思い出の菊花賞 1988
当時の菊花賞は今のみやこステークスの週に開催されていました。
この菊花賞はダービーの1〜3着は不出走で、一番人気は皐月賞馬で前哨戦の京都新聞杯を勝った単枠指定のヤエノムテキ、二番人気は皐月賞2着で京都新聞杯4着のディクターランド、三番人気は武豊騎乗のスーパークリーク、京都新聞杯では若干の不利があって6番に終わりました。
レースはカツトクシンが平均ペースに持ち込み、ヤエノムテキは好位、ディクターランドとスーパークリークは中団でした。
最後の直線で二番手のメイショクボーイが抜け出したところにヤエノムテキが並びかけますが伸びを欠き、そこを内からすくったのがスーパークリークでした。グングンと差を広げ、2着と5馬身差をつけてゴール。武豊騎手は二年目で初G1制覇の快挙でした。2着は追い込んだ7番人気の青葉賞馬ガクエンツービート、3着は同じく追い込んだ最低人気のアルファレックスでした。メイショクボーイは惜しくも4着、ヤエノムテキは10着、ディクターランドは13着でした。
武豊騎手には当時きさらぎ賞を勝って皐月賞でもコンビを組んだマイネルフリッセというお手馬もいて、菊花賞でも騎乗依頼を受けていて、オーナー側と
武豊「僕はスーパークリークで菊花賞に出たいのでお断りします」
オーナー「スーパークリークは抽選対象だから出られないかもしれないよ」
武豊「それでもスーパークリークと出たいです」
オーナー「そこまで言うのならマイネルフリッセは回避しよう」
と言って抽選される事なくスーパークリークは出走出来た
なんて逸話があったとかなかったとか。