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エッセイ#2「水の神様に守られて」

 二十数年前の八月。私は次女を出産した。
この日は朝から晴天だった。青く透き通った空に真っ白い綿雲が浮かび、眩しく輝く日差しが暑さを増す。まるで絵に描いたような夏空が広がっていた。ところが、娘がこの世に生み落とされると天候が一転。遠くでゴロゴロ鳴り響いたかと思うと、空一面に暗雲が垂れ込めて、天を切り裂くように稲妻が走り、あっという間に雷雨に変わった。

 病室の窓から見える景色は激しい雨に包まれていた。窓ガラスに強く打ち付ける雨音を聞きながら、ふとカレンダーに目をやると今日は水曜日だと気がついた。ぼんやりとした私の頭に一つの考え浮かんだ。
「もしかしたら、この子は水と縁があるのかもしれない」
私は娘の名前の一文字に、漢字の『水』を付けることにした。今思えばこれがいけなかったのか。元々縁があったのではなく、母親の私が縁を結んでしまったのかもしれない。あの日、我が家に雨女が誕生した。どうやら娘は水の神様に目を付けられたようである。

 娘の周りにはいつも雨が付き纏った。幼稚園の遠足はいつも雨だった。毎回行き先が水族館に変更されたので、遠足とは水族館に行くことだと娘は思っていた。
娘が小学生になっても、事あるごとに雨が降った。いつも予定通りにはいかなかった。だから娘の野外行事は大変であった。朝は晴れているのに、突然、雨が降り出して中止を余儀なくされる。予備日に仕切り直すも、また雨が降り始める。もはやこれは、学校の先生までも巻き込んだ、天候との仁義なき戦いであった。雨が上がると、ここぞとばかりに行事を再開するも、それを阻止するかのように、また天候が崩れる。中断と延期を繰り返し、最大四日間の運動会を行うこともあった。遠足もほとんどが雨だった。小学校の時の修学旅行の写真にも、レインコートを着た娘の姿が映っている。

 そんな娘が、中学最後の体育祭で、実行委員長を務めることになった。朝礼台に立ち、全校生徒の前で開会式の挨拶をする実行委員長の姿に、ずっと娘は憧れていたのだ。担当の先生や委員会の仲間と共に、来る日も来る日も体育祭の計画や準備を頑張った。開会式の挨拶も一生懸命考えていた。楽観的な娘もこのときばかりは晴れるように切に願っていた。
しかし、当日はやっぱり雨だった。
「本日の体育祭は雨で中止となりました…」
娘の声が校内に響く。開会式の挨拶の務めは、体育祭中止のアナウンス放送役に変更された。
翌日も小雨がぱらつく。なんとか天候が持ち直しそうだったので、体育祭は開催されることになったが、開始時刻が少し遅れたことにより、実行委員長の挨拶はカットされてしまった。娘の夢みた一世一代の晴れ舞台は雨と共に流れてしまったのである。朝礼台に立つ娘の晴々しい姿を、写真に収めることが出来なかったのが、今でも悔やまれる。

 そんな雨女の娘も今では社会人だ。
「自分が雨女ってどう思う?」
と改めて私が質問すると、娘は笑ってこう答えった。
「嫌じゃないよ、だって恵みの雨だから。それに『水』の漢字を使った名前も、すごく気に入っているし。だって中々ないでしょ」
本人は、いたってポジティブだった。そういえば、あの中学最後の体育祭で夢叶わなかった時も、「みんなで最後までやり遂げた達成感は最高だったし、一生の素敵な思い出になった」と目をキラキラさせて満足そうに話していた。


 私は子供の頃、学校行事が嫌いだった。普段とは違うことをするのが苦手だったのだ。だからいつも行事の前日に、てるてる坊主を作って逆さに吊るしていた。私は体を動かすことも不得意だったので、天気の良い日に外で遊ぶよりも、雨の日に本を読んだり、空想したりして、家の中で過ごすのが好きだった。雨音に耳を傾けて静寂に包まれるのが大好きだった。

 そんな私から雨女の娘が生まれた。娘と一緒に出掛ける時には、必ずと言っていいほど傘が必要だけれど、どんなに雨が降ろうとも、傘が荷物になろうとも、いつも娘は明るい笑顔で、雨と一緒に幸せを運んでくれる。
水の神様は龍神様という。雨女の我が家の次女は、龍神様に、めいいっぱい愛されていつも守られて、幼い頃からずっと最高の娘である。

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