二度と見れないあの頃の風景(洞爺湖町)

2000年3月31日、この日を境に虻田町(現在の洞爺湖町)は街並みが一変した。有珠山の噴火である。この噴火後に整備された西山山麓火口散策路を歩いたことがある人も多いと思う。しかし、噴火後の景色はたくさん出てくるが、噴火前の平穏な日常を写したものはなかなか見つからない。

これに関連して私が一番見つけたいもの、それは被災前の国道230号である。Youtubeを見ると噴火が始まった直後に撮られた空撮の映像があり、そこに以前の国道は映っているがヘリからの映像なので遠いし、自分が求めているものではない。地上で撮られたもので噴火前のそこにあった平穏な日常を映した動画を見つけたいのだ。被災前の国道を走っている車載動画や、被災前のお菓子工場や民家を映した動画を見たいが、被災前の当時は今みたいな動画投稿サイトは無いし、そもそもインターネット自体が一般に普及しているとはいえない時代だったので動画を撮ってみんなに見てもらおうという発想がなかったから見つからないのも無理はない。だからこそ例えば被災前の民家に住んでいた住民が当時の映像を撮っていてそれが今でも残っていたとしたら、ものすごく貴重な資料ではないかと思う。

私が見つけた噴火前の映像が特急スーパー北斗からの前面展望だった。当時は先頭車両の前方から運転士とほぼ同じ目線で車窓を見ることができ、それを映した動画がYoutubeに投稿されている。2000年の噴火前の街並みを映した貴重な動画だと思う。

噴火前の遺構は国道だけではない、道央自動車道にも残っている。虻田洞爺湖インターチェンジである。実は今のインターチェンジは噴火後にできたもので最初からあの位置にあったわけではなく被災前の国道に出入口があった。国道が現在のルートで復旧した際に移転し現在に至っている。移転前の位置にあったインターチェンジは現在でもはっきり残っているので噴火前を知る遺構の1つと言えるかもしれない。

2000年の噴火から今年で25年が経つ。今は平穏な有珠山だが、いつ噴火してもおかしくない時期に差し掛かっている。2000年の噴火の時に23年ぶりの噴火といわれていたからだ。私は動画撮影をしているが、また噴火する前に重点的に洞爺湖町を撮影したいと考えている。今ある街並みが噴火後も残る保証は無いからだ。つまり、今後また噴火したときに噴火前の街並みを後世に伝える貴重な資料になる可能性があるのだ。2000年の噴火の時とは違い写真、動画をみんなに見せる手段が充実している。この環境を活かし、できるだけ高画質で撮影して記録映像として残したいと思っている。

今年も洞爺湖町で色々なイベントが開催されるだろう。そのときに何げなく撮った写真、動画が後々貴重なものに化けるかもしれない。今そこにある風景が明日も見れる保証はないのでいつも以上に記録しておくのも良いかもしれない。

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