の名作に昇華している、という共通点があります。

というわけで愛しのインターネッツで調べてみるとハリポタ作者のJ・K・ローリング女史はパリの留学中の日曜日に一日中部屋にこもって『二都物語』を読んでいたそうです。おー。Wikipedia調べ。私もパリで読みたかった。大学生時代のようですね。だからなんだというのはありますが、ちょっとした予想が当たった感じがして嬉しい。

魅力的な登場人物、2つの大都市を舞台に繰り広がる息つく暇もない大河ドラマ、緻密に練り上げられた豊かな描写とプロット。やはり文豪の評判の良い作品は安心しておすすめできますね。最後にフランス革命と関連した話に触れて終わりにしようと思います。

革命の炎

前述したように二都物語は18世紀末のフランス革命を中心に物語が進んでいきます。例えばあらすじに出てくるバスティーユの監獄は、フランス革命の事の発端であるバスティーユ襲撃の舞台になります。ディケンズによる容赦のない革命の描写は苛烈がすぎてちびりそうになるくらいです。集団狂気というやつでしょうか。ここまで冷酷に描写する必要はあったのか、史実も本当にここまで狂っていたのだろうか、と読みながら思っていました。ちなみに貴族側の描写も救いようのないものなので、片方に同情することもできず、これだから人間は……という感情になります。フランス革命で落とされた首といえばマリー・アントワネット、ラボアジェ、ロベスピエールなど、私でも名前を知る人々が並んでおり、さもありなんという感じです。La République n'a pas besoin de savants ni de chimistes.あまりの迫力に、この先フランス国旗のトリコロールを見かける度にドキッとしてしまうだろうな……という気持ちです。自由、平等、友愛、さもなくば死の単一不可分の共和国、普通に怖い。

貧困や圧政による民衆の不満から生じる革命は、歴史において稀な出来事ではなく、その炎が世界各地で幾度となく燃え上がったことはよく知られていることです。先程、ディケンズによる革命の描写が誇張ではないかと感じてしまったという趣旨のことを書きましたが、今では人間の集団狂気は実際のところ、際限なく残酷になるのだろうなという感想を抱いています。そもそも序文にしっかりとした時代考証を行ったという旨が書いてありました。事実は小説よりキナリーというやつですね。現実世界と比べたら小説なんて用無しですよ。

という話をここまで書いたのも、この間「中国共産党 一党支配の宿命」というNHKのドキュメンタリーを視聴したからです。

この番組は李鋭という、毛沢東の秘書も務めた政治家に焦点をおいたドキュメンタリーとなっています。李鋭は長く共産党の統治に関わり、膨大な量の手記を書き残しています。手記はスタンフォード大学に寄贈され、いまも研究が進んでいるそうです。番組でもその手記からの引用が挟まれています。李鋭は毛沢東の信頼を得て秘書という地位に登りつめたのですが、中国共産党ではよくある話で大躍進政策とその後の文化大革命の間に失脚し、地方労働、投獄などを経験してます。

文化大革命後に名誉回復し再び共産党の重鎮として政治の中枢に舞い戻ります。この番組では毛沢東による独裁体制の確立、鄧小平による治世を経て現在の習近平体制に至るまでを共産党の内部から見つめてきた李鋭の手記とともに振り返る構成です。勉強になりました。

李鋭は節々で芯の強い政治家だったようで、ある時毛沢東に反対意見を述べたことで重く登用された逸話があるそうです。その後も天安門事件の際には政府の武力行使に反対し、晩年においては習近平による独裁強化路線を批判するなど、常に言論の自由や党内の民主化を求め続け、存命中は改革派として大きな存在感を発揮していたようです。

特に番組を視聴して衝撃的だったのが映像として流れた文化大革命。これこそまさに集団が生み出すヒステリックの極みという印象でした。文化大革命はよく知られている通り革命運動などではなく、大躍進の失政を挽回しようとした毛沢東による権力闘争にすぎないのですが、国中の若者を狂気の渦に巻き込み国家を大混乱に陥れた出来事です。映像として初めて見るにつれ、人の狂気はここまで深化するものなのか……と絶句してしまうほどでした。ディケンズの描いたフランス革命の狂気ももっともな事ではないでしょうか。多少狂ってないと社会は変わらないのでしょうね。文化大革命における人間の狂気は調べれば調べるほど出てきます。

話が二都物語から逸れまくりました。私はどちらかというと現代史に興味があります。フランス革命はちょっと昔すぎる。特に中国の歴史は個人的にも馴染み深いので、これを機に勉強してみようかなと思いました。というわけで『現代中国の父 鄧小平』という本を図書館で借りました。借りたというのは、読みたいけど読む時間もないし読まずに返してしまうかもしれないけれどとりあえず手元に置いてそのうち読みたいなあ的な雰囲気を醸し出していきたいですね、という意味です。他にも読みかけの本が大量にありますし。がんばります。

という事で書きたいことがだいたい書けたのでこれで終わりにします。次にnoteを書く機会があれば、記事には関係ない話の分量を減らしていきたいです。この反省を活かしていきたい。どうもありがとうございました。今後の課題として、二都物語を他の翻訳で読んだり原書に挑戦してみたりしたいな、があります。『オリバー・ツイスト』とか他の作品を読むのも良さそう。最後に二都物語の一番お気に入りのフレーズで締めます。

とはいえ、獰猛な男たちは休むことなく、思い思いに東へ、西へ、北へ、南へ進み、そこで誰が吊されようと火事になった。絞首台がどれだけ高ければその火が鎮まり、人々の乾きが満たされるのかは、どんな役人にも、どれほど高度な数学をもってしてもわからなかった。

第二部 金の糸 第二十三章 炎が立つ  p408より

なんてことだ、高度な数学でもわからないなんて……。

2021年10/26追記
ところで作中ではテルソン銀行という名前の銀行が舞台の1つになっています。テルソンと聞くと物理学徒は馴染み深い『理論電磁気学』の有名な誤植を思い起こしますね。砂川先生もきっと二都物語を愛好していたのでしょう。テルソン~~~


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