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「中学生から知りたいパレスチナのこと」について

「中学生から知りたいパレスチナのこと」について

<作品紹介>


岡真理・小山哲・藤原辰史「中学生から知りたいパレスチナのこと」


イスラエルの「ガザ侵攻とパレスチナ人虐殺」を目にし、
西側諸国の異常な言動を見るにつけ
今まで多くのものを「見落としてきたのでは?」
とイスラエルの歴史を振り返りながら
「人文学」を見直していこうとする本。

この本から、新しい世界史
=「生きるための世界史」が始まる

あらゆる人が戦争と自分を結びつけ、歴史に出会い直すために。
アラブ、ポーランド、ドイツを専門とする三人の対話から
はじめて浮かび上がる「パレスチナ問題」。

岡「今の世界史には「構造的欠陥」があると思います。
歴史や世界というものを私たちが考えるときの視野そのものに問題があるのではないか。」

小山「西洋史研究者の自分はなぜ、ヨーロッパの問題であるパレスチナの問題を、
研究領域の外にあるかのように感じてしまっていたのか」

藤原「パレスチナでの信じられないような虐殺を見ていると、
私はいったいナチズム研究で何をしてきたのかと思います」

パレスチナ、ヨーロッパ、日本… すべての問題はつながっている。




<見どころ>

  • パレスチナ人も実はイスラム教に改宗したユダヤ人では?

  • 「ナチスによる支配」では「ユダヤ人」と名指すことは「何をしてもよい」「殺しのライセンス」となっていた

  • 現代では「ハマス」「テロリスト」と名指すことは「何をしてもよい」「殺しのライセンス」となっている

  • G7は、一方で普遍的人権や民主主義を掲げながら、他方で世界を植民地支配する「植民地主義」

  • 「人種」という概念は、ヨーロッパの植民地主義が「発明したもの」であり植民地主義の「暴力を支える理論の要」だった

  • パレスチナ問題は、ナチスのジェノサイドを生き延びた大勢のユダヤ人難民を、パレスチナに犠牲を押し付けて

  • 解決しようとした「徹頭徹尾ヨーロッパに起源ある問題」

  • パレスチナ人の人権剝奪と抑圧の上に蓄積されたイスラエルの監視セキュリティ技術が東京五輪で導入され、日本人を監視」

  • シオニストは、「祖国を守るためなら武器を持って戦う我々シオニストは、ディアスポラのユダヤ人とは違う新たなユダヤ人だ」と考え、「ヨーロッパでホロコーストの犠牲になったコダヤ人は、抵抗もせずに唯々諾々と殺されたディアスポラで骨抜きにされたユダヤ人」と見下して、イスラエル社会において蔑まれ、たいへん肩身の狭い思いをさせてきた。

  • シオニズム誕生から今まで「敬虔なユダヤ教徒」はシオニズムを批判し、反対してきた。

  • 歴史学そのものが「人の生きてきた痕跡をなかったことにできる「暴力装置である」ということへの自覚が薄い」のが問題


<見どころ 歴史>

  • 日本の「朝鮮特需」と同じように、西ドイツは「イスラエルに工業製品や武器を輸出すること」で経済復興した

  • 西ドイツの憲法違反なのに、イスラエルに「機関銃、高射砲、対戦車砲、戦車、潜水艦」を輸出して支えてきた

  • 西ドイツが「緑化の名目」で6億3000万マルク送金したが、イスラエルの核兵器開発に使われた

  • 西ドイツは、「表向き」「ナチズムの暴力と向き合い、それを背負って国際社会への復帰をした国」とみられていたが、実際には、日本と同じくナチスに関連した人間は西ドイツ政府内に存在し続けたし、とりわけ「農業や農学」の分野では残留した。

  • 西ドイツも、コール首相など「保守政治家」と共に「保守系の歴史家が台頭」し、歴史修正主義が台頭していた。

  • 今の世界史には「構造的欠陥」があり、西洋中心主義、白人中心主義の視点でしか語られていない


本書の興味深かったところを以下に引用していきます。


「ユダヤ人のパレスチナ追放による離散」は史実にない

●「ユダヤ人のパレスチナ追放による離散」は史実にない

本セミナーは、今なおガザで生起している、イスラエルによるガザのジェノサイドという出来事を、その暴力の根源にさかのぼって、私たちが理解することを企図しています。

2023年10月7日、ガザ地区のパレスチナ人戦闘員がイスラエル領内に越境奇襲攻撃をおこない、その直後からイスラエルによるガザに対するすさまじい攻撃がはじまりました。ガザ地区のことを日本のマスメディアは「イスラーム組織ハマスが実効支配するガザ地区」と説明しますが、ガザ地区は、1967年以来、イスラエルの占領下にあり、2007年からは16年以上にわたってイスラエルによる封鎖の下に置かれています。
ガザに対するイスラエルの攻撃は、開始から1週間経つか経たないかの時点で、ジェノサイド研究の専門家が「教科書に載せるような」典型的なジェノサイドだと断じ、第2次世界大戦後、カンボジアのキリングフィールドをはじめ、数々のジェノサイドを体験してきた国連の専門家も「前代未聞」と形容する異次元の攻撃です。

しかし、日本の主流メディア、企業メディアの報道は、パレスチナ系アメリカ人の文学研究者エドワード・サイードが批判する「カバリング・イスラーム」(中東やイスラーム世界で起きる出来事を「報道することを通じて、むしろ積極的にその内実や本質を聞い隠してしまう」こと)を文字どおり体現したものとなってます(注1)。

典型的なのは、問題の歴史性を消し去って、「憎しみの連鎖」とか「暴力の連鎖」という言葉に還元してしまうことです。このような語りは、問題の根源にある、イスラエルによる暴力の歴史的起源を問わないで済ませるための「詐術です」。また「イスラエルとバレスチナ紛争には複雑な、非常に入り組んだ歴史がある」といってお茶を濁すことも、同じく問題の歴史的背景を語らないための「方便です」。

イスラエルがホロコーストの犠牲者であるユダヤ人の国であるということも、イスラエル国家においてホロコーストという出来事の記憶がこれまでどのように「政治的に利用されてきたか」、という問題について無知なまま、イスラエルが主張するがままに流布され、あまつさえ二千年前にさかのぼって、「ユダヤ人のパレスチナ追放による離散」を紛争の歴史的前提として説明するような報道がなされています。

イスラエルのユダヤ人の歴史家、シュロモー・サンドは著書「ユダヤ人の起源』(注2)において、対ローマ反乱で敗北したユダヤ人がエルサレム入域を禁じられたにしても、パレスチナからユダヤ人が追放されて世界に離散したという史実は存在しないこと、また、紀元前からユダヤ人の共同体がパレスチナの外に存在したこと、さらに、ユダヤ人がパレスチナをはるか離れて各地に存在しているのは、現地住民が改宗した結果によるものであると論じています。

ウィキペディアにすら、
4世紀までパレスチナ住民のマジョリティー(多数派)はユダヤ教徒であった、と載っています(注3)。
ローマ帝国がキリスト教を国教とし、キリスト教への改宗者が増え、キリスト教徒が多数派となり、
さらに7世紀にアラブ・イスラームに征服されたあと、ユダヤ教徒やキリスト教徒のイスラームへの改宗が進み、
10世紀を過ぎたあたりから、ようやくムスリムが多数を占めるようになります。
歴史を通じてパレスチナにはユダヤ教徒がずっと存在していたのです。

十字軍に支配された一時期、 エルサレムへの入城は禁じられましたが、
パレスチナからユダヤ教徒の住民すべてが追放されて、世界に離散したなどという事実はありません。

今の日本人の多くが、仏教徒であろうがキリスト教徒であろうが、ムスリムであろうが、二千年前にこの列島に居住していた縄文人の、またその後朝鮮半島からやってきた渡来人の末裔であるように、パレスチナ人は二千年前、パレスチナの地にいたユダヤ人の末裔です。まず、そのことを確認しておきたいと思います。

岡真理・小山哲・藤原辰史「中学生から知りたいパレスチナのこと」p022〜025

レッテル貼りによる「殺しのライセンス」

ナチス支配下では、誰かを「ユダヤ人」と名指すことは
そのように名指された者に対して
「何をしてもよい」ということを意味した

大日本帝国では「朝鮮人」でした
誰かを「朝鮮人」と呼びさえすれば
それは「殺しのライセンス」となりました

2001年9月11日以降
それは「テロリスト」でした

現在のガザでは「ハマス」です

現在の日本では
「不法滞在の外国人」です
(例)クルド人など

岡真理・小山哲・藤原辰史「中学生から知りたいパレスチナのこと」p037〜038

飢餓計画を主導したヘルベルト・バッケ

飢餓計画の元祖

●飢餓計画を主導したヘルベルト・バッケ

ここからは、以上のような、「食を通じた力の発現の先行的事例」であるナチス・ドイツについて話をしていきましょう。
さきほど述べたように第一次大戦期のドイツでは飢餓が起こり、76万人が死んだと 当時の政府統計では報告されていますが、その半分が子どもでした。イギリスに海上封鎖され、中立国のアメリカやカナダの穀物がドイツに輸入されなくなり、人手不足で農業生産力が下がって、政府が闇市のコントロールと食の配給に失敗し、飢えが発生した。歴史家のあいだでは「封鎖シンドローム」と呼ばれますが、この経験によって「飢えへの恐怖が平時も人びとの心に植え付けられた」。これを敏感に察知してプロパガンダに利用したのがナチスです。

ナチスは「生存園 Lebensraum」を獲得するという目標を掲げました。生存圏とは、とくにウクライナやポーランドの穀倉地帯を指します。まさに「ブラッドランド」にあたる地域です。ナチスは英仏の植民地主義を否定し、相互的な協力関係にもとづく「広域経済圏を築くのだ」というプロパガンダを打ち出しましたが、露骨にウクライナを広域経済圏に吸収したいと望んでいた。第一次大戦期に一時だけウクライナを獲得したのですが、その過去もまた、ウクライナへの強い憧憬をヒトラーたちにもたらしたのだと思います。

ナチスの飢餓政策による犠牲者の中心は、冒頭で述べたようにロシア人であり、その加害のあり方は、収容所での殺戮ではなく、飢餓でした。

近年、ナチズム研究では、ヘルベルト・バッケ(1896年〜1947年)という人物が注目されています。ヒトラーやゲッベルスといった人物に比べて有名ではありませんが、彼ついて知ることは「日常の延長線上にあるナチズム」を考えるうえで重要です。

バッケは、グルジア(現在のジョージア)のパトゥミという、黒海沿岸の都市で生まれたドイツ系ロシア人です。父母ともにドイツ系で、なんらかの理由で19世紀にここに流れてきた。父親はオデーサで農業機械の販売に従事したこともあったといいます。第一次大戦中にロシアから「敵性民族」とされ、ウラル山脈の収容所に収監された経験をもつバッケは、そのころからロシアに対する非常に強い嫌悪感をもっていました。

その後、彼はロシアからドイツに移住し、研究者を志してロシアの穀物問題についての論文を書きました。じつは私は2000年代初頭に、ベルリンのフンボルト大学でバッケの卒業論文を見つけたのですが、そのときはよく価値を理解していなかった。学術論文としてはいまいちでパッケは大学院に進めなかったのですが、のちに飢餓計画を実行するときにこの論文を周囲の要人たちに配ったそうです。
この論文執筆時からナチ党に出入りし、そのうちにリヒャルト・ヴァルター・ダレー(1895年〜1953年)という人物に抜擢されて、ダレーに次ぐ食糧・農業省のナンバー2になりました。ちなみにダレーは「血と土」というナチスを代表するスローガンを編み出した人でもあり、ナチ党に農民票を大量に呼び込み、ナチ党を第一党に押しあげた功労者です。ナチ党は選挙戦で、世界恐慌に打撃を受けた農民こそ国家の中枢で、飢餓から国家を守る屋台骨で、優秀な兵士の源泉だと言いつづけ、国内権力の地盤を固めていきました。

パッケの認識は、グローバルな穀物経済、つまり、さきほど述べた穀物メジャーにあたるような巨大資本――彼の言い方では「ユダヤ資本」――が世界中を支配しているために、ドイツの農業が破壊されている、というものでした。これを打破するために農業保護政策を導入し、農民を称揚しました。欧米の食料支配に挑戦するプーチンの農業政策ともどこか類似性がありますね。
ちなみに、ソ連の元書記長のミハイル・ゴルバチョフ(1931年〜2022年)も、黒海の穀物輸出港のノヴォロシースクの農業後背地にあたる、スタプロポリ出身の農業官僚として出世しました。スタプロポリは豊かな農業生産地で、バトゥミから少し北にある場所です。さらにいえば、オデーサは、ロシア革命の立役者であるレフ・トロッキー(1879年〜1940年)の出身地です。トロッキーの両親は、肥沃な黒土地帯の富農でユダヤ人でした。また、パレスチナにユダヤ人国家を樹立することにもっとも熱心だったシオニズム右派のウラディーミル・ジャボティンスキー(1880年〜1940年)も、オデーサ出身のユダヤ人です。黒海沿岸の都市にはユダヤ人が多く住んでいますが、そのうち穀物商を営んでいたユダヤ人も多かった。いずれにしても、現在の紛争を知るうえでも、あるいは二十世紀の歴史を知るうえでも、黒海は重要な場所なのです。

岡真理・小山哲・藤原辰史「中学生から知りたいパレスチナのこと」p144〜147

ホロコーストの陰に隠れる「入植と飢餓」

●ホロコーストの陰に隠れる「入植と飢餓」

独ソはイデオロギーの違いがあるのにも関わらず手を結んで世界が仰天したわけですが、ヒトラーはドイツの経済基盤を強化し、黒土地帯を抱えるウクライナをドイツの経済圏に組み込むために、結局ソ連侵攻を決めます。
それが1940年7月31日です(12月18日に「バルバロッサ作戦」という名前がつけられ、各方面に正式に伝えられます)。
この決定に応じて各部署は戦争準備を秘密裏にはじめます。バルバロッサ作戦の食料部門の担当がバッケでした。
彼はヒトラーに対し、ドイツの食糧供給量を計算した結果「数千万人の人びと」がソ連で飢えることは疑いないという結論を報告します。
1941年の春には「飢餓計画」の大枠が決まります。バッケは食料配給量を計算し「劣等人種」であるスラヴ人、とくにロシア人にはわずかしか配給せず飢えさせて、その分でドイツ人の配給量を保持するという恐ろしい計画を立てたのです。バッケは文書で「ロシア人の胃袋は伸縮自在なので変な同情心を抱かずともよい」というとんでもないことも述べています。

ナチス最大の使命は、ドイツ人を飢えさせないということでした。実際に1944年まではドイツ人は飢えなかった。それを達成できたのは、くりかえしますが、ポーランドやロシアなど東欧から食料を収奪し、それらの住民を飢餓に追い込んだからです。300万人のロシア人捕虜が飢えで死にました。当時の労働生理学の栄養学者は、ロシア人捕虜を実験台にして、ギリギリ効率的に働かせられる食事量はどれくらいか、と言うおぞましい研究もしていた。
さらに、ポーランドからは農民を放逐したり殺したりして、その農場にヨーロッパ各地に住んでいたドイツ人たちを入植させます。追い出された農民たちは、ドイツ人のもとで働いたり、パルチザンとなってドイツ軍や占領当局と戦ったりしました。入植と飢餓。これがナチスの東欧における暴力の特質です。
食を通じて人を殺したり、労働を管理したりするという考え、また、飢えてもいい人種と飢えてはいけない人種を分けるという考えをもったのがバッケで、それをヒトラーたちは支持したわけです。
飢餓計画はあまりに巨大な計画だったため頓挫しましたが、最終的に400万から700万人の死者を出したといわれています。ホロコーストの影に隠れてしまう悲劇です。

岡真理・小山哲・藤原辰史「中学生から知りたいパレスチナのこと」p147〜149

飢えてはならない人と、飢えてもいい人

●飢えてはならない人と、飢えてもいい人

飢餓計画より前、一九三二年~三三年にソ連支配下のウクライナで大飢饉が起こりました。スターリンの穀物調達の暴力によって、四〇〇~八〇〇万人が食料を奪われて亡くなった。この飢饉をナチスはプロパガンダとして利用したのです。
社会主義農村通信という新聞ですが、ナチスの広告には、飢えた人びとや餓死者の写真とともに「農民の国が飢えている!」という言葉が載っています(注1)。農業国家であるはずのソ連でこれだけの人が飢えて死んでいるということをアピールしている。ボリシェヴィキだから人が飢えていく、私たちは絶対にこんなことはしない、と。
そのためには女性の社会参加が必要だという名目で、パッケはナチス婦人団とともに「腐敗闘争 Kampf dem Verderb」も主導しました。 食べものを無駄にするなというキャンペーンをおこない、優れた技術をもつ主婦を表彰したり、 家政学やテイラー主義 (二十世紀初頭に提唱された労働の科学的管理法)の影響を受けてキッチンを管理したりした。 「二度と飢えさせない」という目的によって、日常を動員していったのです。
その裏で、東ヨーロッパの人びとを飢えさせ、また今回は詳しく触れられませんでしたが、「生きるに値しない」とナチスがみなした障害者の安楽死計画もおこなっていたわけです。安楽死と言っても、薬を用いるだけでなく、かなりの数の人を飢餓状態に放置することで殺害しています。
「飢えてもいい人びと」を選ぶこのような優生思想は、しかし、私たちの日常にも深く根づいていると思えてなりません。たとえば、アフリカの人たちが飢えていてもしようがないというような感覚が私たちにないでしょうか。
そして、奇妙なことに、ナチス最大の被害者グループのひとつであるはずのユダヤ人たちの国、イスラエルにも、この感覚がいっそう深く根ざしているのです。

岡真理・小山哲・藤原辰史「中学生から知りたいパレスチナのこと」p149〜151

イスラエルの食と水を通じた暴力

●イスラエルの食と水を通じた暴力

「いっそう深く」と申し上げたのは、イスラエルがガザ地区に対して繰り広げる暴力のひとつに、除草剤散布攻撃があるからです。 フォレンジック・アーキテクチャー (直訳すれば、法医学的建築)という研究機関であり芸術家集団であるチームとイスラエルやパレスチナの協力団体の調査によると、二〇一四年から二〇一八年にかけて、イスラエルとガザ地区のあいだにある立ち入り禁止の緩衝地帯にイスラエルの小型飛行機が少なくとも三〇回も除草剤を散布しました。 緩衝地帯なのですが、散布時はかならず東から西へ風が吹いている。 ガザ地区の農地を狙って汚染しているとしか思えない。パレスチナの農
業省によれば、被害を受けた範囲は一三平方キロメートルにも及ぶといいます。
この攻撃を告発する動画はインターネットでも見られますのでぜひ見てください(注1)。動画では小型のプロペラ機が薬をまいている様子が見えます。イスラエルもまた、空爆やミサイルや戦車だけではなく、食料、人間の生きる根拠そのもの、存在そのものを破壊していることがここから読み取れます。
除草剤は、かつて遺伝子組み換え作物の種子生産で世界最大のシェアを占めていたモンサント社(現在はドイツのバイエルに買収されています)の「ラウンドアップ」や、イスラエルの化学メーカーのタパゾール社の「オキシガル」です。とりわけ、ラウンドアップは自社製の種子の植物は枯らさないので、種子とセットで世界中に広まりましたが、発がん性が疑われるので各地で訴訟が起こっています。
除草剤攻撃と聞いて多くの人が思い起こすのは一九六〇年代から七五年までつづいたヴェトナム戦争でしょう。アメリカがヴェトナムで枯葉剤、つまり除草剤をまいて、ヴェトナムで活動する抵抗組織を森からあぶり出し、畑を汚染して飢えさせようとしました。この除草剤生産企業のひとつがモンサントでした。同じ企業の除草剤による攻撃が現在はガザ地区に対しておこなわれている。アメリカからイスラエルへとつながる暴力の連鎖を、私たちは見ずにはいられません。

ただし、イスラエルのガザ地区への攻撃は除草剤攻撃ばかりではありません。 イスラエルは、一九四八年の「建国」以降、パレスチナ人の土地を軍事力で奪い、住んでいた人びとを追放して難民にしました。世界中からイスラエルにやってくるユダヤ人たちに農地と住宅地を与えるためです。その過程で奪われたのは、肥沃な土地だけではありません。乾燥地帯では水資源が生死を決するのですが、イスラエルは入植者たちが農業を営みやすいようにヨルダン川の水や地下水をつぎつぎに囲い込み、壁を設けて、パレスチナ人農民たちに農業をさせないようにしてきました。これもまさに放逐と飢餓で具体的に見ていきましょう。パレスチナの状況を克明に伝えてきたジャーナリストの土井敏邦さんは「占領と民衆パレスチナ』のなかで、パレスチナ人たちがいかに水資源を奪われてきたか記しています。たとえば、イスラエルはオレンジ生産ではなく野菜生産をするようにパレスチナ人に圧力をかけました。 オレンジ畑は野菜畑の二倍水を使用するからです。一方で、イスラエルは入植地につぎつぎに井戸を掘る。一九八四年のガザのパレスチナ人ひとりあたりの水消費量はわずか二〇〇立方メートルであるのに対し、イスラエル人入植者ひとりあたりの消費量は「一万四二〇〇~二万八四〇〇立方メートル」にまで及びました(注1)。もちろん、パレスチナ人たちは飲料水もかつてのように自由に使えません。イスラエルの企業から水を購入しなければならない状態に追いやられたのです。
こうしたパレスチナの状態は、土井さんの聞き取りから四半世紀経って、改善されるどころか、さらに悪化していました。清末愛砂さんは、「占領下における水の使用権と農業問題」という二〇一二年の論文のなかで、ヨルダン川西岸自治区の水の収奪とフード・セキュリティ(食料安全保障)について報告しています(注1)。

非常に豊かな水資源と肥沃な土地に恵まれ、それに支えられた多様な野菜栽培がなされているヨルダン渓谷では、トマト、キュウリ、ナス、ピーマン、トウモロコシ、レモン、オレンジ、ナツメヤシなどが生産されていました。ただ、ナツメヤシや柑橘類の巨大なプランテーションはイスラエルの入植者によって営まれてきました。なんとこのプランテーションで働いているのは、ヨルダン渓谷でも水の使用が厳しく制限され、農業を営めなくなったパレスチナ人たちなのです。彼らはイスラエルで定められた最低賃金よりも低い賃金で働かされていた。入植者の五倍以上もの人口のパレスチナ人が使用できる水資源はヨルダン渓谷のわずか四割にすぎない、と清末さんは述べています。ヨルダン川周辺への立ち入りも許されておらず、近づくとイスラエル兵に射殺される可能性が高い、とも。

岡真理・小山哲・藤原辰史「中学生から知りたいパレスチナのこと」p152〜155

飢餓とは「低関心」による暴力

●飢餓とは「低関心」による暴力

しかもイスラエルは、食料自給率は九○パーセントを超えているため封鎖という外交カードが切られにくい。イスラエルよりも農業環境がはるかに恵まれている日本の自給率はわずか三八パーセント。どれだけ日本の食料主権への意識が低いか自明でしょう。最先端の農業技術システムが、穀物、野菜、果樹、酪農など世界最高水準の生産力をイスラエルにもたらしています。厳しい風土にもかかわらず、国民を自前で食べさせることに成功しているのです。だから日本はイスラエルを見習えと言いたいわけではありません。くりかえしますが、イスラエルの高い食料自給率はパレスチナ人の犠牲のもとに築かれているのですから。
第Ⅰ部でも触れた「低関心」がここでも深刻な問題をもたらしています。飢餓とは、低関心による暴力です。「知ってるよ、もちろん」という程度のクイズ的な知識で満足する知のあり方による加害です。 奴隷という言葉は知っていても、奴隷のように働くマリの少年はイメージできない。また、低関心は、戦争の暴力の激化とも深く関わっています。イスラエルによるパレスチナ人の生存条件の破壊はもう半世紀以上もつづいていて、ほとんどの人が理解しているべきだったにもかかわらず、なぜこの程度しか知られていなかったのかという問いを私たちは突きつけられています。

岡真理・小山哲・藤原辰史「中学生から知りたいパレスチナのこと」p155〜157

「西」とはなんなのか?

●「西」とはなんなのか?

でも、グローバルに植民地支配を展開し、その先々でジェノサイドをおこなってきたのはヨーロッパ、アメリカ、そして日本も含めた「西」ですよね。今のガザのジェノサイドに対して、人権を尊び、自由や平和や民主主義を愛すると標榜し「西側」を自称してきた国々が、どういう態度をとっているでしょうか。アメリカは、世論調査ではイスラエルの攻撃をやめさせろという市民のほうが多いにもかかわらず、バイデン政権はその声を無視して、イスラエルへの軍事支援を継続し、ジェノサイドに共犯しています。
そして、イスラエルを批判しパレスチナに連帯する人びとを弾圧し、表現の自由や民主主義を国家が擲っている。これだけの夥しい数のパレスチナ人が目に見えるかたちで命を奪われてはじめて、これはおかしいんじゃないか・・・・・・ということに、私たちは今ようやく気づきはじめています。
パレスチナ問題は、旧約聖書やクルアーンの時代にさかのぼって、イスラーム教徒とユダヤ教徒、アラブとユダヤの関係が・・・・・・といったような話にされ、中東地域で起きている中東の問題のようにされていますが、そうではありません。徹頭徹尾、ヨーロッパの問題がパレスチナに押し付けられているにもかかわらず、「西洋」の研究者たちは問題を自分とはまったく関係のないことのように考えてきた。その知のあり方自体を問いたい。これが私からの問題提起です。

岡真理・小山哲・藤原辰史「中学生から知りたいパレスチナのこと」p166〜168

ナチズムは近代西洋的価値観の結晶

●ナチズムは近代西洋的価値観の結晶

かつて、ヨーロッパの人たちはアフリカを「暗黒の大陸」と呼びましたが、歴史家のマーク・マゾワーは「暗黒の大陸』(原題 “Dark Continent") (注2) という本において「一体どちらが暗黒だったのか」と鋭く問いました。ヨーロッパこそが暗黒だったのではないかと。彼の専門はギリシア現代史なので、中東世界が近接する立場からこの本を書いているのですね。 マゾワーはナチズムをつくりあげたものはすべて西欧で生まれたものだと述べています。人種主義、植民地主義、 優生思想、どれもそうですね。
私はこれまで食や農業の観点からナチズムを研究してきましたが、その点からすると、ナチズムはヨーロッパの輝かしい理念から出てきた鬼っ子というよりは、近代西洋的価値観の、ある意味の結晶だと思います。今のパレスチナでの信じられないような虐殺を見ていると、私はいったいナチズム研究で何をしてきたのかと思います。これが今、私の考えていることの一点目です。

岡真理・小山哲・藤原辰史「中学生から知りたいパレスチナのこと」p168〜169

「食を通じたイスラエルの暴力」に目が向かなかった反省

●「食を通じたイスラエルの暴力」に目が向かなかった反省

藤原 二点目は、入植植民地主義の問題です。 私は大学院生のころからナチズムと並行してずっと満洲移民の研究を農学者批判の文脈でしてきました。でも、それをイスラエルのキブツや労働シオニズムとのつながりで意識したことはほとんどありませんでした。
イスラエル建国の背景にあるパレスチナ人への暴力について膨大な資料を調査したうえで叙述した、歴史家のイラン・パペの『パレスチナの民族浄化』(注3) などをきちんと読めば、パレスチナに生きてきた人びとの家や農地に、突然イスラエル軍がやってきて武力を振るい、彼らを追放したという状況がわかります。さらに、入植者は肥沃な農地と水源を得ようとどんどん入植地を広げていきます。自分たちの生きていくための糧をつくることがイスラエルの課題でした。
日本では、一九三二年から満洲への武装移民がはじまりました。 世界恐慌の結果、アメリカやヨーロッパに売っていたストッキングの原料であるシルク、つまり養蚕産業の株価が一気に落ちてしまい、農家の生活が立ち行かなくなったなかで生まれてきた解決策が、満洲への棄民政策、つまり移民政策です。 一九三八年からは、日本の村を半分に割り、一方は村に残って土地を拡張してもらい、もう一方は満洲に渡って新しい村を築いてもらう政策もはじまりました。その精神構造はまさにイスラエルと同じで、未開拓文明化された勤勉な日本人、大和民族が、指導的立場で開墾していくというものです。もともとあった土地を奪うのではなく開墾していくのであって、西洋植民地主義とは違う、とさえ日本は主張していました。
しかし、事実はどうだったかというと、すでに日本の植民地時代やそれ以前から、窮乏した朝鮮人の農民が満洲に渡っていて、水田を開発し、寒さに耐えられるオンドルの家を建てていた。日本はその土地を二束三文で買い叩いて、本国の人を入植させたのです。だから、分村移民がはじまる前の段階では「武装」移民だった。追放された人びとのなかにはパルチザンとして日本と戦った人たちがいたからです。

「民なき土地に、土地なき民を」というスローガンのもとにおこなわれたイスラエルの入植とうりふたつのことが起こっていたのに、私はその関連にまったく思い至らなかった。日本の植民地の歴史を批判しておきながら、こんな比較さえできていなかったことを恥じています。

岡真理・小山哲・藤原辰史「中学生から知りたいパレスチナのこと」p169〜172

私たちの生活が奴隷制に支えられている

●私たちの生活が奴隷制に支えられている

岡 奴隷制は食だけではなく、たとえば資源に関しても存在しますし、過去のことではなく、かたちを変えて、今に至るまで、システムとしてつづいていますね。
藤原 ILOと国際人権団体ウォーク・フリー、そして国際移住機関(IOM)の共同報告によると、今この世界には五〇〇〇万人の「現代奴隷」がいます。 なかでも多いのは性奴隷です。とりわけ難民キャンプの女性たちが売られ、身体的拘束されて性奴隷にされている。中東だけではなく、ウクライナでも、内戦中のミャンマーでも、女性が連れ去られ、ヨーロッパや日本の性産業に売られています。

漁業と農業においても現代奴隷が使われています。
コーヒーやカカオや砂糖の生産に加えて、今大きな問題になっているのはパームヤシです。私たちのシャンプーやチョコレートの原料となるパームオイルの生産現場で児童労働がおこなわれている。 キャロル・オフの「チョコレートの真実』にもあるように、チョコレート産業では現在でもマリ共和国の少年たちを奴隷同然に使って、先進国の企業がバレンタインデーで利益を稼いでいます。私たちの生活が現代奴隷に支えられているということを、国連機関が明らかにしているのです。近代の三角貿易の状況は今も変わっていないといえます。

岡 アメリカの奴隷制やホロコーストを描いた映画は、たくさん制作されています。みんなそういう映画を見て、泣いたり感動したりしている。でも、じつは同じことが、今この世界において、むしろより洗練された見えないかたちでつづいている。ホロコーストの映画に描かれているようなことが、ガス室こそないけれど、ガザで起きていますし、私たちのこの生活自体が現代の奴隷制によって成り立っている。そこに目を向けることがないとしたら、私たちはこれらの作品が告発している人間性に反する暴力を、ただのエンターテインメントとして消費しているということです。

岡真理・小山哲・藤原辰史「中学生から知りたいパレスチナのこと」p174〜175

今のイスラエルのやり方は異常

●今のイスラエルのやり方は異常

岡小山さんが講義で紹介されていた、黎明期のシオニストのレオン・ピンスケルは、そもそも啓蒙主義者で、ポーランド人として平等に生きることを望んでいた。一八八一年にポグロムが起き、彼が大きな衝撃を受けたのは、暴力の担い手のなかに都市の知識人や学生がいたからでした。それで、反ユダヤ主義は不治の病なんだという考え方になっていった。教育を通して啓蒙することによって反ユダヤ主義はなくなると思っていたのにそうではない、と絶望して、ユダヤ国家の建設を主張するようになったという経緯があります。 東欧における、この根深い反ユダヤ主義とはなんなのでしょうか。

岡真理・小山哲・藤原辰史「中学生から知りたいパレスチナのこと」p195

本書成立の経緯

●本書成立の経緯

政府による、日本学術会議の人事への介入など、ナチスの時代かと思うよう
件がたびたび起こっています。
この文章を書いているあいだにも、イスラエルによるガザの破壊、封鎖による飢餓政策は止まっていません。ナチスはユダヤ人を「害虫」として捉えることで大量虐殺の摩擦になる「良心の呵責」を軽減しようとしましたが、イスラエルの今の大量虐殺も、イスラエルがそのようにパレスチナの人びとを捉えていないと不可能ではないかと思うほど残虐きわまりない。想起すべきなのは、このように他民族を人間扱いしない考えが、日本の現代史にもずっとあったことです。

中国人捕虜を「マルタ」と呼び人体実験に用いた七三一部隊の歴史に、京都大学がきちんと向き合っていないことや、中国東北部に住んでいた朝鮮人や中国人の農民の土地を二束三文で買って、放逐した歴史が「満洲国建国」という物語の背景に隠れたことをかんがみても、現代史は力あるものの感情を逆撫でしないように書かれすぎてきたのではないか。

本書でこれまで三人が述べてきたとおり、歴史学の前提が大きく崩れていく感触を私は今もっています。世界史は書き直されなければならない。 力を振るってきた側ではなく、力を振るわれてきた側の目線から書かれた世界史が存在しなかったことが、強国の横暴を拡大させたひとつの要因であるならば、現状に対する人文学者の責任もとても重いのです。

岡真理・小山哲・藤原辰史「中学生から知りたいパレスチナのこと」p214〜216

伊丹万作「騙されることの責任」

もちろん、「騙す方が100%悪い」のは紛れもない事実である。
その上で更に「騙されることの責任」を考えよう。

伊丹万作「騙されることの責任」

もう一つ別の見方から考えると、いくら騙す者がいても誰1人騙される者がなかったとしたら今度のような戦争は成り立たなかったに違いないのである。
つまり、騙す者だけでは戦争は起らない。騙す者と騙される者とがそろわなければ戦争は起らない一度騙されたら、二度と騙されまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない騙されたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
伊丹万作「戦争責任者の問題」より


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